フィーネ5歳の誕生日①
十一月三十日――ファーラントの町は冷たい風が通り抜けるようになり、吐く息も白く染まる。
今日は、フィーネの五歳の誕生日。昼からは親しい人々を招いた祝宴が予定されているが、その前に――カルラから「一刻ほど早く来てほしい」とガランド一家はお願いされていた。
朝はてんやわんやの大忙しだった。
クラウドは日課の手伝いをこなし、朝食を食卓に並べ、リィンと一緒に朝ご飯を食べた。ミリィは朝食を摘みながら手早く作り終えると、仕上げの縫い物を抱えて、今はお化粧に追われている。ガランドは朝早くから頼まれ仕事の金床を叩き、朝飯を掻っ込むと、髭を当たったりとこちらも身支度を始めた。リィンも朝ご飯を食べ終えると、クラウドの背にしがみつきながらはしゃいでいる。
ガランドが着慣れぬフォーマルの襟を直し、クラウドがプレゼントを抱え、ミリィとリィンのおめかしが整い、ようやく一同そろって家を出たのは、到着予定の十時きっかりだった。
カルラ服飾店――レインツ商会のビルディング一階の路面店は、いつにも増して華やいでいる。
入口でカルラとレインツが出迎えてくれて、祝辞と遅れたことを詫びていると、フィーネが奥からぱっと駆け寄り、挨拶もそこそこにクラウドとリィンの手を取るようにして応接室へ案内した。
笑顔に包まれたその小さな姿は、今日の主役らしい誇らしさで輝いていた。
ガランドとミリィは、カルラとレインツの導きで店舗の中へ進む。
カルラ服飾店の扉を開けると、すぐに柔らかな布の香りが鼻をくすぐった。
一階は大きな吹き抜けになっており、壁際には色彩豊かな衣服がずらりと吊るされている。緋色のドレスが陽光を受けて鮮やかに輝き、その隣には深い藍色の外套が重々しく垂れ下がる。
中央には磨き込まれたマネキンたちが並び、王都仕込みの最新モードを纏って、まるで舞踏会の一場面のように空間を支配していた。
棚には手触りも艶やかな布地の反物が積まれ、絹や毛織物、遠方から取り寄せた珍しい織物まで揃っている。
ひと目で高価だと分かるものもあれば、庶民が手を伸ばせる日常服の生地も控えめに並べられていて、幅広い客層に応える工夫が窺えた。
奥には仕切りで区切られた小さな部屋――贅沢なレースのカーテンがかけられた個室のフィッティングルームもあり、買い物を楽しむ人々の姿が容易に想像できる。
レインツが一つひとつを誇らしげに指し示すたび、ガランドもミリィもただ感嘆の声を漏らすしかなかった。
「どうぞ、こちらも」
案内されて階段を上ると、二階は一転して熱気に満ちた空間だった。そこは大きな工房。二十人を超える針子たちが忙しく針を走らせ、色とりどりの糸や布が光を弾くように散らばっている。
糸の色は虹のように豊かで、鮮やかな紅、落ち着いた紺、若草の緑――それぞれの手元で生地の上に走り、形を成していく。
窓から差し込む自然光は高い位置に据えられたガラス窓を通じてやわらかく広がり、生地の質感や色合いをより際立たせていた。
布の山の間を縫うようにして運ばれる仕立て前の衣服は、どれも形になりかけの息吹を感じさせる。
縫製機械のない世界だからこそ、一針一針に込められる集中と技術が、場全体を引き締めていた。
さらに奥には、ガラス張りで仕切られた企画室がある。
そこには王都から送られてきた流行のデザイン画が壁一面に貼られ、鮮やかな色鉛筆の線が新しい形を描き出していた。
事務机には厚い帳簿と発注書が積まれ、布地見本帳や染色の小片が整然と並べられている。
外の工房のざわめきと隔てられたその空間は、次の流行を生み出す頭脳部のように静謐で、まるで別の温度をもっていた。
ガランドとミリィは、目に入るすべてに圧倒されながらも、それがこの商会をファーラント一に押し上げた源であると肌で理解していった。
レインツは誇らしげに説明し、カルラも補いながら細部にまで語って聞かせる。
「王都との流行のやり取りも、こうして常に欠かしてはならないのだ。レインツ商会の服飾は、いまやファーラントの信用そのものだと自負している」
あまりの規模と夫妻の熱意に、ガランドもミリィもただただ目を見張るばかりだった。――しかし同時に、ふと胸に疑念がよぎる。
(なぜ……今日はこんなに熱量ある案内を? ただ誕生日に招かれただけではないのか?)
ふたりは互いに視線を交わしながら、レインツ夫妻の熱心な説明を聞き続けた。
「さて、我々のお喋りばかり聞かせてしまって、ガランドもミリィさんも気疲れしてしまったろう。お茶にしよう」
レインツは「ここは商会長室だ。滅多に人は通さん」と、言って中に二人を招き入れた。
レインツは、二人を重厚なファブリックソファに掛けさせ、ゆっくり寛ぐように勧めた。間もなく、カルラが紅茶を淹れてきて席に着いた。
ガランドとミリィは、今度こそ顔を見合わせて、一体何が始まるのかと恐々とレインツとカルラの顔を窺った。
レインツは、カルラの方を見て話をするよう促した。カルラは、ミリィにニコリと微笑みながら話し出した。
「ミリィさん、どうだった?今まで、あんまりちゃんと見たことなかったでしょう?ウチの中」
「うん、そうだね。初めてちゃんと見たけど、お店も工房もどっちも熱気があるね!なんだかびっくりしたよ…」
少し目を丸くして答えるミリィに、カルラが大きく頷いて話し続ける。
「そう、そうなのよミリィさん。レインツと私の熱意は本物なの。企画室も見てもらえたでしょう?王都の最新デザインを常に取り寄せているけれど……いずれはファーラントから、このレインツ商会から新たなモードを発信できるようになりたいの!」
真剣な顔で訴えるカルラに、その野望の大きさに、ミリィは慄いた。同時に、ここまでファッションに情熱を注ぐ二人に、心揺さぶられるものが、服飾に携わる身として確かにあった。
「……本当に、凄いと思う。こういう大きな世界もあるんだなぁって、ちょっと感動しちゃったよ…」
ミリィの素直な言葉に、ガランドも頷く。
「レインツのことは、商人で大したやつだとは思っていたけれど、今日初めて色んなこだわりを見せてもらって……ああ、職人とおんなじこだわりを持ってるんだなって、思ったぜ」
ガランドから出た言葉に、レインツは満足気に頷いて見せる。カルラも目を輝かせて時は良しと、遂に二人に切り出したのだった。
「二人に私たちの仕事を知ってもらえて本当に嬉しいわ、ありがとう。……それでね、ミリィさん……はっきり言うわ。私たちと一緒に、ここで働いてもらえないかしら?」




