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かつての友

「……本当によかったのですか?」


 エルフ族の集落を抜けた後、まっすぐに南部へと逃亡しながら、ガインは隣を走るエルフ族の美女、セレスティーナに対してそんな問いをかけた。

 ガインの牢番だったはずの彼女は、有ろうことかガインとの話が終わったのちに彼を脱獄させたのだ。


 しかも目こぼしをするにとどまらず、共に里を脱出するという反逆行為まで行ってである。

 誰がどう見ても暴挙としか考えられない。


「お主はこの森のことを知るまい。

 慣れぬものがこの森を抜けることは困難を極めるうえ、恐らくエルフの狩人たちがお主を追いかけるじゃろう。

 妾の同行なしで逃げ切れはせぬぞ?」


「いえ、そうではなく…」


 里にはもう戻れませんよ?

 そう口にしようとしたガインに対し、セレスティーナはかぶりを振った。


「よいさ。元老院の治めるあの集落の空気は妾には合わぬ。

 今回の一件は、いい機会じゃった」


「…そうでしたか。あなたも」


 こちら側でしたか。

 言葉にしなかったが、ガインはセレスティーナも今のフォルシアンに対して疑念を抱いている人物であることを察した。


 人族によって祖先を天嶮の地へと追いやられたフォルシアンの民は、誰もが多かれ少なかれ人族に対する怨嗟の念を抱いている。

 特にそれは長寿のエルフ族に顕著に表れており、彼らの守る律法からは深い人族への憎しみが見て取れる。


 そして、人族との融和を望む者は破戒者と呼ばれ、良くて生まれ育った集落を追放。

 最悪の場合は処刑されてしまう。


 ガインが人族との融和を望む破戒者だと知られた場合、エルフ族はガインが人族の手に渡る危険性を考えて処刑しただろう。

 それを理解したがゆえに、セレスティーナはガインを脱走させたのである。

 

 もとより、このような行いをした以上、彼女も破戒者となったようなものである。

 そして彼女の言う通り、彼女自身も里の重苦しい空気には耐えられなかったのだろう。


「あのまま里におれば、お主は無理やり武器を作らされていたじゃろう。

 それでも固辞すれば、人質を取ってでも作らせようとするじゃろう。

 それほどまでに、お主が作った剣は凄まじい代物じゃった」


 セレスティーナの目が確かなら、ガインの作った剣は歴戦の勇士が使うためではなく、一般人が竜種と戦えるように作り上げたものに見えた。

 練達の兵士でさえない者が竜燐を貫けるような武器を造り上げられるとすれば、それを可能としたガインの存在価値は計り知れない。


 そして、長寿の種族であるエルフ族には未だに人族に対して深い憎しみを持つ者達が決して少なくない。

 である以上、ガインという極上の宝を前にして、人族に強い憎しみを抱く元老院の連中がどのような狂気に染まった行動をとろうとも不思議はない。


「……ままならぬものですね」


 恐らくはもう十数年後に起こるであろう厄災に備えるために作った剣が引き起こした事態に、ガインはそう感想を漏らした。


「そうさのう。だが、まずはこの森を抜けねばならん」


「逃げ切れますか?」


 ガインの問いに、セレスティーナは頷いた。


「出来る。妾は里の中でも一、二を争う精霊魔法の使い手と自負しておる。

 それはつまり、里の誰よりも遠くを感じ取れるということじゃ」


「左様ですか」


 頷き、ガインはセレスティーナについていく。

 方角を見失いかねない樹海の中を、目の前を走るエルフの美女は何の迷いもなく突き進み、そのまま樹海を突破して見せた。


「まずはこのまま南に行けばいい。

 エルフ族は人族を嫌っておる故、国境付近に行くことはまずありえん」


「分かりました」


 そうして数日間、真っ直ぐ南に下った二人を追うものはいなかった。

 いや、追ってはいたのだろうが、追いつけるものはいなかったというべきだろう。

 そうして、二人は南部の国境付近までの逃亡を成功させた。

 だが、その地にてセレスティーナの鋭敏な感覚が一つの気配を捉えた。


「…ガイン。おかしな気配がある」


「追っ手ですか?」


「いや、追っ手ではない。と言うより、気配の主は単独じゃ」


 フォルシアン南部の国境付近には極端に集落が少ない。

 それはトルデリシア帝国北部に構えられた国境警備軍がにらみを利かせているからである。


 だからこそ、そんなところに単独で何者かがいるということがあり得ないことだった。


「……探りを入れてみたほうがいいのでは?」


「そうじゃのう。危険、ではなさそうじゃしのう」


 そう言って、セレスティーナは気配の持ち主の元へと向かった。

 そして、その先で二人は信じがたいものを目の当たりにした。


 気配の主は、疲弊して倒れ込んでいた人族の女性だったのである。

 ……その出会いは、運命のいたずら以外に何と呼べばいいのか分からないことだった。








「……それが、トリストスさんの母さん?」


 俺の問いに、セレスティーナが頷いた。


「名をフローシアという女じゃった」


「ですが、なぜフォルシアンに人族の女性が一人で?」


 フィナリアの問いに、セレスティーナは答えた。


「並外れた美貌の持ち主じゃったフローシアはあの帝国皇帝……オルバールと言ったか?

 あの者に見初められたが、その婚姻を受け入れられず、フォルシアンへと一人逃げ込んできたのじゃよ」


「……またあいつかよ」


 すでに今は亡き帝国皇帝オルバール。

 フィナリア以外にも当然その魔の手は伸びているとは思っていたが、まさかトリストスの母親ともかかわっていたとは。


「ですが、フローシア様はなぜ一人でフォルシアンに逃げ込むようなことをされたのでしょうか?」


 フィナリアの再度の問いに、セレスティーナは懐かしむようにぽつぽつと語る。


「フローシアは、元々帝国北方の貴族の娘だったらしい。

 そして、かつて人族が裏切り、追いやってしまったフォルシアンの民を常に憂いながら育ったそうじゃ。

 フローシアはオルバールに目を付けられた時点で自害するつもりじゃったらしいが、どうせ死ぬならばフォルシアンの地を一目見たいと、女だてらに関所の無い難所を越えようとしたのだとか。

 妾たちが見つけたのは、今にも衰弱死しそうになっていた時じゃったよ」


 そう言って、セレスティーナはその後の話を続けた。








 

 セレスティーナの魔法で応急処置を終えたフローシアをガインが担ぎ、3人は山の中にある洞窟を拠点にした。

 しばし後目を覚ましたフローシアは、自分が帝国の貴族であり、帝国から逃げ出してきて、フォルシアンの地を一目見て果てたいと思っていたことを語り、セレスティーナとガインの2人にお礼を言って立ち去ろうとした。

 

 そんなフローシアを2人は止めた。

 逃亡事態が成功しているため、これから先は隠れる日々となる。

 となれば別に2人が3人になろうと大した問題ではない。

 

 そして、何よりセレスティーナとガインは生まれて初めて見る人族の女性ともっと語り合いたいと思っていた。

 

「……ありがとうございます」


 そう言って、フローシアを含めた3人の日々が始まった。

 エルフ族がフォルシアンを統括している以上、自分たちはどの民族にも見つかるわけにはいかない。


 そんな3人の生活は、必然的に部族の数が極端に少ない南東方面へと移動していくこととなる。

 国境が近い上に、大山脈と隣接しているフォルシアン南東部に住む部族は極めて希少、3人は共に苦楽を越えながら、その地に小さな庵を作った。






 そして、逃亡から始まった隠遁生活は1年を経ようとしていた。


 そんなある日。


「では、二人とも目を閉じ、心を落ち着けよ」


 セレスティーナの言葉に従い、ガインとフローシアは互いに向き合い、手をつないだまま目を閉じた。

 二人の魔力が交わり、溶け合い、一つとなっていく。


 エルフ族に伝わる秘術『祝福の儀』


 精霊魔法の奥義により、ガインとフローシアの二人の霊絡が繋がりあっていく。

 霊絡を繋ぎ合わせるには、双方に偽りなき強い絆がなくてはならない。

 とはいえ、根が素直なガインとフローシアは、セレスティーナと共に一年の月日、苦楽を共にしてきた。

 

 二人の境界は、まるで初めからなかったかのようにあっさりとなくなっていった。


「そこまで。終わりじゃ」


 セレスティーナがそう言うと、ガインとフローシアは目を開け、互いの状況を確認した。

 

「これが、うわさに聞く『祝福の儀』ですか。

 精霊魔法を極めた方でなければできぬと聞いていましたが、まさかあなたが使えるとは」


 珍しく驚愕に目を丸くしながら、ガインがそんなことを口にした。

 フローシアの方は何が何だか分からない様子だった。


「前にもいったと思うが、妾は里でも一二を争う精霊魔法の使い手じゃ。

 牢番という暇を持て余す仕事についている間、暇つぶしにとほかにすることもなく瞑想をしている日々じゃったからのう」


「……それで出来るほど簡単なものではないと思うのですが?」


 エルフ族の固有魔法である精霊魔法は、他種族には扱えるものではない。

 しかし、だからといって概要程度は他種族にも伝わっている。


 ゆえにガインも精霊魔法の奥義の一つである「祝福の儀」の事は知っていた。

 あれはエルフ族の中でも使える者のほとんどいない超のつく高等魔法であり、使用できればそれだけで族長の候補になれるという代物だと聞いている。

 それはつまり、目の前にいるエルフの潜在能力が現国王に匹敵しているということでもあるのだ。


「まあ、そのようなことなどどうでもよい。せっかくの華燭の典じゃからのう。妾からのせめてもの贈り物じゃ」


「……セレスティーナ様、ありがとうございます」


 そんなセレスティーナに対し、フローシアは頭を下げてそう言った。


「礼は要らん。それより、お主らの子の顔を早く拝みたいものじゃな」


 クツクツと笑いながら、セレスティーナはそんなことを口にした。

 その様子にガインは苦笑し、フローシアは顔を赤らめた。

 

 古来より、異種族の間には子が成しにくいとされている。

 しかし祝福の儀を受けた者は、魔力の共有以外に精霊王の加護から子宝に恵まれることを約される。

 

 個々の寿命が長い反面、生殖能力が極めて弱いエルフ族にとって、この精霊魔法は文字通り種族の存続にかかわる奥義であり、種族の存続のためにも祝福の儀を持つ者が長になるというしきたりが出来ているのである。


 そしてガインとフローシアは、セレスティーナの立会いの下にその祝福の儀を行ったのである。


 理由は単純。

 この一年の間に、ガインとフローシアが互いに惹かれあっていたからである。

 フローシアは元々死地を求めてフォルシアンへと足を踏み入れており、そんな彼女から見てセレスティーナとガインは命の恩人であり、元々フォルシアンに対して抱いていた想いも相まって半ば崇拝に近い念を抱いていた。


 そしてガインとセレスティーナもフローシアから聞く人間界と人族の話に深く興味を示し、長い過酷な隠遁生活の中で三人の絆は深まり、気が付けば年の頃の近かったガインとフローシアは惹かれあっていた。


 共に過ごしてそのことを理解していたセレスティーナは、互いに奥手で煮え切らない二人の背を押して婚姻を結ばせたのである。


「なんにせよ、今日はめでたい日じゃ。

 ささやかながら、宴を開こうではないか」


 セレスティーナの提案に、二人は頷いた。

 その日の晩、三人は夜を徹して語りあった。




 それからさらに三年が経過したある日。

 隠遁生活の中に新たな命が芽吹いた。

 

 フローシアが、ガインの子をなしたのである。


「フローシア。よく辛抱したのう」


 赤子を生んだフローシアを労るようにセレスティーナはそう言った。

 フローシアは息も絶え絶えになりながらも、ガインが抱きかかえている子を撫でた。


「……ありがとう。生まれてきてくれて、本当に」


 その言葉には、深い母性と、それさえも上回る感慨を感じさせた。

 元々人間界にて望まぬ婚姻を結ばされるはずだったフローシアにとって、命を散らすはずだったフォルシアンの地でおこった日々は、例えようもない奇跡だったのである。


「よく頑張った。本当に、よく頑張ったのう」


 フローシアのこれまでの軌跡の全てをいたわるように、セレスティーナは言葉を紡いだ。

 その言葉に、フローシアは赤子を撫でながらセレスティーナの方を向いた。


「……セレスティーナ様」


「今は休め。起きていては身が持たぬぞ」


「……はい」


 そう言うと、フローシアは瞼を閉じ、安らかな寝息を立てだした。


「セレスティーナ様」


 そんなセレスティーナに対し、赤子を抱えたガインが何やら改まって口を開いた。


「なんじゃ? と言うか、なぜ妾に様を付ける?」


「当然のことです。私も、妻も、あなたには返しきれない大恩がありますので」


 その言葉に、セレスティーナは眉を寄せた。


「水臭いのう」


「ですが、恩義があるのは確かです。ですので、私もセレスティーナ様にお返ししたい」


「ん? 何かくれるのかの?」


 冗談半分でそんなことを口にしたセレスティーナに対し、ガインは神妙に頷いた。


「セレスティーナ様に、弓を一つ御造りしたく思います」


 ガインの言葉に、セレスティーナはこれまで浮かべていた表情を引き締めた。


「……いいのか?」


 ガインは本来であれば武器を作ることを是としてはいない。

 本来であれば農具や包丁などを作ることを好んでいる。

 それはこの一年間でよく理解している。

 ガインの作る日用品のおかげで三人は庵での生活を快適なものとしていたのだ。


 だが、ガインはそんなセレスティーナの問いに対して迷わず頷いた。


「セレスティーナ様であれば、力を持ったとしても誤らずに用いることが出来るでしょう。である以上、私が弓を作ることにためらいはありません」


「……しかし」


 そう言ってセレスティーナはガインの抱える赤子に目を向けた。

 それに対し、ガインは頷き答える。


「私も、フローシアも、そしてこの子も、あなたに対して大きな恩があります。その御恩を僅かでも返さなければ、私は父としてこの子の前に立てないでしょう」


 何のためらいもないガインの一言に、セレスティーナはゆっくりと頷いた。

 決意の堅さが、よく伝わってきたためである。


「…どの程度の時が必要だ?」


「1年ほど」


 弓ひとつを作るには長すぎるその期間に、セレスティーナはガインが本気で武器を作ろうとしているのを理解した。

 そして、頷いた。


「ならばその間、お主と妻は妾が守ろう」


「重ね重ね、ありがとうございます」


 そう言って、ガインは頭を下げ、工房へと入っていった。







「蜜月の時とは、あのようなことを言うのじゃろうな。あの時生まれた子が、お主じゃよトリストス」


 懐かしむように、セレスティーナはそう言った。

 その目には深い哀愁が漂っているように見えた。


「……ですが、トリストス様のお母君は」


 そんなセレスティーナに、フィナリアがそう問いかける。

 その問いに、セレスティーナは頷いた。


「ああ。もうこの世におらん」


「…一体なんで」


 昔、リスタコメントスでトリストスの過去の話を軽く聞いたとき、トリストスはドワーフと人族の間に生まれた子だということは聞いていた。

 そして、トリストスの母はトリストスが物心つく前に亡くなったとも。


 そんな俺の疑問に、セレスティーナはしばし間を置いて答えた。


「エルフ族の狩人たちが、妾たちの居場所を突き止めたからじゃ」


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