止月定の崩落世界
すっ、と体が軽くなるような感覚で目が覚めた。
しばらく頭が働かなかったが、すぐに球技部長四天王をなぎ払い、剣道部長の騎士地炎火をどうにか倒した後、何者かによってダウンさせられたことを思い出した。
立ち上がり辺りを見回したが、騎士地の姿はない。ただ、先の戦闘で使用した竹刀が二振り、主を失って転がっているだけだった。
私はその片方を拾い上げ、ここの真上、三階の渡り廊下で集団戦闘を行っているであろう文化部会を援護すべく、元来た道を引き返した。
戦況は、芳しいものとは言えなかった。
一般生徒だけなら私、描ノ手猫と科学部長の阿出川出光、演劇部の大利根涼代だけでどうにかなっていたが、男子バスケ部長が現れてから流れが一変した。
彼の異能『追影』で次々とこちらの一般生徒がダウン、阿出川までが倒された。
運動部会の一般生徒に化けた大利根さんが隙を突いて刺し違えるまでその猛攻は続き、こちら側の一般生徒は約半数以下、部長格や能力持ちは私と、この場に居なかった不平等院否、運動部会の本丸に殴り込みに行った止月生徒会長兼演劇部長だけになってしまった。
しかも先ほど、PC室で監視カメラを見張っているPC部から、あと数分で運動部会の生徒が約二十人、こちらへ向かっているとの情報が入った。
『猫真似』を使えば、一対一の力比べなら体力が持つうちはどうにかなる。しかし、その二十人の中に能力持ちがいないとは考えにくい。
「絶体絶命、ね」
そこで立てた作戦がこうだ。敵を足止めするように一般生徒数人ずつを廊下に一定間隔で配置、一度に多くの敵が流れ込まないようにして、奥まで入り込んできた敵を、私と五人の一般生徒で叩く。
敵の全体量が多ければジリ貧だが、少数ならこれで相手をできる。その間に止月さんに運動部会の王を仕留めてもらい、戦争を終わらせてもらえればいい。
もしそれが叶わなくても、私が少しでも長く生き残れば、それだけ美術部に落ちる部費が増える。
「頑張って……止月さん」
小さくつぶやき、近づく足音に顔を上げる。私は迎撃を開始した。
まず現れたのは、男子生徒が三人。アイコンタクトを交わし、手馴れた様子で私を取り囲む。三角形の外には味方がいるが、隙のない陣形に阻まれて迂闊に近づけそうにない。
おもむろに三角形の一人が、ポケットから真新しいテニスボールを取り出し、サッカーボールでするようなリフティングを始めた。
相手が少しでも攻撃を仕掛けてくれば『猫真似』で対抗できるが、初動だけはそれが使えない。第一波だけは、なんとしても避けなきゃならない。私はリフティングを続ける男子の一挙一動を見逃すまいと、半ば睨みつけるように目を凝らしていた。
だから、よけられたのはほとんど奇跡のようなものだった。
「先輩、後ろ!」
今まで完全に外野だった美術部の後輩に叫ばれて振り向くと、死角になっていた一人が、今まさに私に向かって別のテニスボールを蹴り当てようとしていた。
一直線に飛んできたボールを間一髪かわしたが、無理な姿勢をとってしまったためバランスを崩し、尻餅をつく形で倒れてしまった。起き上がろうにも、足をひねってしまったらしく、力が入らない。
やられる、そう思ったとき廊下を風が吹き抜けたような気がした。少し遅れて、電子音の三重奏が響く。
私を助けたのは、不平等院否だった。
「一般生徒を退かせろ」
「え?」
「大体の作戦は知っている。二十人程度、私一人で十分だ」
「……わかったわ。あたしはもう動けないからね。コン部、こちらA‐0。伝達。一般生徒を退かせて」
『猫真似』をまだ元気な一般生徒に使い、多少無理をしながらどうにか廊下の端まで歩き、壁にもたれかかるように床に座った。
「そこに座っていろ」
「言われなくてもそうするわよ」
まばらに味方の一般生徒が退却を始めていた。気持ちだけ数が減ったような気がするけれど、大したダメージは受けていなさそうだ。
戻ってきた中から美術部の後輩が一人、こちらへ駆け寄ってきた。
「敵の数は約四十、途中の援護で数が増しました!」
「お疲れ様。しばらく休んでいて」
「はいっ、先輩も、お疲れ様であります!」
「うん、ありがとね」
後輩は一礼し、くるりと向きを変えて去っていった。
あの子は今年入った一年なのだけれど、礼儀正しくて気も利くいい子だ。何よりとても可愛い。一日中膝に乗せて頭を撫でていたい。ハアハア。
……いつの間にか、戦闘が始まっていた。
それは、とても一方的なものだった。
不平等院否は、一対四十という圧倒的な数量の差の中、全方位を囲まれているのにも関わらず、かすり傷一つ負っていなかった。
それどころかブザーの音は一つ止まればまた鳴り出し、それが止む頃にはまた二つ鳴り始めていた。
単調なオーケストラの中、汗もかかず、踊るように、ふざけるように、次々と一般生徒を沈めていった。それはとても、今まであたしが描いたどの絵よりもずっと、美しかった。
最後の電子音が鳴りやんだとき、不平等院否は横たわる一般生徒四十人の中に、死体に囲まれる殺人鬼のよう佇んでいた。
「立てるか?」
不平等院否に手を差し伸べられた。あたしなど置いていってしまうものだとばかり思っていたので、しばらく反応できなかった。
「あ、ありがと」
手をとりどうにか立ち上がると、彼女の肩ごしに、何か細長い物を持ってこちらに走ってくる影が見えた。
不平等院否、だった。
「戦線が移動しているのではないかと思って引き返したというのに、遠回りしてしまったな」
竹刀を手に、三階の渡り廊下を文化部会の本部側に向かって走っている。
結局二階の廊下を引き返すことはせず、近くにあった階段で三階に上がってから足音のする方向に向かったのだが、動いている人影を見つけたときにはほとんど廊下の端まで来てしまっていた。
どうやら二人いるようで、立っている方が座っている方に手を差し伸べている、と思ったが、違うようだ。
ブザーが鳴り、美術部長と思しき汚れたエプロンを着た人物はその場に崩れ落ちた。
手を差し伸べていた方はこちらを一瞥してニッ、と嗤うと、奥、美術室のある方へ走っていった。
私はそれを追いかけた。追いかけざるを得なかった。
その人影には、人影だと思っていたものには、頭も腕も脚もなく、ただこの学校の女子用制服が、まるで透明人間が着ているかのように、浮かんでいたからだ。
「思ったより随分とあっけないものだね、海鳥運動部会長」
「ほざけ……ボクの立場がなんであれ、お前みたいな規格外、相手になるわけが、ないだろう」
止月定は、ボロボロになった海鳥をダウンさせることなく、決戦の舞台であったズタズタの体育館を立ち去ろうとする。
蔦のような植物に手足を絡め取られた海鳥は、身動きすら取ることができない。
「悪いねー、君を倒すと刀録戦争終わっちゃうし、それに、僕が自滅しなきゃならなくなる。だって、
生徒会は運動部会と文化部会を対等に扱わなきゃ、でしょ?」
美術室に入ったとき、そこには電子音の雨が降っていた。
床を埋め尽くし、重なり合うように倒れる、文化部会の生徒たち。その中に一人だけ、動く人影があった。
否、人影は、なかった。
深緑の襟が特徴的なセーラー服は、浮いたまま喋り始めた。
「『私立刃実学園生徒会会則第十七条、生徒会は本会の総意を代表し活動の中心となり、その際には運動部会、文化部会を平等に扱わなければならない』知ってる? アハハ、知らないよね? どう? 驚いた? アナタと同じモノがいて」
「どういうことだ、正体を現せ!」
「ああ、そっか、アナタからはそういう風に見えないんだ? ごめんなさいね、アハハハハ」
中身のない制服は大きく跳び上がり、まるで中に人間がいるかのように宙返りをし、そしてリノリウムの床にローファーが落ちる音がしたときには、長袖のブラウスに紺色の長めのプリーツスカートをはいた、混沌とした印象の少女に変わっていた。
「アハハハハ! アタシは止月疑。生徒会長、止月定の双子の妹にして生徒会副会長! また会ったわね! 不平等院否!」
「会った? 私とお前が? 馬鹿な」
「あれー? 忘れちゃったのー? せっかく素敵なうちの制服と手枷と足枷とベストまで貸してあげたのに? わざわざトレイにのせて持ってきてあげたのに? アハハハ、そうよね。当然よね。だってそれがアタシの異能なんですもの」
止月疑はゆっくりと足を進め、近づいて来る。
「 ・ 』。目の前の相手は、アタシの姿を相手自身と同じように認識するわ。副作用でアタシ自身は希薄になっちゃうけど? アハハハハ」
一歩、また一歩と距離は縮まる。止月疑は丸腰だが、どこから何をしてくるかわからない。私は竹刀の柄を握り直した。
「ヤだなぁ、戦おうなんて思ってないって。大変なんだから。戦うのも、戦わすのも。アハハハハ」
ひとしきり甲高い声で笑ったあと、止月疑はゆっくりと息を吐き、妖しげに口を開いた。
「アタシはただの、時間稼ぎなんだからさぁ。アハハハハ」
「待たせたね」
無意識のうちに竹刀で殴りかかっていた。
美術室の扉を開け、ヘラヘラと笑っていた、止月定に。
「危ないなぁ」
止月定がおもむろにかざした左手からの風圧で、反対側の壁スレスレまで吹き飛ばされた。あおられた書類が部屋の中を舞う。
「いきなり斬りかかるなんてひどいじゃないか。不平等院否。何をそんなにカリカリしてるんだい」
「わからない。わからないが、私はお前と戦わなければ気が済まない!」
自分で思うより早く、体が動き始めていた。
走りながら大上段に構え、大きく振り下ろす。
「やァっ!」
渾身の一撃だった。が、止月定は少し体をずらしただけで避け、気づいた時にはまた同じ位置まで戻されていた。
「しょうがないなぁ。戦う必要なんて無いのに。でも少しだけ相手してあげるよ」
少し遅れて腹部に鈍痛が走る。どうやら止月定が手にしている三日月型の刃物の柄で殴られたらしい。
「こちらから行かせてもらうよっ!」
止月定は両手に持った刃を、ブーメランのように放った。私の髪を少し攫ったそれは、背後の窓ガラスを突き破ってどこかへ消えていった。
「次は当てるよ」
「何故当てなかった」
私は全く反応できなかった。止月定なら難なく当てられただろう。
「僕の意思じゃないからね。『ぼくがかんがえたさいきょうの(マリオネット)』。僕の異能、この異能は、僕じゃない誰か、僕らが知りえない誰かの都合のいいように動くんだ」
喋りながら、止月定はピンポン玉ほどの黒い球体を六つ放り投げた。それは同時に床で跳ね返り急激に速度を増して、一直線に私を襲った。
「だから何が出るか僕にはさっぱりわからないし、何が出ても僕が思ったようには動かせない」
襲いかかるかと思われた球は足元で互いに衝突し、勢いを殺した。
「ところで君は、君が何者なのか、わかっているのかい?」
語りかけながら私の懐に入り込む止月。しかし中段の回し蹴りで無理やりに距離をとる。
「何っ? どういうことだ」
「君は人間じゃないってことさ!」
中距離で突剣による突きを繰り出す止月。竹刀で受け止めるが、衝撃でバラバラになってしまった。
「君は化物だ。人間の闘争心をかき集めて練り固めたような空っぽの存在だ!」
再びの突き、更に足元を何かが通り過ぎた感覚。
蔦のような植物による足払いだった。
上半身をのけぞるような不安定な態勢、このままではまずい。
「ぐっ」
キンッ、と、金属同士がぶつかり合うような音と、肉をえぐる音、止月定の悲鳴が混ざり合った。
先程放った刃のブーメランが返って来て、止月定の腹部に深々と突き刺さった。
「なる、ほどね……こんなふうに、なるんだ…………」
仰向けに倒れ、腹から鮮血を流しながらうつろな目でこちらを見つめる。
「世界は君を選んだ、そういうことか……。おめでとう、君の勝ちだ。楽しかったよ」
止月定は、白い破片になって砕け散った。
「よくもやってくれたな、と言いたいとこだが、あんたはどっちかってーと被害者なんだよな、怪物」
止月定が砕け散った後、何もわからないまま一人とりのこされた美術室に、大きな揺れが走った。そして美術室が、校舎が、音を立てて崩れだした。
そんなときに現れたのが、あの地味な男子生徒だった。
ゴーストバスター、矢射鴉酔郎と名乗った彼は、全ての種明かしを始めた。
まず、刃実学園のこと。
あれは実在する施設ではなく、ゴーストバスターという者たちが退治すべき相手『ゴースト』の強大な力を持つものが現れたときのため、何世代にも渡り、力を集めて異世界に作り上げた巨大なトラップなのだという。
生徒は全て、式神だったそうだ。彼、止月定を含めて。
そこに強大な力を持つ存在が入り込んだため、迎撃用の『イベント』、刀録戦争が始まったらしい。
その強大な力を持つ存在が、問題だった。
『ゴースト』とはまた違う、別種の怪物。そんなものの対策が一切行われていない刃身学園のシステムは、脆くも崩れ去った。そこに現れた更なる危険因子、それが私、不平等院否だったというわけだ。
危険因子を排除するのではなく、逆に取り込んで利用しよう。どの道ここはもうおしまいだ。そう考えた止月定により、私は刃実学園最後の大勝負に巻き込まれたのだった。
「本当に悪いいことをしたと思ってるぜ、怪物。巻き込んじまってすまなかったな」
「今はそんなことを言っている場合か。とりあえずここから脱出しなければ、私たちも食われてしまうのだろう?」
「ああ、あんたみたいな怪物とも、『ゴースト』とも違う。『悪食』とでも呼べばいいのかな、あいつ。止月疑と名乗っていた何かは」
二階の渡り廊下をつかんで口に放り込む、止月疑と名乗っていた何か。その大きさは今や、崩れかけた校舎に匹敵するほどだ。
「脱出した後の手立てはあるのだろうな?」
「ここへの入口を完全に閉じる。そうすればあいつも出られなくなるだろ。衰弱してダメになるまで放置するしかない」
先代ならもっと上手くやるんだろうけどな、と矢射鴉は悔しそうだ。
私に出来ることもない。さすがにあんなものには勝てそうになかった。
未熟な矢射鴉と不完全な私では、どうすることもできなかった。
「出口だ!」
……………………
…………
「改めて、申し訳なかった」
「こちらこそ、何代もかけて作った罠を台無しにしてしまった。おあいこだ」
刃実学園から脱した私たちは、夕暮れの中、河川敷に座っていた。
「これ、よかったら持ってけよ」
矢射鴉は私に、手のひらサイズの小瓶を手渡した。中は透き通るような、それでいて輝きのある色の着いた気体が詰まっていた。夕日に照らされて赤く輝いている。
「止月定のモトになってたモノだ。力不足のオレじゃどうしようもないからな。持っててくれ。何かの役に立つかもしれないからな」
「ありがたく頂戴しよう」
私はそれを、着たままだった刃実学園の制服の胸ポケットにしまった。
「これからどうするんだ?」
「ああ、旅に出るよ。それで私が何者なのか、どんな怪物なのか、わかるかもしれない」
「そうかよ。ゴーストバスターの仕事を手伝ってくれりゃあ楽だと思ったんだけどな」
矢射鴉は残念そうに頭をかく。
「旅をした後にでも、気が向いたら手伝いに来てやるよ。これからのことなどまだ何もわからないがな」
私は立ち上がり、顔だけを矢射鴉に向けて、言った。
「私の闘いは、まだまだ始まったばかりなのだから」




