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2人の傑物

「ドルガー将軍の、最後ですか」


 師匠の問いにしばしの沈黙が場を支配した後、俺はそうつぶやいた。


「……ロウセイ様。それは、父の友としての質問ですか?」


 シルディエの問いに、ロウセイ師匠は否定も肯定もしなかった。


「ドルガー・グランガイス。あいつは、帝国貴族の中で唯一わしを認め、わしが認めた男だ。友としてもそうだが、一人の人物としても、わしはあの男を認め、敬っていた」


 天井を眺めながら、ロウセイ師匠はそんなことを口にした。

 その言葉には、深い哀愁がまとわりついているように思えた。


「父は」


 そんなロウセイの問いに、シルディエが口を開いた。


「帝国民と、人間界を案じ、古き怨讐の化身である帝国の全てを道連れにし、私たちに未来を託して逝きました」


 未だに心の傷がいえないだろうシルディエは、しかし何のためらいもなくそう言い切った。


「……あいつは、帝国将軍として恥じぬ生き方を貫いたのか?」


 ロウセイの問いに、シルディエは頷き答えた。


「はい。帝国臣民のために、父が出来る最後の仕事は、新たな時代のための礎となることだったのだと思います。そして、同様に、武人として、私たちに命を賭して最後の稽古をつけてくれました。そんな父の最後は、まぎれもなく帝国史に名を残す将軍の姿でした」


 そう口にしたシルディエの言葉に、ロウセイは天井を眺めながら一言つぶやいた。


「あの頑固者め。やはり、そういうことだったか」


 天井を眺めるロウセイ師匠の瞳にはいくつもの感情が浮かんでは消えて行っていったように見えた。

 

「師匠」


「なんだ?」


 師匠なりに思うことがあるのは分かっているが、気が付けば俺は口を開いていた。

 どうしても、ロウセイ師匠とドルガー将軍の関係が気になったからだ。


「師匠と将軍って、どんな繋がりがあったんですか?」


 今聞くべきことではないと思いつつも、今以外に聞けるタイミングもなさそうなので、俺はそんな問いを投げかけた。

 そんなぶしつけな問いに、しかしロウセイ師匠は特に嫌そうな顔もせずに答えた。


「面白い話ではないぞ? それでも聞きたいか?」


 俺たちを見ながらロウセイ師匠はそんなことを口にしたが、シルディエとフィナリアも異論はなさそうだった。


「…まあ、こんな時くらい、思い出話に華を咲かせるのもいいか」


 そう言って、ロウセイ師匠は語りだした。

 将軍と、師匠の間にあった出来事を。


 






 帝国東部の武人は誰かと問われれば、100人が100人ドルガーの名を出すだろう。

 しかし帝国東部に現れた最強の将軍に誰もが目を向ける中、帝国西部にも一人の怪物が存在していた。


 ドルガーと異なり民兵だった彼は、初陣から負け知らずの怪物だった。

 野党が相手でも、魔物が相手でも……否。砦が相手でも、魔物の巣窟が相手でも、彼は決して敗北することはなかった。


 その民兵の名はロウセイ。

 15のころから数えきれない数の武勲を挙げたロウセイは、次から次へと過酷な戦場へと送り込まれていったが、その全てを無敗で切り抜けた。

 

 そんなロウセイは、ある時魔物の討伐依頼の道中で帝国の魔導師部隊と活動を共にしたのだが、その際に魔法というものを目の当たりにし、有ろうことか数度それを見ただけで模倣してのけた。


 そんなロウセイの才覚は帝国軍内に響いていたが、正規軍ではなく民兵上がりという身分の問題があり、ロウセイ自身も魔道の探求に興味がなかったということもあり、特に日の光を浴びることなくその日々を送っていた。


 そんなある日のことである。

 帝国内で、ロウセイはとある人物に声をかけられる。

 その人物こそ『竜号』によって帝国の将軍に取り立てられたドルガー・グランガイス。

 

 一介の民兵であったロウセイと、竜号を防いだ英雄。

 本来であれば何の接点もあろうはずもない。

 だが、帝国貴族として迎えられたドルガーは、民兵でありながら帝国軍内にて名を響かせるロウセイという人物に並々ならぬ興味を覚え、声をかけるに至ったのである。


 その日の晩、二人は盃を交わし、ロウセイは帝国の上級貴族となったドルガーが召し抱えることとなる。

 とはいえ、そんなお題目など二人の間にはあってないようなものだった。


 ドルガーがロウセイを召し抱えた理由は単純、自分の訓練相手がほしかったからである。

 そしてロウセイ自身も自分が身に着けた魔法を試すのに絶好の相手が出来たことで魔法の才能をさらに開花させる。

 

 二人の超人は、はたから見れば殺し合いのような非常識な手合せをしながら日々を過ごし、互いが切磋琢磨していった。

 これまで日の目を浴びることの無かったロウセイは、いつしかドルガー将軍の抱える最強の魔導師として帝国にその名を轟かせることとなる。

 その才は、最早隠そうとも日の目を浴びるほどの大きくなっていたのだ。


 だが、ある日ロウセイは帝国を追放される。


 その経緯はこうである。

 ドルガーとの死闘とも呼べる訓練の日々の中で、ロウセイは自分の魔力が際限なく増え続けている事に気がついたのだ。


 そのことを気にかけたロウセイは『魔導師としての素質は先天的に決定づけられる』という定説に疑問を覚え、ドルガーの配下数名に対して魔法を教え込んだ。

 

 結果、当時魔法の才能無しと言われていたゼインを始めとする多数のドルガーの配下たちを、ロウセイは一流の魔導師として大成させる。

 その実績をもってロウセイは帝国の定説に一石を投じた。


 だが、結果としてロウセイは失脚することとなる。

 帝国内ではそれが正論であるかどうかはどうでもいいことであり、魔導師たちの中で最高の権力を持つ魔道総師のロイルド・インディオスを始めとする魔導師たちの権力者たちによってロウセイの立てた論理は叩き潰されたのだ。


 その結果としてロウセイは帝国内で正しい魔道を極め広めることは不可能と見切りをつけ、帝国を後にすることとなる。

 そんなロウセイに、帝国側は追放と言うレッテルをはりつけた。


 もとより一民兵出身であったロウセイに、帝国に対する執着は薄く、帝国から見ても、元民兵のロウセイを帝国に止めたいとは思っていなかった。








「要するに、わしとドルガーは互いによき競い相手であり、真摯に力と向き合っていた友であったのだ。奴がいなければ、わしは今ほどの実力を持ってはいなかっただろう」


「……それは、恐らく父上も同様でしょう」


 シルディエの言葉に、俺とフィナリアも頷いた。

 ドルガー将軍の実力は文字通り桁が外れていた。

 バストラングを正面から打ち破り、フィナリアとファーレンベルクの攻撃を真正面から受けた状態でトリストスと打ち合い、ジェクト将軍を一騎打ちで打ち破ってのけた。


 正直言って万全のドルガー将軍を一騎打ちで倒せる人物を俺たちは知らない。

 少なくとも俺たち連合軍内にはいないのだ。


「あいつのことだ。お前たちにもたくさんの置き土産を残したと思うが?」


 ロウセイの問いに、俺たちは再度頷く。

 帝国の支配体制を打ち砕き、帝国最強の軍を俺たちに託し、帝国貴族たちの抱えていた財を残し、そして俺たちにその遺志を委ねたドルガー将軍から受け取ったものは計り知れない。


「ドルガー将軍がいなければ、俺たちは今よりも随分苦しい状況で魔族と戦うことになったでしょう」


「だろうな」


 そう言って、ロウセイ師匠は笑った。

 その目には、もう何の悔恨も見て取れなかった。


「さて、この話はもう終わりでいいだろう。

 もう一つ聞きたいことがある」


 しばしの休息の後、ロウセイ師匠はそんなことを言いだした。


「はい、何でしょう?」


「炎鳥から感じ取れる魔力が異様に強くなっておったが、一体何があった?」


「あ、ああ、そのことですか」


 師匠の問いに、俺はどう説明したものかと思案する。


「フォルシアンで加護を受けたんですよ」


「加護?」


「はい。具体的には……」


「エルフの女王セレスティーナ様に、私とクウヤさんの霊絡を繋げてもらい魔力を共有したのです。その結果として、クウヤさんからファーレンベルクへと流れる魔力量も増え、その力が解放されました」


 俺が言いあぐねていると、フィナリアが端的にそんな説明をした。


「む? 霊絡を繋いだだと?」


 フィナリアの説明に、ロウセイは俺とフィナリアを見ながら目を凝らす。

 そしてその目が驚愕に見開かれる。


「これは驚いた! 本当に魔力が共有されておる!」


 珍しく驚愕と喜色を浮かべるロウセイ師匠は、興味深そうにこちらを眺めまわす。

 ……魔力が共有されているって、そんな事見てわかるものなのか?


「……どういうことなの?」


 話について来ていないシルディエが眉を顰めながらそんな問いを口にする。

 俺以外の誰かが話についてこれないのは初めてのことだ。


 そんなシルディエに、ロウセイが喜色を浮かべたまま説明する。


「霊絡というものがなんなのかシルディエは知っておるか?」


「いえ、初耳です」


「じゃろうな。この霊絡というものはフォルシアンでしか広まっておらん概念じゃからな」


「……それは、どのようなものなのですか?」


 シルディエの疑問に、ロウセイは頷き答える。


「フォルシアンのエルフ族には精霊魔法と呼ばれる魔法が存在しておってな、自ら魔力を手繰るのではなく、精霊に魔力を分け与えることで魔法を紡ぎあげる技法が存在しておる。

 霊絡とは、精霊と魔導師を繋ぐ魔力の経路と呼べるものだ。

 ここまでは解るか?」

 

「……言葉の上でなら」


「というか、師匠はなんでそんなに詳しいんですか?」


 霊絡などの精霊魔法関連の用語はフォルシアンの民でなければ知りえないものだ。

 なぜロウセイ師匠が知っているんだ?


 そんな俺の問いに、ロウセイ師匠は。


「帝国を追放された後に武者修行でフォルシアンに行ったんだが、そこで教わった」


 と答えた。


「……師匠、フォルシアンに行ったことがあるんですか?」


「そんなことはどうでもいいとして、霊絡は体中を流れる魔力の流れを定めるものだと聞いている。

 そして、精霊魔法の練達者は他人同士の霊絡を繋ぐすべを持つという」


 人族を嫌悪しているはずのフォルシアンに行ったことをそんなことで片づけ、ロウセイ師匠はそんなことを口にした。


「……つまり、複数名の魔力を共有することが出来るということですか?」


 そんなやり取りの中で相も変らぬ飲み込みの速さを発揮するシルディエにロウセイは頷く。


「フォルシアンの知己によれば、その契約の事を『祝福の儀』と呼んでいるらしい」


「……」


 ロウセイ師匠の見識はどこまで広いんだ?

 シルディエの反応からして霊法などの概念は人間界には全く浸透していないのは明白だ。

 だというのにロウセイ師匠は的確に『祝福の儀』の存在を言い当ててのけた。

 

 フォルシアンに知己がいるというのは本当の話らしい。

 

「いずれにせよ、炎鳥が進化しておるのはそういう理由か。

 魔力を注いだ分だけ強くなるというのなら、なるほどお主一人の魔力よりもフィナリアと共有した方が強くなるのは当然だな。

 セレスティーナと言うのか。いつか会ってみたいものだな」


 そう言うと、ロウセイ師匠は立ち上がった。


「おおよそ聞きたいことは聞けた。わしは行くとする」


「行く? 行くってどこに?」


 俺の問いに、師匠は立ったまま答える。


「わしはわしで備えねばならんことがある」


「……それは、魔族との戦いのためですか?」


 気が付けば、俺はそんなことを口にしていた。

 だが、そんな俺に師匠は振り向き答えた。


「まあそうだ」


「それは、魔族を滅ぼすために?」


 俺の問いに、しかしロウセイ師匠はかぶりを振った。


「戦うからといって敵を滅ぼさなければならんわけでもあるまい」


「…え?」


 ロウセイ師匠の言葉に、俺はそんな間抜けな声を上げた。

 てっきり師匠も魔族を殲滅するために戦うのかと思っていたからだ。


「何を呆気にとられている? 魔族を滅ぼさなければならん理由でもあるのか?」


「いや、それは…」


 むしろ、俺は戦うよりもまず魔族を知りたいと思っている。

 魔族が、真に邪悪な存在なのかが俺にはまだ分からないからだ。

 そんな俺の内心を見透かしたのか、ロウセイ師匠は踵を返しながら口を開いた。


「殺すだけの武など無粋。共和のために振るわれてこそ、武は真の価値を発揮する。わしはそう考えておるよ」


「…師匠」


「安心しろ。いざというときには、必ず駆けつける」


 諭すようにそう言うと、師匠は部屋の窓を開け放った。

 直後、その姿が掻き消えた。


「「…………」」


 その光景に、俺だけではなくフィナリアとシルディエも絶句している。

 ロウセイ師匠の実力は、俺だけではなくフィナリアとシルディエもぶっちぎっているらしい。

 

「父上って、ロウセイ様と互角だったの、のよね?」


「師匠からはそう聞いてますね」


 俺の答えに、シルディエは暫し眉をひそめた後、少しだけ表情を和らげた。


「やはり父上は私たち相手に全力を出していなかったのね」


 その一言に、俺とフィナリアは頷いた。

 ドルガー将軍がロウセイ師匠に並ぶ怪物だとしたら、俺達が相手になるはずないのだ。


 そして、そんな飛び抜けた力を持つロウセイ師匠が魔族を排斥するつもりではないということが俺の心に涼風を送り込んでくれたような気がした。













「ひ、ヒイィィィイアアアア!!!!」


 時同じころ、シェルビエントの遥か東の黒くひび割れた大地に魔族の絶叫が響き渡った。


 人族と隔絶した身体能力を持つ獣人族を上回る身体能力をもつ魔族たちは、単純な身体能力だけでいえば文字通りの怪物である。

 そんな魔族たちは、しかし魔界から人間界へと逃げるように西へとむかっていた。


 否、魔界からではなく、数名の同族から、である。


『雷刃!』


 逃げ惑う魔族たちに雷の刃が襲い掛かる。

 それを察知した魔族が恐ろしい速度で迫りくる雷の刃を見切り回避しようと大きく横に跳んだ。


 しかし。


「はっはあああ!」


 直後その雷の刃が急旋回し、回避した魔族に襲い掛かった。

 ただでさえ習得者の少ない雷魔法を扱い、しかもそれを遠隔操作してのけたその魔族は、直後5つ同時に生み出し、同様に逃げ惑う魔族たちに叩き込んだ。


 恐ろしいことに遠隔操作される6枚の雷の刃は魔族1人を仕留めただけではほとんど威力が落ちておらず、目にもとまらぬ刃が次から次へと魔族たちに襲い掛かる。


 ほとんどの魔族はすんでのところで刃を回避していたが、それは所詮一撃のみ。

 折れるように軌道を変える雷の刃は、次から次へと逃げ惑う魔族たちを切り裂いていった。


「終わりだ」


 雷の刃を操る魔族がそう告げると、逃げ惑う最後の魔族めがけて6枚の刃が殺到する。

 …回避など、出来るはずがなかった。


「ギャアアアアアア!!!!」


 断末魔の叫び声をあげ、逃げ惑う最後の魔族が倒れ伏した。

 その体はあちらこちらに切り傷が見て取れたが、死因は明らかに雷に全身を撃たれてのものだった。


「さて、終わりか?」


「終わりか? じゃないでしょライオス。全滅させる必要はないのに無駄な戦いをして」


 雷を操った魔族に1人の女魔族がそう声をかける。


「は! 何言ってやがるセネル! 久々の喧嘩だってのにちまちま遊んでられるかよ!」


「…喧嘩でも遊びでもないんだけど、まあ、仕事はこなしてるわね」


 転がる魔族の亡骸を見渡しながら、裂将セネルはそう言った。

 そんなセネルに、雷将ライオスは問いをかける。


「で、後どこだ?」


「あとは、あの山の向こうのアハド族が最後の……」


 セネルがそう口にして一つの山を指さしたとき、その先で曇天が覆う魔界が赤く染め上げられた。

 大地から真っ赤に溶けだした溶岩が上空めがけて吹き上がったのだ。


「……終わった?」


「…イファール様以外に気配はないわね」


 セネルがそう告げると、ライオスはため息を吐いた。


「俺より明らかにあの人の方が派手に暴れてないか?」


「イファール様の魔法は派手だから、他の抵抗勢力に対するけん制にもなるのよ」


「つってもアハド族が最後の抵抗勢力じゃあなかったのか?」


 ライオスの指摘にセネルも黙り込む。

 イファールが台頭するまで魔界を牛耳っていた三柱の魔王のうち、竜人王ガイアスと悪魔王テオローグの二柱を屠ったイファールは、すでに魔界内で知らぬ者のいない存在である。

 

 吸血皇王ヴィラルドが人間界から帰らぬ今、イファールは事実上魔界最強の魔王となっており、ほとんどの魔族がイファールに対して逆らうような真似をしなかった。

 

 抵抗していた勢力は、かつて三柱の魔王たちに煮え湯を飲まされていた魔界の勢力である。

 魔界を支配してきた三大勢力の崩壊は、そのまま魔界の動乱にも直結した。

 ゆえにイファール達は魔界の覇権を握ろうとする者達を再度支配しなおすために人間界に攻め込むことが出来ずにいた。

 

 しかし、その抵抗勢力として最後に残っていたアハド族をイファールが滅ぼしたため、魔界の統一は現時刻をもって完了したのだ。

 

「さて、これでいよいよってことになるのか?」


「…まずはイファール様と合流。話はそれから」

 

「そうだな。よし。乗れ」


 ライオスがそう言うと、セネルは特に反論するでもなくライオスの肩に飛び乗った。


『瞬雷』


 ライオスがそう唱えると、直後地面に雷が走った。

 かと思うと、二人の姿は掻き消えていた

 地面を走る雷は、真っ直ぐ大噴火の起こった山の向かいへ飛んで行った。







「イファール様」


 熱気の立ち込める大地にたたずむ一人の魔王に、ライオスの肩から飛び降りたセネルが声をかける。

 魔王イファールが佇む大地は所々が赤く染まっており、赤く染まった地点からは凄まじい熱気が放たれている。

 

 戦いの終わった際の爪痕でさえこれなのだ。

 まともな判断力を持つ者達であれば戦おうとさえしないはずだ。

 最後まで抵抗を続けたアハド族はおろかとしか言えないとセネルは思いながら歩み寄る。


「そちらも終わったようだな」


 歩み寄るセネルに、イファールがそう問いかける。

 頷き、セネルはイファールの前に跪く。


「イファール様。何もあなたが出向かずとも、私達だけでもどうにでもできたものを、なぜ出向かれたのですか?」


 セネルの問いに、イファールは魔界の大地を眺めながら口を開いた。


「セネル。ライオス。お前たちは、この魔界の大地をどう思う?」


「……?」


「どう、ってのは?」


 イファールの問いに、セネルとライオスは首を傾げる。

 そんな二人を差し置き、イファールは言葉を続けた。


「5000年前、この大地の東の果てに巨大な隕石が落ちたという伝承が残っているのは知っているな?」


「…はい」


 それは、魔界に生きる誰もが、と言うより、この大陸に住む誰もが知る歴史。

 かつて自分たちの祖先をこの大地に追いやった災害戦争が引き起こされる原因となったその一件は、魔界に生きる者達の間にも口伝として受け継がれてきた。


「以来5000年間、この魔界には一切の緑息吹かぬ黒くひび割れた大地が広がっている」


「……」


 イファールの言葉にセネルは黙したまま耳を傾ける。

 それは魔界に生きる者達が生まれながらに享受している環境であり、誰もそんなことに疑問を抱くことなどなかったからである。


「5000年前から、この魔界には緑芽吹かぬ焦土が広がっている。だからこそ、我々魔族は日々を生きることに没頭し、魔物を喰らい、同族同士で殺し合いを続けている。このような大地に住めば、否応なしにそうなる」


 そう言って、イファールは西の空を眺めた。


「殺し合いこそが魔族の歴史だというのなら、その歴史を覆すためには肥沃な人間界が必要不可欠だ。それも、一にも早くに。さもなくば、魔界には新たな内乱の芽が芽吹くだろう」


「……その通りです」


 セネルがそう答えると、イファールは踵を返した。


「魔界の不穏分子は全滅した。次は人間界だ。用意が出来次第攻め込むぞ」


「へへ。ようやくですかい旦那」


 イファールの言葉に、セネルの隣でライオスがそう言った。


「ああ。長く時間がかかったが、ようやくだ」


 歩みながら、イファールは重々しく一言口にした。


「イルアムからの報告によれば、人間界の戦力が砦に集結しているらしい。その者達さえ滅ぼせば、人間界はたやすく手に入れられる。遠慮は無用だ」


 イファールの言葉にライオスは喜色を示していた。

 反面セネルは懸念を抱いていた。


 イファールは、現在名実ともに最強の名を欲しいがままにする魔界に君臨する魔王である。

 そんなイファールは、しかし常に人間界を強く警戒している。


 だがその理由も分かる。

 悪魔王テオローグは人間界を襲撃した後に撤退し、吸血皇王ヴィラルドは人間界にて滅ぼされた。


「……イファール様」


「なんだ?」


「イファール様は、この戦いの勝利を確信されておりますか?」


 セネルの問いに、イファールはしばし黙した後に応えた。


「分からぬ。人間界の戦力は、断じて侮れるものではないからな」


「左様、ですか」


「だが」


 重くそうつぶやくセネルに、しかしイファールは言葉を続けた。


「負けるつもりなどない。人間界の戦力が未知数とはいえ、この一戦に魔族の未来がかかっているのだからな」


「へへへ。燃えてきたな」


 イファールの言葉を聞き、ライオスがさらに喜色を露わにする。

 だが、やはりセネルの懸念は消えなかった。


 人間界の勢力がこちらの想像を上回るほどの戦力を保有していたとしても、恐らくイファールは戦いをやめないだろう。

 それこそ、どのような手を使ってでも勝利をもぎ取るだろう。

 

 そのために、いかなる対価を支払おうとも。


「イファール様、どうか無理だけはなさらないでください」


 つぶやくようにそう告げたセネルの言葉は、しかし誰の耳にも届くことはなかった。

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