嵐の前の……
俺たちがシェルビエントに到着してからはや10日目。
相も変わらず魔族たちは散発的に襲撃をかけていたが、今はほとんど問題なく対処できている。
最大の理由は、やはりファーレンベルクにあると言えるだろう。
休息を必要としないファーレンベルクは、今シェルビエントの砦にて魔族を待ち構えて待機している。
そして魔族が現れた場合、誰よりも早くそれを察知して迎撃に向かうのだ。
基本的にはファーレンベルクは俺の命令にしか従わない。
ゆえに俺は今ファーレンベルクに『フィナリアとシルディエの指示に従ってシェルビエントを攻める魔族を迎撃しろ』と命令している。
こういった命令を下した場合、ファーレンベルクはフィナリアとシルディエの指示に従うのである。
そのため現在砦にはフィナリアとシルディエが交代で指揮に入っているのだが、魔族の10名やそこらならファーレンベルクがさっさと焼き尽くしてしまう上、生き残った魔族たちも、シェルビエントの魔導師たちの集中砲火によって突破しきれない。
結果としてフィナリアとシルディエに仕事が回ってくることはほとんどなく、シェルビエントの被害は極めて軽微な状態を維持していた。
「よし。これで終わりだな」
で、俺の方はと言えば、俺たちが来るまでの間シェルビエントの防衛に当たって負傷していた兵士たちの治療をして回っていた。
砦の防衛はファーレンベルクとフィナリア・シルディエの両将に任せておけばいいので、俺は唯一の得手である白魔法を振るいまくっているというわけだ。
フィナリアとシルディエはその武勇と美貌と指揮能力から砦の兵士たちから女神のようにあがめられかけているが、俺も俺で負傷兵たちの間からは崇拝されかかっている。
シェルビエントにも白魔法の使い手は当然いたのだが、俺の白魔法は彼らよりも一枚上手だったらしく、後遺症で動かなくなった手足を動かせるようになったり、手当てが間に合わずに切断する必要ありと判断されていた体を治療することもできたため、シェルビエントの白魔導師から見れば文字通り奇跡を目の当たりにしているようなものなんだとか。
「お見事ですなクウヤ殿」
ここ数日俺と共に治療に当たっていた白魔導師の方が俺にそんなことを言ってくる。
「皆さんもすぐにこれ位できるようになりますよ」
「いやいや、何をどうやっているのか私にはさっぱりです」
などと口にするが、俺から見て隣で治療をしている白魔導師の腕も決して悪いわけではない。
あくまで俺から見た場合の話だが、単純に魔力の使い方に無駄が多いだけで、魔力量も多く、魔力のコントロールも相当に上手い。
そしてその無駄と言うのは、恐らく人体構造の基本を知らないということからきている。
つまり人体構造を教え込めばこの人もひとかどの白魔道士になれる可能性は十分にあると思える。
とはいえ、今そんなことをゆっくり教え込んでいる場合でもないので、とりあえずは保留としているのだが。
「相も変わらず、見事なものですねクウヤさん」
あらかた必要な処置が終了した俺に、砦からこちらに向かって来たフィナリアがそう声をかける。
現在フィナリアはシルディエと24時間交代で砦の指揮についているため、今日は一応休日ということになるのだろう。
「フィナリア。砦の様子は?」
「魔族の襲撃は散発的に続いていますが、ほとんどがファーレンベルクに食い止められています」
「そうか。なら、俺の仕事もひとまず終わりだな」
厳密に言えば白魔導師の仕事に終わりはない。
白魔法は命に係わる重傷から、肩こり腹痛と言った生活的なお悩みまで解決できる万能薬だ。
ゆえに白魔法で解決できる問題に際限はない。
とはいえ、戦時中である中で俺の魔力がスッカラカンになるのはいざという事態に対応できないという事情から、時間経過でどうにかなる程度の不調は俺の元には持ち込まないというルールが出来上がっている。
魔族が砦を突破できない以上、俺に下るのは待機任務になるはずだ。
「とりあえず、休憩するか」
「……はい。そうしましょう」
そう言って、俺とフィナリアは指揮官棟へと戻る。
「で、魔族の襲撃は相変わらずなのか?」
「……はい。幾度か生け捕りを試みましたが、誰もが捨て身でこちらに向かってきていたため捕縛しきれませんでした」
「…そうか」
正直、魔族を生け捕りにできないのは痛い。
一体彼らがなぜあそこまで必死に魔界から逃げ込むように人間界に攻め込んでいるのか、その動機が分かれば魔界のことを知る一助になるかと思っていたが、事はそううまくいかないらしい。
現状の戦力から考えて、下手に生け捕りを考えるとこちらに大きな被害が出かねないのだ。
魔族が降伏しないで捨て身の攻撃を仕掛けてくる以上、俺たちは殲滅するしかないのだ。
「少しでも魔界のことがわかればと思ったんだけどな…」
「……そうですね。魔族の方々は、文字通り問答無用といった様子でした」
熾烈極まりない魔族の侵略には戦法もへったくれもないのだが、そのむき出しの敵意と闘志だけは異常極まりないとしか言えない。
「……」
「……フィナリア。どうかした?」
先ほどから、フィナリアが微妙に上の空と言った感じがする。
受け答えはしてくれているのだが、どうも他の事が気にかかっているように見える。
そんな俺の指摘に、フィナリアはやや間を置いた後、俺の方を向いて口を開いた。
「少し唐突なお話をさせてもらっても構いませんか?」
「お、おう、何だ?」
なぜか神妙な表情を浮かべるフィナリアは、俺がそう答えると、腰を上げて俺の座っていたソファーの隣に腰を掛けた。
その距離はかなり近く、お互いの肩がほぼ触れかかっていた。
「ふぃ、フィナリア?」
「クウヤさんは覚えていますか? フォルシアンで、私が話した私の昔話を」
俺の動揺など知らぬとばかりにフィナリアは話し始めた。
その問いに、俺は頷きながら応じる。
「……あ、ああ。よく覚えてる」
なぜか俺がフィナリアの過去の夢を見て、気になった俺が根掘り葉掘り聞きだしてしまった一件である。
……正直言って、今思い出しても暴挙としか思えない一件だった気がする。
「……クウヤさん。もしかしたらと思いますが、あの夜、クウヤさんも夢を見られましたか?」
「!?」
突如、フィナリアがそんなことを言いだしたため、俺は驚き目を見開いた。
その反応で、フィナリアは俺がフィナリアの過去を見たことを理解したらしい。
「やはりそうでしたか。クウヤさんも、私の過去を見られたのですね」
「……すまん」
自分が悪いわけでもないのだが、フィナリアに対して隠し事をしていたような気分になり、気が付けば俺は謝っていた。
「気にしないでください。クウヤさんに知ってもらえて、むしろうれしかったですから。それに、お互い様です」
「お互い様? もしかして、フィナリアも?」
俺の問いに、フィナリアは頷いた。
「恐らく、祝福の儀を受け、霊絡を繋いだことが原因なのでしょうね。クウヤさんが私の記憶を見たように、私もクウヤさんの記憶を見てしまいました」
「……どんなのだった?」
正直言ってあまりフィナリアには知られたくない記憶もてんこ盛りなのでどんなのが見られたのか恐ろしく気になる。
しかしそんな俺の懸念など杞憂と言わんばかりに、フィナリアは口を開いた。
「……大きな町に、たくさんの人がいました。
シェルビエントの砦のような巨大な建物が乱立する町を、まるで戦場のように人々が犇いている。
そんな光景を見ました。あれほど人があふれかえった町を、私は知りません。
帝都ですら、あれほどではありません。
あれは、私の知る世界ではありませんでした」
フィナリアは、そこまで話すと俺の方を見ながら疑問を口にする。
「クウヤさん。私が見たのは…」
「ああ。たぶん、俺の世界だ」
俺がそう告げると、フィナリアは頷いた。
「やはり、そうでしたか」
そう言うと、フィナリアは俺に背を向け、窓の外を眺めながら口を開いた。
「誰もが黒い髪と黒い目をした人族で、魔法を使う方がいないにもかかわらず町には光が満ちていました。
あれが、クウヤさんの生まれ育った世界なのですね?」
「……ああ。そうだ」
俺が肯定すると、フィナリアはしばし黙していた。
「以前、クウヤさんが異世界人だと名乗った時に、私はそれを言葉の上では理解していました。ですが、今は……」
「俺が本物の異世界人だって、実感がわいた?」
俺の問いに、フィナリアは頷き応じた。
フィナリアはこの世界に生まれ育ち、他の世界の存在など考えたこともない日々を送っていた。
そんなフィナリアが、いきなり心の底から俺が異世界人だと信じられるはずなどなかったのだ。
だが今は違う。
霊絡を繋いだせいかどうかは別問題として、フィナリアは俺の過去を幻視し、俺が異世界人だということを頭ではなく心で理解したのだ。
「クウヤさん。あなたは、この世界を救うために、女神さまに送られ、この世界へやってきた。そうでしたね?」
「ああ。そうだ」
突然の質問に俺がそう答えると、フィナリアは窓を見ていた視線をこちらに戻し、再び問いを口にした。
「では、この世界が救われたとして、クウヤさんはどうされるのですか?」
その問いに、俺は凍りついた。
それは、帝国との決戦前夜に頭に浮かび、戦いの邪魔になると放棄したものだったからだ。
「フィナリア、それは」
俺は元の世界で生き返るためにこの世界へやってきた。
である以上、世界を救った俺の報酬は、間違いなく元の世界へと戻ることとなる。
両親や友人を始めとするたくさんの人を向こうにおいてきた以上、そのことに不満は無い。
だが、もしそうなったとして、俺はこの世界のことを思い出の中に仕舞い込むことが出来るのか?
はっきり言って、この世界での日々は、元の世界以上に俺自身が生きているということを実感できるほどに濃密な日々だった。
トリストスと、バストラングと、シルディエと、ジェクト将軍と、セレスティーナと共に戦い、ドルガー将軍に未来を託され、そして、フィナリアと共に過ごしたこの世界での出来事を、忘れることなどできるはずがない。
だけど。
「……ごめん。フィナリア。俺にも分からないんだ。もし、世界を救うことができたとして、そのあと俺がどうなるのか、なんてことは」
そもそも、未だもってどうすれば世界が救われるのかが分からない以上、俺にはどうすることもできない。
これまでの戦いがそうだったように、これから先の戦いも、全身全霊をもって挑まなければならないものなのは間違いないのだ。
「……分かっています。このような質問は、意味のないものだということは」
俺の言葉に、フィナリアはそう言った。
そして、再び俺に向き直り、その唇を動かした。
「もしかしたら、クウヤさんが私たちの住むこの世界を救った後に、元の世界に帰ってしまうのではないか。あなたの夢を見てから、私はずっとそのこと考えていました」
「……あの時から?」
その言葉に、俺はフォルシアンでフィナリアに抱きしめられたことを思いだした。
「フィナリア。君は、あの時からずっと俺が元の世界に帰ってしまう可能性を考えていたのか?」
「……はい。魔族との戦いが近づいているとあって、どうしても今のうちに話しておきたくなりまして」
そう言うと、フィナリアは俺にもたれかかってきた。
フィナリアの艶やかな長髪が俺の耳に当たり、鼻孔を花のような香りがくすぐった。
そんな状況だというのに、俺の鼓動は高ならなかった。
それは、フィナリアが今何を考えているかが如実に伝わってくるからだろう。
フィナリアは、薄々と俺との別れを察しているのだ。
「クウヤさんが私とは違う世界の住人だということは理解しています。
もしかしたら、世界を救ったのちに、お別れになることも……。
だから、せめてクウヤさんがこの世界にいる間だけは、どうかお傍に居させてください」
真摯に、ただひたすら真剣に、フィナリアは俺にしなだりかかりながらそう告げた。
いつの間にか俺の手を握りながら、決して離れたくないと、縋るかのようにそう告げた。
「……うん。俺も、俺からも、頼む」
俺の手を握るフィナリアの手はいつもひやりとしていたはずなのだが、今だけはとても暖かかった。
その温もりを、俺はいつまでも感じていたいと思い、俺もその手を強く握り返した。
いつまでもそうしていたいと思ったが、しかしそれは状況が許してくれなかった。
コンコン。
ドアをノックする音が耳に届き、俺とフィナリアはどちらからともなく立ち上がって振り向き、口を開いた。
「どうぞ」
俺たちがそう言うと、扉が開かれて一人の兵士が敬礼しながら口を開いた。
「お休みのところ申し訳ございません!」
「構いません。ご用件は?」
フィナリアの問いに、シェルビエントの兵士は敬礼をしたまま答える。
「は! ただいま、連合軍の本隊の方々が到着されたとの報告がありました!」
「本隊が?」
その報告に、俺はフィナリアの方を向いた。
フィナリアも俺の方を向いて頷いた。
「今その本隊はどちらに?」
「部隊長を名乗る方々が、コルダイン様の元に集まっております! お二人も可能であればご出席願います!」
「分かりました。すぐに向かいます」
「恐れ入ります!」
そう言うと、兵士は案内するように俺たちを先導してくれた。
一度行ったことがあるとはいえ、コルダイン王の執務室には指折り数える程度しか足を運んでいないため、俺はまだ道のりを正確に覚えていない。
「……」
俺の前を歩くフィナリアの背を見ながら、俺はただ黙って歩きながら考え込んだ。
女神レンシアは、俺が生き返るための対価としてこの世界の滅びの定めを解けと言っていた。
ならば、逆に俺がこの世界に移り住めるように願うこともできるのではないか、という考えが頭に浮かぶ。
しかし、頭に浮かんだその考えに、また一つ別のノイズが混じった。
俺は、元の世界に残してきたものがある。
決して裕福とは言えないながらも、人並みに幸せな生活を送らせてもらってきた家族と友人たちがいる。
その誰もが、恐らくは俺の死を悼むだろうことを考えると、そんな願いを抱くことがおこがましくさえ思えてくる。
(俺は、どうするべきなんだ?)
自分の死を嘆く家族たちを捨て置き、この世界で生きるか。
それとも、今まで以上に生きていることを実感できるこの世界を捨てて、俺の死を悼んでいるだろう家族や友人たちの待つ世界へと戻るべきか。
どちらを選んでも、のこされたもう一つの世界の事が背に引っかかりそうな状況に、俺の思考は堂々巡りに陥っていた。
そうこうしている間に、コルダイン王の執務室が存在している管理棟が見えてきた。
……こんなことを考えている時間はなさそうだ。
それに、俺にはまだ何を持って世界を救うのかが分からない。
だから、報酬のことを考えるのは後回しでもいいはずだ。
恐らく魔族は帝国以上にその滅びの因果にかかわっていることだろう。
何しろ、魔族は俺が帝国より先に危険視した相手なのだから。
そんなことを考えながら、俺は案内された執務室の扉を開ける。
部屋の中には、魔族と戦うためにこの地に集った同志たちが集まっていた。