さくらのてまりうた
※本作品中にわらべうた・てまりうたの引用がありますが、
・「まりと殿さま」は作詞者(西條八十)没後70年以上経過しているため、現在は、パブリックドメインとして自由に利用可能とのこと。
・「いちばんはじめは」は作詞者不詳の伝承歌なので、特定の著作権者は存在しません。
1
入院なんて、つまりません。
痛くて、つらくて、苦しくて。
そのうえ、おかあさんにも、会えないなんて。
カンセンタイサクだからしかたないんだって、お医者さんも、看護師さんも、おかあさんまで、そういいます。
「五類」なんて、えらいひとが名前をつけたからって、それでウイルスが消えてなくなるわけじゃない。だから、対策はつづけないといけない。そういうのです。
まして、病院は、病気やけがで、抵抗力のよわった人が集まるところなのだから、なおさら、厳重な注意がひつようなんだって、いうのです。
さくらもそう。いまの病気だけでもたいへんなのに、そのうえウイルスにまでヤラレてしまったらもっとたいへん。だから油断してはいけないっていうのです。
なるほど。
よくわかりました。
でも、だからといって、さみしいのが、なくなるわけではありません。
痛くて、つらくて、苦しいのだから、なおさら、おかあさんに会いたいのです。うんとちいさかったころみたいに、甘えんぼになって、ぎゅーっ、と、だっこしてほしいときだってあるのです。
友だちとだって、会いたいのです。おしゃべりしたり、あそんだり、したいのです。
でも、できるのは、週に一回、リモート面会だけ。タブレットのちいさな画面で、15分。親族限定、二人まで。たった、それっぽっち。
あとは、ときどき、おかあさんが、おみまいをとどけてくれます。でも、それも、おかあさんが直接もってきてくれるのではなくて、看護師さんが、窓口であずかって、もってきてくれるだけなのです。
おみまいのなかには、マスクやお茶や、そのほか身のまわりのものといっしょに、友だちからの手紙や、写真なんかが入っていることもあります。
いちどなんか、クラスのみんなでつくったっていう千羽鶴と、寄せ書きをもらったこともありました。
でも、それも、最初のころだけでした。
今はめったに何もとどきません。誰も会いにもきてくれません(きてくれたって、どうせ、会えません)。
もう、このまま、ずっと、ひとりぼっちなのかしら?
ずっと誰にも会えないまま、顔も、声も、わすれてしまうのかしら?
そして、わすれられてしまうのかしら?
そう思うと、ひとりぼっちで、夜中に泣いてしまったりもするのでした。
病室には、テレビがあります。
すこし気分がいいときは、看護師さんが、カードを挿して、つけてくれます。
アニメとかドラマには、ときどき、病院がでてくることもあります。
おはなしの中では、入院している患者さんのところにも、いろんな人が、ふつうに出入りしています。
リモートじゃなくて、じかに面会して、おしゃべりして、手をにぎったりなんかまでしています。しかも、マスクさえつけないで。
さくらは、なんども「ずるい」って思いました。うそばっかりって思いました。
だからテレビもあんまり見なくなりました。
気分がいいときは、おかあさんがもってきてくれた本をひらいてみたり、写真をながめてみたり。
でも、体調のせいでしょうか、お気に入りの本も、内容がうまくあたまに入ってきてくれません。
写真だって、同じです。いいえ、かえって、悪いくらい。クラスのみんなのたのしそうな顔なんかみていると、自分はそこに入れないんだって、みじめになることさえあるのです。
けっきょく、ほとんどの時間を、ぼーっとしてすごしました。
気分がいいといっても、全身がだるくて、痛くて、しんどいのは、かわりませんから、そうしてぼーっとしているのが、いちばん楽なのでした。
そうして、起きているような、寝ているような、よくわからない時間が、すぎていくのでした。
2
でも、ときどき、すーっと、ふしぎなくらい、楽になるときがあります。
そんなときには、入院するまえとかわらないくらい、元気になって、寝てなんかいられない気がするのです。
ベッドをとびだして、走りまわりたい気がするのです。
いいえ、ほんとうに、走りだしてしまいます。
だって、あの子が、呼んでいるのです。
「さーくらちゃん、あそびましょー」
なんて、声がきこえて、そうすると、急にからだがかるくなって、わくわく、うずうず、してくるのです。じっとなんて、していられなくなるのです。
さくらはベッドをとびだして、その子をさがして、走ります。
走ったって、疲れもしません。息があがったりもしません。どこまでも、いつまでも、走っていける気がします。
そんなときは、いつも、病院は、とってもしずかで、がらんとしています。
いつもはたくさんのひとが寝ている病室も、看護師さんのつめ所も、注射で血をぬく検査室も、お医者さんがいる診察室も、誰もいない、からっぽです。
ぴかぴかの白い床が、日の光にかがやいています。声はそのまぶしさのなかから聞こえてくるみたい。
「さーくらちゃん、あそびましょー」
さくらは階段をいちだん抜かしにかけおりて、誰もいない外来を横目にみて、そうして、病院の中庭にでるのです。
いつもは、何人かの患者さんが、車いすや歩行器をつかったり、看護師さんやPTさんにつきそってもらったりして、リハビリやお散歩をしているその中庭も、そんなときには、やっぱり、誰もいないのです。
でも、ひとりだけ。
中庭のまんなかに植えられた、おおきな木の下で、いつも、その子は、待っているのでした。
ちいさな女の子です。さくらより、ひとつか、ふたつ、年下なのではないかしら?
おかっぱの髪に、洋服じゃなくって、着物をきて、手にはまりをもっています。ボールじゃありません。かるい芯に、布や糸をまいた「てまり」です。
てんてんてんまり、っていう歌の、あのてまりです。
さくらも、写真や何かを見たことはあったかもしれません。でも、ホンモノにさわって、あそんだのは、はじめてです。
それだけでも、かわった、ふしぎな女の子でした。
この子も入院しているのかしら?
この時代劇みたいなかっこうは、パジャマなのかしら?
でも、そんなのはどうでもいいことです。
きれいな木綿糸の模様でつつまれたまりは、つるつるの印刷のゴムボールとはぜんぜんちがって、なんだかとってもいい手ざわり。
さくらとその子は、そのおおきな木の下で、そのてまりをついてあそぶのです。
その子は、たくさんのてまりうたを知っていました。
さいしょはひとりで歌って……歌いながら、さくらにも教えてくれるのです。
そうしてさくらがおぼえてしまうと、いっしょに歌って、あそぶのです。
それは、ときには「いちかけにかけて」だったり、「いちばんはじめは」だったりしましたし、ときには、やっぱり「てんてんてんまり」だったり、するのでした。
てんてんてんまり てんてまり
てんてんてまりの手がそれて
どこからどこまで飛んでった
そうして歌っていると、そのうち、ふわーっと浮かんで、かるくなって、飛んでってしまうのは、まりじゃなくって、さくらたちのほうなのでした。
ぽん、ぽん、まりをついているうちに、やがて、とびばこに手をついたみたいな手ごたえがあって、ぽん、ぽん、ぽーーん――さくらたちのほうが、浮かびあがってしまうのです。
「うわー、飛んでるねぇ」
さっきまで見上げていた、おおきな木が、足の下でさわさわと葉っぱをゆらしています。
ウイルスなんかふきとばしてしまいそうな、きもちのいい風が吹いてきます。
そうして、もっと、上がって、上がって――中庭だけじゃなくて、病院ぜんぶが下になって――それからもっとずっと上がっていくと、そのうちには、さくらの家や、学校まで、下のほうに見えるようになってくるのでした。
もう、いますぐにも、ひとっとびで、おかあさんにも、友だちにも、会いにいけるような気がするのでした。
垣根をこえて 屋根こえて
おもての通りへ 飛んでった
飛んでった
さくらとその子は、もう、どんどん、ずんずん、高く高くのぼっていって、真っ青な空にうかんで、両手をつないで輪になって、くるくる、くるくる、回ってみたりするのでした。
足下には、ちいさな地図みたいになった町。
遠くには、山が見えて、そのもっとむこうには、きらきら、海が光っているのでした。
3
……でも、そうしてその女の子とあそんだあとは、きまって、また病院のベッドの上で目がさめるのでした。
そのベッドは、元どおりふだんの病室におかれていることもありましたし、ときには、別の部屋にうつされていることもありました。
どっちにしても、そんなときのさくらのからだは、いろいろなくだやコードにつながれていて、枕もとの画面が、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、音をたてています。
まりつきって、思った以上に、疲れるあそびなのでしょうか。それとも、空なんて飛んだのが、いけなかったのでしょうか。
あの子とあそぶまえは、いつもあんなに元気で気分がいいのに、あそんだあとは、きまって、いつもよりずっと、痛く、苦しく、しんどくなっているのでした。
のどがゴロゴロして、胸のなかが熱くて、息が苦しくて、鼻や口につっこまれたチューブがきもちわるいのです。手足が重くて、あっちこっちが、ギシギシ、ぴきぴき、痛いのです。
さくらは泣いて、おかあさんを呼ぶのです。
でも、鼻や口のくだがじゃまで、うまく声がだせないのです。
むりをするとすぐにゴボッて咳がでて、痰があふれて、看護師さんが、掃除機みたいな機械で吸いとるのです。
その機械のチューブが、のどの奥にはりついて、また、痛いのです。
さくらは声にならない声でうめきながら、こころのなかだけで、おかあさんを呼ぶのです。
そうして、いくら呼んでも、おかあさんは、いないのです。
それでも、あの子に呼ばれると、からだが楽になって――からだが楽になると、やっぱり、ベッドをとびださずにはいられません。
そして、いっしょに歌って、たのしくあそんで――そのあいだは、そのあとのことなんて、考えもしないのです。
あの子は誰? どこの子? それだって――あとになると気になるのに――あそんでいるあいだは、きこうとも思わないのです。
最初のうち、あの子がくるのは、ほんのときどきでした。
それがいつのまにか、三日に一回くらいになりました。
いまでは、ほとんど、毎日です。
あそぶ時間だって、長くなりました。
いまでは、ベッドですごす時間より、まりをついている時間のほうが、長いくらいかもしれません。
てまりうたも、ずいぶん、おぼえました。
まりつきだって、上達しました。
そんなたのしい時間を、いつもしずかに見まもってくれているのが、中庭のまんなかにヌシみたいにそびえている、あの木でした。
ほんとうに、おおきな木でした。
そして、いまも、おおきくなりつづけています。
最初は、二階の窓くらいだったのが、いつのまにか三階の窓をこえ、いまでは病院の屋根もこえています。
まるで、あそぶのに夢中になって、気づかないでいるうちに、何年も、何十年もたっていたとでもいうみたい。
こんなにおおきいのなら、さくらの部屋からだって、見えてよさそうなものだって、なんども思いました。
でも、病室で寝ているときには、窓からその木が見えたことは一度もありません。
角度がわるいのでしょうか?
ある日、看護師さんにきいてみました。
看護師さんは、びっくりして、
「中庭に、そんなおおきな木なんて、ないわよ」
さくらは目をぱちぱちさせました。
意味がわかりません。
だって、あんなにおおきな、りっぱな木なのに。
なんども、あの木の下であそんだのに。
それが「ない」なんて、そんなこと、あるでしょうか?
さくらがじっとだまっていると、看護師さんは、ああ、と、あらためて思いあたったような顔をしました。
「そっか、誰かにきいたのね。そう……あったんだってね、昔は。わたしがこの病院にきたときには、もう、なくなってしまっていたけれど」
そうして、午後の点滴を片づけながら、はなしてくれたのでした。
それはそれは、おおきな、りっぱな木だったそうよ――看護師さんは、いいました。
この病院ができて、まだちいさかったときから、ずっとそこにあって、お医者さんや患者さんを、みまもってくれていたんだって。
だから、病院がおおきくなったときも、その木だけは、切らずに、残しておいたのね。
でも、何年かまえに、かみなりがおちて、焼けてしまったんだって。
風がびゅーびゅー吹いて、ぶあつい雲がまっ黒に空をおおって、すぐにもあらしになりそうな、そんな夜。突然、ピシャンッて、まっ白いイナヅマが直撃して、あっというまに、燃えだしたんだそうよ。
おっきなこずえが、ゆっさ、ゆっさ、風にゆれて。ゆれながら、ごうごう、ぼうぼう、特大のかがり火みたいに、燃えたんだって。
それはそれは古い木だったから、中が乾燥していたのかもね。そのうち雨もふりだしたけれど、ちっとも消えずに、燃えつづけて……そのうち、病院にも燃えうつるんじゃないかって、おおさわぎだったそうよ。
高いところには消火器もとどかないし、だんだんあらしもひどくなって、消防車の到着が遅れてね。
でも、やっぱり雨のおかげかしら。さいわい燃えうつることはなくて、中庭のまんなかで、その木だけが、キャンプファイヤーみたいに、燃えつづけたんだって。
そうして、燃えているあいだにも、まだ、なんどか、かみなりが――まるで狙い撃ちみたいに――その木にばかりおちたんだって。
ああ、きっとこれは、この木が避雷針になって、病院をまもってくれているんだって……思った人もいたみたい。
でも、そうして身代わりになって、かみなりにうたれつづけた木は、やっと到着した消防車が火を消しとめたときには、もうすっかり、まっ黒に、焼け焦げてしまっていたんだって。
そのまま放っておいたら、もろくなったところが、くずれて、折れて、最悪、たおれてしまうかもしれなかったの。
「だから、切ってしまったんだって」
いまでは、中庭のまんなかに、おおきな、切り株だけが残っている。看護師さんは、そういって、話をしめくくりました。
さくらは、なんだか、夢みたいな気がしました。
あの木がいまでも立派にそびえたっている、あの中庭が夢なのか。切り株だけになってしまったっていう、看護師さんのおはなしのほうが、夢なのか。
どっちがどっちなのか、わからなくなっていきました。
ほんとうのさくらは、いまもあの木の下であの子とあそんでいて、こんなふうに、病院のベッドで看護師さんとおはなししているさくらのほうが、夢なのではないかしら?
だって、痛くて苦しくて、意識がモーロ―とする病院の毎日なんかより、あの木の下で、あの子とあそんでいる、中庭での時間のほうが、よっぽど輪郭があざやかで、だんぜんホンモノっぽいのだもの。
ほんとうに、そうだったら、どんなにか、いいだろう。
そう思うのでした。
すると、なんだか、急にまぶたが重くなってきて……
眠くてたまらなくなって、すうっと意識が遠くなって……
はっと目がさめると、その瞬間、さくらは、ほんとうに、あの木の下にいるのでした。
中庭はいつもどおり、おだやかな陽ざしのなか。
やさしい風がふいて、あの木が、さわさわとこずえをゆらしています。
さくらはあそびつかれて、その木の下に寝っころがって、そうして、いつのまにか、うとうとしてしまったのでした。
うとうとして、夢をみていたのでした。
あたりを見まわしても、看護師さんなんか、どこにもいません。
かわりに、さくらのそばには、いつものあの子がいて、いつものように歌いながら、ひとりで、まりをついているのでした。
あー、やっぱり、こっちがほんとうなんだ。さっきから、ずっと、この子と、あそんでたんだ。看護師さんのほうが、夢なんだ――さくらは、ほっとして、そう思うのでした。
そして、からだをおこすと、その子の歌っている歌を、途中から、またいっしょに、歌うのでした。
とまりとまりで 日がくれて
一年たっても 戻りゃせぬ
三年たっても 戻りゃせぬ
ふりかえった女の子が、にっこりしました。
血相をかえた看護師さんの声が、まだどこからか聞こえる気も、少しだけしたけれど――
『さくらちゃん? どうしたの? だいじょうぶ? しっかりして!』
それもすぐに遠のいていくのでした。
4
その日のてまりあそびは、ほんとうに、いつまでもつづきました。
もう「てんてんてんまり」は何度も歌いました。
「いちかけにかけて」も歌いました。
「ひとつとせ」も「いちじくにんじん」も、「あんたがたどこさ」だって、歌いました。
それでも、まだ、おわりません。
そうして、すこしも、疲れません。飽きません。
時間をわすれて、歌いました。あそびました。
そして気がつくと、いつのまにか日が暮れていたのでした。
そんな時間になるまであそんでいたのは、はじめてのことでした。
いつもはどんなに長くあそんでいたって、おひさまの高さはちっともかわらなくて、この中庭では、ずっとずーっとお昼のままで、夕方にも、夜にも、なったことはなかったのに。
今日にかぎって、いつのまにか、あたりはぼんやり暗くなっているのでした。
パッと、あかりが、ともりました。
中庭の上のほうから、まぶしい光がさしてきて、あたりを照らしだしています。
街灯でしょうか?
それにしては、ずいぶん赤い光です。
それに、なんだか、熱いのです。
さくらは上を見てみました。
そして、びっくりして、息をのんでしまいました。
明るいのは――街灯なんかじゃなくて――あの木でした。
おおきな木のこずえに、火がついて、ぼうぼう、パチパチ、煙をあげ、火の粉をふきながら、燃えているのでした。
「たいへん、火事よ!」
さくらは叫んで、ふりかえりました。
でも、さっきまですぐ隣りでまりをついていた、あの子のすがたが、いまはどこにも、見あたりません。
「どこ? どこいったの?」
さくらはさがしました。きょろきょろ、見まわしました。
すがたは見えないのに、声だけは、聞こえました。
あの子は、まだ、歌っているのでした。
いちばんはじめは一の宮
ふたつ富士山せんげん大社
さんは讃岐のコンピラさん
声は上からきこえました。
さくらは目をこらしました。そしてまたびっくりしました。
あの子は、あのおおきな木のてっぺんで、まりをついているのでした。
木綿の色もあざやかな、きれいなまりが、宙に浮いたあの子の手から、木のてっぺんに、あたって、はねて、あたって、はねて――そのたびに、ピカッ! ピカッ! 青白い閃光が木のぜんたいに走って、幹や枝のどこかしらから、あたらしい炎がふきだすのでした。
「ちょっと、なにやってるの、あぶないわよ!」
さくらは叫んで、かけよろうとしました。
けれど、その瞬間、上から、燃えさかる木の枝がおちてきて、さくらの行くてをはばみました。
枝は、地面におちて、ものすごい熱と、火の粉をふきだして……あっというまもなく、さくらにおそいかかってくるのでした。
ものすごい熱と、煙と、光で、何もみえません。息もできません。ゴホッゴホッ。咳がでて、肺がアツくて、苦しくて――ベッドの上で、くだやコードにつながれているときみたいに、苦しくて――こわくて、足がすくんで、うごけません。
「おかあさん! おかあさん!」
さくらは夢中で叫びました。
気がつくと、そこはもう中庭ではありませんでした。
まるで映画かテレビか――それか、夢みたいに――いつのまにか場面が切りかわっているのでした。
さくらがいるのは病院の廊下でした。
壁も、床も、天井も、燃えています。
充まんする熱と煙のなかで、さくらは迷子みたいに泣きながら、おかあさんを呼んでいるのでした。
おかあさんは、いました。
燃えさかる廊下のつきあたりに、たしかに、おかあさんの姿が、みえました。
けれど、ぶあつい炎の壁にはばまれて、近づくことが、できません。
さくらは、ただ、必死に、おかあさんを呼びつづけました。
「おかあさん、おかあさん、おかあさん!」
でも、おかあさんは、こたえることが、できません。
だって、いまは、さくらのかわりに、おかあさんが、病院のベッドの上にいるのです。銀色の金具のついたベッドに横になって、おしりを上げ、ひざを曲げ、おおきく足をひろげて、ハアッ、ハアッ、あああっ、と、あらい呼吸をくりかえし、何度も悲鳴をあげながら、苦しんでいるのです。
「がんばって」
「もうすこしですよ」
お医者さんと看護師さんが、おかあさんを、はげましています。
いったい、なにが起きているのでしょう。
おかあさんは、どうしてしまったのでしょう。
さくらにはわかりません。
そのうちに、炎はさくらのいる廊下も、おかあさんのいる処置室も、ぜんぶ、のみ込んでしまいました。
病院の壁も床も天井も、看護師さんもお医者さんも、おかあさんも、何もかもが、あっというまに炎のなかに見えなくなって……
さくらのからだもその同じ火につつまれて、手も、足も、顔も、体も、燃えて、燃えつくして――もうなんにもなくなってしまうのでした。
目も、耳も、すっかり焼けおちてしまって、もう、なんにも見えないし、聞こえません。
なのに、どうしてでしょう?
そのなんにもないはずの暗やみのなかから、ふいに、おとこの人の声が、聞こえてきたのでした。
「この子のなまえ、さくら、ってどうかな?」
その瞬間、視界がひらけました。
目も、耳も、からだだって、ぜんぶ燃えつきてしまったはずなのに――さくらは、ゆうれいみたいな、意識だけの存在になって――その景色を、見ているのでした。聞いているのでした。
それは、どこかの病室でした。
窓から、おだやかな陽ざしが、さしこんでいます。
ベッドには、ねまき姿のおかあさんがいます。
その隣りには、もうひとつ、ちいさな、プラスチックのかごみたいなベッドが、おいてあります。
そして、そのそばに――さっきの声のぬしでしょうか――さくらの知らない、背広姿のおとこの人が、立っているのでした。
「昨日の夜、かみなりが落ちてね、中庭の、ほら、あのおおきな木が、燃えたんだって。なんども、狙い撃ちみたいに、あの木にばかり、かみなりが落ちたそうだよ。まるで避雷針みたいだねって……さっき看護師さんたちともはなしていたんだ。病棟におちないように、守ってくれたんじゃないかなあ、ってね。ちょうど君が分娩室に入っていたときだよ。そのはなしをきいてさ、窓から、焦げたあの木をみているうちに、思ったんだ。この子のなまえ、あの木のなまえを、もらったら、どうかなって……」
いいながら、そのおとこの人は、ちいさなベッドのなかに寝ているなにかを、ちょん、ちょん――つっついたみたいでした。
とたんに、火がついたような赤ちゃんの泣き声が、部屋じゅうにひびきわたりました。
ほぎゃあ、ほぎゃあ、ほぎゃあ、ほぎゃあ!
おとこの人がオロオロして、おかあさんが笑って……それをみているだけで、なぜでしょう、さくらまで、うれしい、あったかい気持になっていくのでした。
あったかくて、ぽわぽわして、眠くなっていくのでした。
そうして、うとうとした寝入りばなのあたたかさのなかに、夢のように、うつつのように、てまりうたのつづきが、すべりこんでくるのでした。
よっつ吉野の蔵王堂
いつつ出雲のおおやしろ
むっつ村々鎮守さま
ななつ成田のお不動さん
うららかな陽の光にてらされた、病院のベッドの上で、ちいさなさくらをだっこしたおかあさんが、おっぱいをふくませながら、歌ってくれているような気もしました。
でも、やっぱり、歌っているのは、時代劇みたいな着物をきて、中庭のおおきな木の下でまりをついている、あのちいさな女の子のような気もしました。
それから、また、いつもの担当の看護師さんの声も、同時に、どこからか聞こえる気がするのでした。
「さくらちゃん、おきたの? まだ眠っていていいのよ。がんばったわね。もう、だいじょうぶだからね。安心して、いいのよ」
そうすると、ここは、やっぱり、いつもの病院のベッドの上なのでしょうか?
ねむくて、なんだか、わかりません。
ただ、歌がきこえます。
やっつ八幡の八幡宮
ここのつ高野の三昧堂
とおは東京招魂社
おかあさんが、だっこしたさくらをゆらすような――
あの子が、ゆっくり、まりをつくような――
ピッ、ピッ、ピッ、と、コードでつながった機械が鳴らす、安定した、いのちの鼓動のような――
ここちよいリズムにつつまれて、さくらはこんどこそ、安心して眠りにおちていくのでした。
これだけ心願かけたなら
さくらのやまいも癒えるだろう
ぼうぼうぼうと燃える木は
さくらとサクヤの火の産屋
5
その日から、さくらの病気は、どんどん、よくなっていきました。
その日から、あの女の子は、ぱったり、会いにこなくなりました。
もう、呼ぶ声もきこえません。
てまりうたも、きこえません。
でも、そのかわり――
明日は退院っていう、その前の日に、さくらは、看護師さんにたのんで、中庭につれていってもらいました。
おだやかな、春の陽ざしが、ふりそそいでいました。
さくらのほかにも、何人かの患者さんが、看護師さんや、PTさん、OTさんにつきそわれて、散歩したり、ベンチに腰かけたりしていました。
その中庭のまんなかに、その切り株は、ありました。
おおきな、ひとかかえもあるような、どっしりした、りっぱな切り株でした。
その切り株から――ひこばえっていうのでしょうか――あたらしい芽が、何本か生えだしていました。
中にはもうだいぶ大きくなって――ちょっとヒョロヒョロした、たよりない感じではありましたが――それなりにちゃんとした「木」と呼べそうなくらいにまで、育っているものも、あるのでした。
「まあ」
と、看護師さんがいいました。
見て、と、指さした、そのさきをみて、さくらも目をみはりました。
細くてたよりない枝のとちゅうに、一輪だけ、五弁の花が咲いていました。
看護師さんが、にっこりしました。
「去年まで、いちども、咲いたことはなかったわ。枝をのばして、葉っぱをつけるだけで、せいいっぱいだったのね。でも、やっと、今年、それも今日になって、咲くだなんて……なんだか、退院おめでとうって、お祝いしてくれてるみたいじゃない?」
さくらは花をみつめました。
ちいさな、貧弱な花でした。
それでも、可憐な花でした。
そうして、かすかな風に、細い枝がゆれた、そのときでした。
『さーくらちゃん、あそびましょー』
なつかしい声が、きこえた気がしたのでした。
※本作品中にわらべうた・てまりうたの引用がありますが、
・「まりと殿さま」は作詞者(西條八十)没後70年以上経過しているため、現在は、パブリックドメインとして自由に利用可能とのこと。
・「いちばんはじめは」は作詞者不詳の伝承歌なので、特定の著作権者は存在しません。




