水面下の攻防
レオニダスは茶器を置くと、視線をサリウから外して少しだけ息をついた。
――この夫婦、やはり何か知っているな。
マリシアの瞳の奥にも、先ほどから言葉にならない動きがあった。少年のことを問うたとき、一瞬だけ目が泳いだのを見逃さない。だがこれ以上、正面から問い詰めても同じ答えしか返ってこないだろう。
ふと、視線が二人の子どもに止まる。
ケイトとカイル。謎の少年と年の頃も近い兄妹は、緊張を隠しながらも椅子に座っている。
「二人とも……随分、大きくなったな」
レオニダスの声音は、戦場でのそれとはまるで違う、穏やかで温もりのあるものだった。
「会うのは……そうだな、一年ぶりくらいか。あの時は確か、屋敷の庭でカイルは剣を振り、ケイトはそのまね事をしていたな」
ケイトが目を瞬かせ、少し恥ずかしそうに微笑む。
カイルも姿勢を正し、記憶を手繰るように小さく頷いた。
そういえば……と、公爵は軽く首を傾げる。
「ケイトと同じくらいの年頃で……名前はクラロード、いやクロードだったか……そんな子はいないかな?」
ケイトの胸がびくりと跳ねる。すぐに脳裏にクラウドの姿が浮かぶ――しかし、口を開くより先に、カイルが間に入った。
「いえ、そのような子は……町では聞きません」
笑顔を崩さずに言うが、その瞳はわずかに緊張を帯びている。
レオニダスはその様子を観察しながらも、追及の刃は向けなかった。
「そうか……私の勘違いかもしれんな」
そう言って軽く笑みを作り、茶をひと口含む。
間を置かずに、話題を変えるように問いを放った。
「メッツァ村の避難民の様子はどうだ? 私が北に向かったときは、かなり魔瘴熱が広がっていたはずだが」
サリウが答える前に、カイルがきっぱりと言った。
「もう大丈夫です。リリア先生が……全部治しました」
公爵の眉がわずかに動く。
「……相当な人数だったはずだ。老人や子どももいたと聞く。そう簡単に収まる病ではあるまい」
今度はサリウが静かに応じた。
「確かに苦しみ亡くなった者も多くいましたが、リリア先生の尽力で回復が進み、もう大事には至っていません」
「そうですわ。公爵閣下が迅速に、地脈の乱れを正してくれましたのも大きかったのでしょう」
マリシアも微笑んで添える。
「皆、日常を取り戻しつつあります。あの方がいてくださって、本当に……」
ケイトもうなずき、カイルも同意するように繰り返した。
「大丈夫です。もう安心です」
――全員が口を揃えるか。
レオニダスは内心で小さく息を吐いた。言葉だけを見れば何の矛盾もないが、その“揃いすぎた調子”が逆に耳に引っかかる。
穏やかな笑みを浮かべたまま、彼は椅子の背に深く身を預けた。
「そうか……それなら良い」
そう言いつつも、瞳の奥では先ほどの銀髪の少年の姿が何度も浮かんでは消えていた。
「では――出立する前に、“奇跡の医師”リリア殿に会っていこう」
レオニダスは茶器を静かに置きながら言った。
その言葉にサリウとマリシアは息を呑んだ。
「いえ!閣下に一医師が拝謁を賜るなど……」
サリウの言葉をレオニダスは遮る。
「はっきり言って、あの規模の魔瘴熱を、たった数日で沈静化させるなど異常だ」
低く抑えた声に、部屋の空気がわずかに張り詰める。サリウも他の者も何も返せずにいた。
「過去の例を見ても、患者は一週間以上も高熱に苦しみ、致死率も極めて高い。卓越した治療技術、体力、精神力――その全てが揃っていたとしても、この短期間での収束は……到底、無理だ」
サリウは気を落ち着け静かに応じた。
「リリア殿は町でも随一の名医です。ですが……今回は、幸運が重なったのかもしれません」
「幸運、か。具体的に幸運とは何だ?」
公爵はその言葉を口の中で転がすように繰り返した。――幸運だけで、この奇跡は説明できん。
胸中でそう断じながらも、顔には柔らかな笑みを浮かべた。
やっとマリシアが震える声を抑えて口を添える。
「……先生はずっと診療所に詰めきりで、寝る間も惜しんで患者を診てくださいました。他の町医者も懸命にそれを手伝いました。……それが効を奏したのでしょう」
レオニダスはわずかに首肯する。
「ふむ。いずれにせよ、礼を言うべきだろう。民を救った者には、相応の敬意を払わねば公爵の名折れよ」
スッと立ち上がると、供の者がすぐに後ろへ控えた。
慌てたサリウが叫ぶように言う。
「お、お待ちください!……リリア先生は先ほど申し上げたとおり、患者の治療のために疲労困憊です。ひと段落ついた今は、お休みになっていることでしょう」
「ふむ…。ならばいつならば良い?いつ会える?」
焦るサリウの後をマリシアが引き取った。
「明朝、閣下がお会いできるように取り計らいますわ……。閣下も、強行軍でお休みなくお勤めされてお疲れのご様子。ぜひ我が家にご逗留いただき、今晩はおもてなしさせてくださいませ。田舎町ではございますが、今年収穫した新酒もございます。なにとぞ……」
「相わかった、心遣い痛み入る。今夜はファーラント名産のワインを、サリウと酌み交わしともに酔おうではないか」
引き攣った顔のサリウに、レオニダス公爵はニヤリと口角を持ち上げた。公爵の口振は軽やかだったが、その眼差しは戦場で獲物を追う時のように鋭く光っていた。
窓の外では、昼の陽が町並みをやわらかく照らし、北通りからは商人の声が遠く響いてきて、穏やかなファーラントの午後だった。




