怨念の狩人
トリストス。
そう名づけられた人族とドワーフ族の混血児は、セレスティーナとフローシアという美女二人に見守られながら、すくすくと育っていった。
ガインは寝るときと食事をするとき以外に幾度かトリストスを抱き上げるのみで、それ以外の時間の全てを弓の作成に当てていた。
フォルシアンは食糧事情こそ厳しいものがあるが、良質な鉱石と木材が手に入るため職人気質の人々にとっては決して住みにくい土地ではない。
それはガインにとっても同じであり、いつも時の流れを忘れるかのようにガインは工房に籠っていた。
その期間は既に1年をゆうに超え、一年半に迫ろうとしていた。
「全く。あ奴ももう少しこやつの相手をしてやればいいものを」
生後1年半となったトリストスを抱きかかえながら、セレスティーナはそう口にする。
しかしそんなセレスティーナに対し、隣でフローシアが微笑みながら口を開いた。
「ガイン様にも、当然そう言った欲求はあるでしょう」
「ならばなぜあ奴はああまで弓作りに没頭しておる?
少しはこっち相手でもしてやればいいものを」
「あなたのためにですよ。セレスティーナ様」
「……妾の?」
トリストスを持ち上げながら、セレスティーナはそんなことを口にした。
そんなセレスティーナに対し、フローシアは頷いた。
「囚われの身であったガイン様を連れ出してくださったこと。
このフォルシアンにて力尽きかけていた私を助けてくれたこと。
私とガイン様を祝福してくださり、この子を授けてくださったこと。
挙げればきりがありません。
私も、ガイン様も、そしてこの子も、あなたに対して深い恩義があるのです。
ガイン様にとって、今最も果たさなければならないことは、その恩義に報いることです。
それができてこそ、初めてガイン様はこの子と向き合えるのですよ」
「……不器用な男じゃな。すでにこれほどの弓を作っておきながら」
そう言って、セレスティーナは手元に置かれていた弓を手に取った。
ガインが試作として造った弓は、セレスティーナにとって新しい手が生えてきたかのような精妙さを持った逸品だった。
正直これだけでも十分すぎるのではないか? と思うセレスティーナだったが、ガインに言わせればこの弓はただの試作段階であり、セレスティーナ専用の武器とするにはさらに先があるのだという。
そんな化け物じみた武器を作ってくれるのはありがたくはあるが、子供の面倒を放置してそんなことをしていていいのか? と疑問を抱くセレスティーナに対し、しかしフローシアは苦笑を浮かべながら答えた。
「そして頑固な方です。
でなければ、私はこうして幸せをかみしめていません」
「…それもそうか」
そう言うと、セレスティーナとフローシアはどちらともなく笑いあった。
その光景を、抱きかかえられる赤子のトリストスが不思議そうに眺めていた。
「……ん?」
その最中、セレスティーナの感覚が気配を捉えた。
「どうかされましたか?」
そう問いかけるフローシアにトリストスを預け、セレスティーナは立ち上がった。
「……フローシア、トリストスと共にここにいろ」
「まさか、敵襲ですか!?」
驚きの声を上げるフローシアに対し、セレスティーナは口元に人差し指を当てた。
「絶対にここを離れるな。いいな?」
そう言って、セレスティーナは以前ガインが作った弓を手にしてその場を離れた。
「この気配……間違いない。アルベルだ」
走りながらセレスティーナはそうつぶやいた。
アルベル。
セレスティーナと歳が近いエルフ族の狩人で、精霊魔法の腕はセレスティーナや族長のグラインと同じ。
そしてセレスティーナやグラインと異なり、アルベルは生粋の狩人。
その力は、間違いなくエルフ族で頂点に君臨している。
アルベルの気配をこちらが感じ取れるということは、アルベルもすでにセレスティーナのことを察知しているということであり、それはつまりガインとフローシアの存在にも気づかれているということでもある。
ゆえにセレスティーナは真っ直ぐアルベルの元へと向かった。
アルベルはグライン同様に人族に対して強い嫌悪を抱いている。
もしフローシアが見つかりでもすれば、どんな目に遭わされるか分かったものではない。
アルベルの他にも数名、腕利きらしい同族の気配を感じる。
正直に言えば、一人で戦うのは危険すぎる。
精霊魔法を極めた者同士では奇襲など通用しない。
ゆえにセレスティーナはアルベルを始めとするエルフ族の手練れたちと一人で正面から戦わなければならない。
「……だからといって」
退ける戦いではない。
もし逃げれば、ガインは捕縛され、恐らくフローシアとトリストスは殺される。
その光景を想像したセレスティーナは、恐怖を心の奥に飲み込んだ。
「……」
それから数時間後、セレスティーナはフォルシアンの岩山の一角にてアルベルを始めとするエルフ族の狩人たちと対峙した。
「……裏切り者が、よく、俺の前に、姿を、見せた、な」
幽鬼のような表情のないエルフ族が、セレスティーナに向かってそう口にする。
恐ろしく整った顔立ちをしていながら、怨霊にでも取りつかれたかのような表情を浮かべるその男こそ、エルフ族屈指の狩人アルベルであった。
「お前が、ここにいる、ということは、あの男も、ちかくに、いるということだ。どこに、いる?」
「……その前に答えてもらおうか? なぜこの地がわかった?」
アルベルの問いに問いで返すセレスティーナに対し、周りのエルフたちが殺気だった。
そんな中、アルベルが手を上げてそのエルフたちを制した。
「簡単な事、だ。お前が、里をぬけてから、俺たちは、これまでずっと、捜索を続けてきた。西も、北も、お前たちはいなかった。最後に、ここに、たどり着いた」
「…そういうことか」
自分たちが逃げた後、エルフ族は総力を挙げて捜索を行っており、最後にこうして南東部までやってきたのだ。
……少し考えれば自分たちがここにいるのは見当がつきそうなものだが、恐らく南部を後回しにしたのは、彼らが人族を嫌悪すると同時に怖れているからでもあるのだろうとセレスティーナは当たりを付けた。
「もう、終わりだ。お前は、ここで死ぬ」
そう言ってアルベルは弓に矢をつがえた。
それに合わせるように、セレスティーナも弓に矢をつがえた。
「死、ね」
そう言って、アルベルは矢を放った。
同時にセレスティーナも矢を放つ。
双方の矢には風の魔力が宿っており、貫通力、速度、射程を大きく伸ばしている。
その二つの矢が正面から相手の眉間を射抜こうと迫り、そして正面からぶつかり合った。
直後、セレスティーナの矢がアルベルの矢を砕き、そのまま真っ直ぐにアルベルめがけて飛んで行った。
その矢をアルベルは寸でのところで回避したが、矢は左ほほをかすめ血が流れ出る。
その光景に、エルフ族の狩人たちから驚きの声が上がる。
アルベルは、左ほほから流れる血を親指で拭い口を開いた。
「なるほど。お前の弓と、矢は、あの男が作ったものか」
その一言に、セレスティーナは無言で次の矢をつがえた。
アルベルの言う通り、セレスティーナが使っている弓と矢はガインが作った狩猟用のものである。
しかしドワーフ族の中においても稀代の名工であるガインが作った弓矢の威力は、試作的に作ったそれでさえもエルフ族のそれを大きく上回っている。
矢の強度も比べ物にならず、アルベルの矢を真正面から打ち破るその威力は、セレスティーナをもってしても驚愕に値するものだった。
そんな一撃を目の当たりにし、エルフ族の狩人たちに動揺が広がっていた。
だが、そんな中においてアルベルだけは口元を歪めながら自分の血をなめた。
「素晴らしい。やはり、あの男がいれば、人族を滅ぼせる」
そう言うと、アルベルは隣の狩人に声をかけた。
「俺は、これから、件の、ドワーフを捉えに行く。お前たちは、全員で、あれを殺せ」
「了解」
その声が聞こえた時、セレスティーナは弓を引き絞った。
「行かせると思うのか?」
それに対し、アルベルは幽鬼のような足取りで前に進んだ。
「行かねば、ならぬ」
そう言って、アルベルは走り出した。
やや迂回するつもりだろうが、気配を掴んでいるアルベルから見れば些細な問題に過ぎないだろう。
「撃て!」
「くっ!」
そして5名のエルフたちが一斉にセレスティーナめがけて矢を放つ。
その数本がセレスティーナを、そしてそれ以外の矢が逃げ場を奪うように正確に狙いを定められていた。
『烈風!』
それに対し、セレスティーナは精霊魔法を紡ぎあげる。
突如巻き起こった突風に、矢は軌道を逸らされ明後日の方角へと飛んで行った。
直後、その隙を利用してセレスティーナは走るアルベルめがけて矢を放った。
風を纏った矢が目にもとまらぬ速さでアルベルを射抜こうと迫る。
『烈風』
しかし、突如アルベルから発生した突風に矢の軌道を逸らされ、セレスティーナの放った矢が外れた。
すかさず追撃をかけようとするセレスティーナだったが、アルベルは既に矢の軌道の死角に入ってしまっていた。
「……」
追いかけて仕留めなければならない。
そう思ったセレスティーナは、しかし囲まれる幾多の狩人たちの方を向いた。
アルベルを追うには、まずこの者たちを倒しておく必要がある。
いかに自分に奇襲が通用しないからと言って、追われながら戦えるほどアルベルは生易しい相手ではない。
そして、この者たちを引き連れて行けば、間違いなくフローシア達がさらなる危険にさらされることとなる。
「……お主ら。戦う前に1つだけ忠告しておく」
同族の狩人たちを相手に、シルディエは静かに弓に矢をつがえて口を開く。
「我が友ガインの加護を受け、精霊魔法を極めた妾に勝てると思うなら、見込み違いも甚だしい。さっさと退くなら命だけは見逃すぞ?」
そんな忠告をしたが、セレスティーナの忠告など知ったことではないと狩人たちは弓を引き絞った。
「……ならば、全滅を覚悟せよ。今の妾には加減をする余裕はない!」
そう言って、セレスティーナは矢を引き絞った。
「……セレスティーナ様」
セレスティーナが走り去って後、トリストスを抱えたままフローシアはずっと彼女が走り去っていった方角を眺めていた。
セレスティーナは何も言わなかったが、あの時彼女の目に宿っていた覚悟は生半可なものではなかった。
恐らく、敵は手練れの部隊。
単身で挑むには危険すぎる相手だからこそ、セレスティーナは何も言わずに出て行ったのだろう。
「あー、うー?」
抱えるトリストスが不思議そうにこちらを見ている。
山の中にいるせいか、トリストスの成長はフローディエの知る赤子よりも早く、すでに立って歩きまわっている。
まだ言葉をしゃべらないところには少々疑問を抱くが、それでも単純な運動量だけなら既にフローシアに届くのではないか? と思わせるような成長の速さを見せている。
「大丈夫よ。セレスティーナ様は強いから」
息子を不安にさせないようにと、フローシアはニコリと笑ってトリストスにそう声をかけた。
その時、工房の中からガインが姿を現した。
「フローシア。セレスティーナ様はどちらに?」
「……ガイン様」
工房から出てきたガインに対し、フローシアは事情を説明する。
「……なんと、一言相談していただければ」
「どういうことですか?」
大いに悔やむガインに対し、フローシアはそんな問いを口にした。
「…実は、先ほど作っていた霊弓が出来上がったのです」
「!!!」
ガインの口から放たれた言葉に、フローシアは立ち上がった。
一年はかかると本人が言っていた霊弓が1半年で完成するとは考えておらず、ガインにしても経過報告をほとんど行っていなかったため、まさかこんなタイミングで完成するとは思っていなかったのだ。
「ですが、セレスティーナ様が出て行かれてそれだけの時間がたっていれば、追いつきようがありません」
「……セレスティーナ様は、大丈夫でしょうか?」
フローシアの問いに、ガインは頷かなかった。
「いずれにせよ敵が来る可能性は考慮しておくべきでしょう。武器を取ってきます」
「私も一緒に」
そう言って、フローシアはガインと共に工房に入っていった。
ガインは一振りの剣と、一本のナイフを手に取って、ナイフの方をフローシアへと渡した。
「万が一に備えてです」
戸惑うフローシアに対し、ガインはそう言った。
フローシアは戸惑いながらも頷き、そのナイフを懐にしまった。
「まずはセレスティーナ様の帰りを待ちましょう」
そう言って、ガインは工房から外へと出た。
それに続くように、フローシアとトリストスが続いた。
だが、三人は気付かなかった。
彼らを、一人の弓兵が狙っていることを。
キュィィィイイン!
鋭い風切音と共に一本の矢が飛来する。
その日本の矢は、過たずにガインの左足を射抜いた。
「な!? ぐ!?」
「ガイン様!?」
その光景に瞠目するフローシアの前に1人の男が現れた。
エルフ族と思われる緑を基調とした民族衣装を身に纏ったその人物は、とても整った端麗な顔立ちをしていた。
しかしフローシアはその面貌に見惚れることはなかった。
その男を見た瞬間底冷えのするような悪寒を感じたからである。
幽鬼のような立ち姿で弓を構えるエルフ族の男は、フォルシアン屈指の狩人アルベルだった。
「あ、あなたは、一体」
「……なぜ、ここに、人族が、いる?」
そう言って、エルフの男は弓に矢をつがえた。
「我が、祖先の、敵だ。死、ね」
そう言って矢を放とうとした男は、しかし手を放さなかった。
射抜かれた足を引きずり、ガインがフローシアをかばうように立ちはだかったからである。
「あなたの狙いは私ですか?」
両足を射抜かれ、今にも膝を屈しそうに震わせながら、ガインは目の前に現れたエルフにそう問いかけた。
「そうだ。お前を、連れ戻せ、との命令だ」
「分かりました。同行します」
「ガイン様!」
止めようとしたフローシアに対し、ガインは手でそれを制した。
「ですが、妻と子には手を出さないでいただきたい」
「……妻? 子? その人族が、か?」
ガインの言葉に、アルベルは心底分からないと首をひねった。
「人族は、祖先の、怨敵。生かす理由が、無い」
そう言ってアルベルは再び矢を放とうとした。
それに対し、ガインは腰の剣を引き抜き自分の首に当てた。
「あなたが妻と子を殺すというのなら、私もこの場で果てましょう!
私の鍛冶士としての腕がほしいのなら、私をこの場で見殺しにはできないはずだ!」
ガインの命を張った交渉に、アルベルは覗き込むように目を見開き、弓を下げた。
「いいだろう。お前が、死ねば、こちらも、困る」
「…感謝します」
そう言うと、ガインはその場に倒れ込んだ。
意識はあるが、足がもういうことを聞かないようだった。
「……」
エルフの狩人アルベルは、そのまま無言で歩み寄った。
だが、その前に今度はフローシアが立ちはだかった。
「…何の、真似だ。人族」
懐からナイフを取出し、それを素人同然のように構えるフローシアを見て、アルベルはそんなことを口にして睨みつけた。
その視線に込められた怨念を感じ取り、フローシアは全身に冷や汗をかく。
フォルシアンの民は、人族を恨んでいる。
知っていたつもりだったが、ガインとセレスティーナ以外の人々と接したことの無いフローシアには、アルベルの放つ本物の怨念が恐ろしかった。
だが、退くわけにはいかなかった。
フォルシアンの情勢は、セレスティーナとガインからある程度は聞いている。
もしここでガインが連れ去られれば、ガインの作り出す武器を手にフォルシアンの民は人族の領地へと踏み込むだろう。
そうなれば、フォルシアンと人族の間には間違いなく戦争が起こる。
そんな戦争の引き金を、自分の目の前で引かせることを、フローシアは容認できなかった。
「邪魔を、するなら、殺すぞ?」
濃密な殺気を振りまきながら、アルベルは歩み寄りる。
それに対し、フローシアは膝を震わせながらも立ちはだかった。
「夫を、ガイン様を、連れて行かせはしません」
「や、やめてください! フローディエ! 下がって!」
悲鳴を上げるガインの前で、アルベルの目が細められた。
その目は怨念に染まり切っており、すでにガインを連れて行くという目的さえ失っていた。
「ならば……死ね」
直後、フローシアの胸に鋭い痛みが走る。
いつの間にかアルベルがフローシアの眼前まで踏み込み、その胸に矢を突き刺していたのである。
「あ……」
「ふ、フローシア!!」
その光景に、ガインが悲鳴を上げながらフローシアの元に這い寄った。
そして、その胸から流れる血の量を見て、言葉を失っていた。
「……」
そんな光景を見ながら、アルベルはガインを掴みあげた。
半ば放心していたガインは、なすすべもなく担ぎ上げられる。
しかし、踵を返そうとしたアルベルの足を、死に体のフローシアが掴んだ。
「ふ、フローシア!」
その光景に、ガイン目を疑った。
夫を連れて行かせるまいと、フローシアはどこにそんな力があるのかと疑いたくなるような執念でアルベルの足を掴んで離さなかった。
「……一度では、死に足りない、ようだな」
その光景に、アルベルはガインを放り投げ、弓に矢をつがえてフローシアの眉間に狙いを定めた。
直後、矢が放たれた。
しかしその矢は、フローディエの眉間ではなく、すぐ傍の地面に刺さった。
「……」
アルベルは自分の足元をみた。
そこには、自分の手元を狂わせた存在がいた。
1人の赤子が、アルベルの足に母が手にしていたナイフを突き立てていたのである。
「お前も、死ぬ、か?」
怪我の痛みなど知ったことではないと、アルベルは再び弓に矢をつがえて引き絞った。
「止めなさい!」
直後、そんなアルベルの背後から剣が振り下ろされた。
とっさに回避しようとしたアルベルは、片足を掴まれ、もう片足にナイフが突き刺さっていたせいで回避が遅れ、その身を切り裂かれた。
「ご、お、おの、れ」
回避しきれなかった刃をわき腹に受け、アルベルがたたらを踏む。
ガインの太刀筋は決して鋭いものではなかったが、文字通り足元を抑えられたアルベルは咄嗟の奇襲を回避しきれなかったのだ。
「もう、いい。お前たち、全員」
そう言って、アルベルは全身から魔力を滾らせる。
だが、直後。
ヒィィィィィィン!!!
鋭い音と共に飛来した矢に、その胸元を射抜かれた。
矢を放った主はセレスティーナ。
迂回したアルベルに対し、正面からエルフの狩人を全滅させたセレスティーナは、真っ直ぐ最短距離をかけながらこちらに向かってきていたのだ。
「な、おのれ、裏切り、もの、が」
そう言い残し、アルベルは倒れ伏した。
「……愚かじゃのう。憎しみに目を曇らせなければ、妾の接近にも簡単に気付いたじゃろうに」
そう言って、セレスティーナはガイン達の元へと向かった。