フィーネ5歳の誕生日⑤
外の陽はまだ高く、午後の光が窓辺を淡く染めていた。ミリィは、クラウドを抱きしめて泣いていたが、ようやくその手を緩め、ゆっくりと落ち着くように深呼吸した。
重苦しかった空気が、少しだけ和らいだそのとき――。
コン…コン――。
家のドアノッカーが控えめに、しかしはっきりと鳴らされた。
「レインツだ……。ガランド、ミリィさん。どうか……どうか、開けてほしい」
ガランドは一瞬だけ眉間に皺を寄せたが、すぐに力を抜くように吐息を洩らした。もう、先ほどのような怒気は残っていない。家族の前で胸の内をさらけ出し、己の矮小さをも認めた今、残っているのはただ、向こうの真心という事実だけだった。
「……俺が出てくる」
椅子を引いて立ち上がると、ドアの方へ歩く。ミリィは袖で必死に涙を拭ったが、赤く腫れた目元は隠せない。クラウドはそんな母を気遣うように手を握った。
扉を開けると、冷えた空気とともに、カルラとレインツ、そしてフィーネの姿があった。三人とも緊張した面持ちで、頭を下げるようにして立っていた。
「……お願いです、中に入れてください。お詫びを申し上げたくて……」
カルラの声は震えていた。その真剣な眼差しに、ガランドは黙って頷き、扉を大きく開いた。
「…入ってくれ」
暖炉の炎が揺れる居間に彼らを迎え入れると、カルラとレインツは椅子に腰を下ろす前に深々と頭を下げた。
「……さっきは本当に……本当にすまなかった」
レインツの低い声は、胸の底から絞り出すように真摯だった。
カルラも続けて言葉を重ねる。
「私たちは間違ってしまいました。ミリィさんに働いてほしい気持ちと、入学金のことを一緒にしてしまった……あれでは取引にしか聞こえなかったでしょう。本当に……ごめんなさい……」
ミリィはまだ涙の跡が濃く残る顔で、それでも勇気を振り絞って口を開いた。
「……私も、ちゃんと伝えたい。……私は、本当はレインツ商会に誘われて嬉しかった。あのお店や工房に、心惹かれてしまった。カルラさんたちの真剣さに、胸が高鳴ったの」
「ミリィさん…」
「でも同時に、家族のことを後回しにしてしまう自分が怖かったの。だから……ガランドが怒ったとき、どこかでホッとしてしまったの……」
言いながら再び涙がこみ上げ、声が震える。カルラはそっと手を伸ばし、ミリィの手を握った。
「あなたの正直な気持ちが聞けて嬉しい。……どうか、怖がらないで。私たちは、ミリィさんを縛りつけたいのではなく、心から一緒に働きたいと願っただけなの」
レインツも、続けて心の底を話した。
「金の話を持ち出して、本当に申し訳なかった。ただ、私はミリィさんがもし働いてくれるなら、少しでも心配ごとがなくなって、助けになればと思ったんだ…。浅はかだった。ガランド、本当にすまなかった……」
ガランドは腕を組んで二人の言葉を聞いていたが、やがて目を閉じ、静かに吐息を洩らした。
「……俺も、あんたらの誠意を疑ったわけじゃない。ただ……クラウドの未来を金で左右されるように感じてしまったんだ。……実は、入学金は組合に掛け合って工面するつもりだったんだ……俺にとっては大きな決断だったんだが、あんたらの気前のいい申し出に、それが急にちっぽけに思えてきちまって……怒りをぶつけてしまったんだ」
その声には、深い反省と後悔が滲んでいた。レインツとカルラは、俯いて何も言えなかった。
「フィーネの誕生日だってのに、俺の方こそ申し訳なかった。……もしよかったら、ミリィを働かせてやってくれないか?俺は全力でミリィのこと、家族のことを応援したいんだ」
静かな声に込められた真心に、カルラとレインツは目を大きく見開いた。
互いに視線を交わすと、ふたりの頬に驚きと安堵が同時に広がっていく。
「ガランドさん……あなたが、そう言ってくださるなんて……もちろん!ぜひ……ぜひ一緒に歩んでいきましょう」
カルラの声は震えていた。
「私たちも、ミリィさんが働きやすいように全力で支える。ああ……本当に、ありがとう……」
レインツの拳は固く握られ、その目は潤んでいた。
その横でミリィは、口元を押さえたまま小さく震えている。
「わ、わたし……本当にいいのかしら……」
遠慮とためらいが入り混じる。だが次の瞬間、ガランドの力強い横顔が目に映り、胸の奥で弾けるような喜びが込み上げた。
「……でも、でも……ありがとう……。私、嬉しい……っ!」
喜びの涙が頬を伝い落ちる。
クラウドはその姿を見つめ、迷いなく口を開いた。
「もちろん、ぼくも応援するよ。母さんのことも、父さんのことも、みんなのことも。絶対に」
その声音には、幼いながらも確かな決意が宿っていた。
「よかった…よかったよ〜。う〜」
ずっと気丈に我慢していた、フィーネの目から涙が溢れ出した。
ぽかんと聞いていたリィンが、きらきらした瞳で両手を挙げる。
「リィンも! よくわかんないけど、いっしょにおうえんする!」
居間いっぱいに、優しい笑いが溢れた。涙と笑顔が入り混じるその瞬間、家族と家族が垣根を越えて、ひとつに結ばれていた。
「クラウド」
フィーネが包みを胸に抱きしめたまま、涙声で言った。
「……ごめんなさい。わたしが、クラウドと一緒じゃなきゃ嫌だって、わがまま言ったから、大変なことになって……」
クラウドは静かに首を振り、笑みを浮かべた。
「違うよ、フィーネ。……フィーネの真剣な思いがあったから、みんなの本当の気持ちが聞けたんだ」
暖炉の炎がぱちりと弾け、赤々とした光が居間を照らした。
涙と謝罪、反省と誠意――それらがようやく混じり合い、一つの温かな空気へと変わっていった。




