退院の日の朝
朝の光が差し込む病室は、昨日までの湿った寒さが嘘のように柔らかかった。窓の外には晩秋の空が広がり、木々の枝先に朝露がきらめいている。
クラウドは半身を起こし、深く息を吸った。医師のリリアが最後の確認をするように、クラウドの頭から胸を触診する。胸の奥に残っていた鈍い痛みも、もうほとんど感じない。
「クラウド!」
軽やかな声とともに、扉が開く。先を争うように駆け寄ってきたのはフィーネとケイトだった。その後ろから、ガランドとリィンを抱いたミリィ。
続いてフィーネの母カルラに、クラウドの師ラグス、そしてサリウ伯爵夫妻とその長男カイルが続く。
「顔色がだいぶ良くなったな」
ガランドが安堵の笑みを浮かべる。ミリィはリィンを腕に抱えたまま、そっとクラウドの手を握った。
「熱もすっかり下がったし……よかった」
その声はほっとするように柔らかく、診療所の白い壁に溶けていく。
ラグスが頷きながら「今日で退院できると聞いて、皆でぞろぞろと押しかけたんだ」と言うと、フィーネが嬉しそうに身を乗り出した。
「これでまた一緒に練習できるね!」
ケイトもフィーネに負けじと、笑顔でクラウドの手をとった。
「クラウドに教えてもらいませんと、わたし上達しないですの」
二人の押し出しの強い明るさに、クラウドは嬉しそうに苦笑した。全身を動かすにはまだ力が足りないが、こうして心配してくれる仲間や家族の顔を見ると、不思議と体が温まる。
やがて話が一段落したところで、クラウドは少し真剣な表情になった。
「……昨日、ここから外を見たんだ」
皆が彼を見る。
「北通りを、馬に乗った一団が進んでいった。あの時の夜……俺を捕まえた人、レオニダス公爵がその先頭にいた」
フィーネが小さく息を呑む。サリウ伯爵も目を細めた。
「やはり、レオニダス公爵に拘束されていたのか……」
クラウドは頷く。
「昨日見たあの人たち、レオニダス公爵は町を出たのかな……」
クラウドの呟くような声に、カイルが「昨日そのまま町を出たよ。東の領地、城塞都市イシュグランに帰ったんだ」と穏やかな声で返す。
「そっか…」
――クラウドは思い返すように語り始めた。
あの日、カイルから公爵軍の出兵を聞いた日の夕方、地脈の乱れが弱まるどころか強まっていた。気配をたどれば北北東――黒樹の森の奥。日は落ちかけ、宵闇が迫る。迷いはなかった。
風魔法で夜空を切り裂くように飛び、辿り着いた先では、公爵軍が巨大な魔力汲み上げ機を囲み押さえ込もうとしていた。しかし、魔力機構はすでに臨界寸前。
――間に合わない。
考えるより先に、クラウドは魔力を叩きつけるように注ぎ込み、暴発を押しとどめた。視界が白く霞み、体の力が抜け気を失った。
「……どこから突っ込んでいいのかよくわからんが……無茶苦茶しよって。風魔法で空を飛ぶなんて、制御できるもんなのか?」
ラグスが呆れた顔で聞いてくるが、クラウドは曖昧に笑うだけだった。念動力のこともあって、あまり詳しく聞いてほしくない。
「それで……どうなったんだ?」
サリウが先を促す。
クラウドは首を振る。
「そこからはよく覚えてない。気づいたら暗いテントの中で……手首も足首も動かせなくて、何かで拘束されてたんだと思う。それを外す時に…ちょっとだけ無理しちゃって、手と足に怪我したんだけど…空に逃げて森を抜けた。……冷たい雨が降り出して寒かったのは覚えてる。たまたま…メッツァ村だと思うけど、村を見つけて家に転がり込んだ……そこから先は……」
ミリィがリィンを抱き直しながら、涙を目に浮かべて言う。
「クラウド……もう…何て言ったらいいか…わかんないよ」
ミリィの目から、涙がポロポロ零れ落ちる。クラウドが診療所に運び込まれた時、今のあっさりした話からはかけ離れた酷い容態だった。心配に思わないように色々と伏せて話したのだと、誰もが感じた。
クラウドは「心配かけてごめんなさい」とミリィに素直に謝った。それを見て、フィーネもケイトも泣いてしまった。カルラはミリィの背に、そっと手を添えて支えた。
「……クラウド、父さんと母さんはな。前からお前がすごい力を持っていることはわかっていた。子ども離れした……いや大人たちよりもっと。頭も良いし、魔法もすごい。いずれこの子は、どっか遠くに行っちまうんだろうな…とは思ってる」
ガランドが真剣な眼差しでクラウドに言った。クラウドも父を見つめ返す。
「ぼく…どこにも行かないよ」
「そうじゃない、そういうことじゃないんだ。…クラウドはやりたいこと、もっとやっていいんだ。行きたいところにも行っていい。…ただ、忘れてほしくないのは、父さんと母さんは絶対にお前の味方だってことだ。……何かやりたいこととか困ったことがあったら、父さんも母さんも力になるから、その時はちゃんと話してくれ」
「うん…父さん、ごめんなさい…」
父と母の大きな温もりを感じた。とても心配してくれたんだろう。不安にさせてしまったんだろう。それでも、こんなぼくを大切に思ってくれている。申し訳ない気持ちに、クラウドは胸が苦しくなって泣いてしまった。ガランドはしっかりと息子を抱きしめて、ミリィもリィンごとクラウドに覆い被さった。
部屋にいる皆がその光景に、安堵して胸を撫で下ろしたのだった。
部屋の空気は次第に落ち着きを取り戻す。退院の手続きやこれからの養生の話題に移り、皆の表情にも柔らかい笑みが戻った。
クラウドの胸の奥には、あの夜の冷たい雨と、レオニダス公爵の眼差しがまだ残っていた。
それがどんな感情なのか――答えは出ないまま、朝の光だけが静かに彼を包み込んでいた。




