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世界の輪郭

 光が、窓から差し込む。

 朝の光は優しく、夜の灯りとは違って、空気そのものに色を与えていた。

 クラウドの視界は、ここ数日でずいぶんと明瞭になってきた。

 まだ遠くまでは見えないが、母ミリィの顔、父ガランドの姿、部屋の木の模様や、窓の向こうの青い空。

 少しずつ、世界の“輪郭”がととのい始めている。


 


 そして、耳。

 音が、意味を持ち始めた。


 それは突然だった。

 母がクラウドを抱きながら、微笑みかけたときのこと。


「……クラウド、いい子ね。ミルク、飲みましょうね」


 その言葉が、はっきりと意味を伴って心に入ってきた。

 ミルク、という音に甘く暖かい感覚が重なり、「母乳」のイメージが浮かぶ。

 「いい子ね」という音には、優しい手のひらの温度が重なった。


(わかる……音と感情が、重なって意味になってる……)


 まるで翻訳機能が起動し始めたような、感覚のチャンネルが開いたような、不思議な実感だった。


 


 ミリィはそんな息子を見て、ふっと目を細めた。


「……あなた、わかってるの? 言葉の意味……まさかね。……でも目が、何かを探してるみたい」


 クラウドの瞳が、まっすぐ自分を見ていることに気づいたのだ。

 赤子は普通、まだ焦点が定まらないはずの時期。それなのに、彼は確かに“見て”“聞いて”“考えて”いる。


 


 ガランドもまた、鍛冶場から戻るたびに、クラウドの視線を受け止めていた。

 打ち終わった剣を磨きながら、笑う。


「まるで、こっちの仕事を評価してるみたいな顔だな。……いっちょ前に」


「ふふ……それでも、クラウドは笑わないのよね。赤ちゃんってもっと無邪気に笑うものなのに」


「なんだ、もう達観してるのか? さすが俺の息子だな」

「私の子よ」


 二人のやりとりを、クラウドは静かに聞いていた。

 どちらの声も、音ではなく、まるで香りや温度のような情報として体に染み込んでくる。

 それが、意味となり、記憶として積み上がっていくのを、確かに感じていた。


 


 ダイニングの壁には暖炉がある。火加減が不自然なほど安定している。その反対側東向きの出窓がミリィの作業机になっている。小棚に並んだ色糸の瓶と、魔力の篭もった縫い針。

 そこから北側に石壁で間仕切られたガランドの作業場があり、窓がついた扉からは鉄と煤の匂いがかすかに漂ってくる。


 家の裏には庭があるが、これは何軒かの住宅の共同の庭になっており、もともと中央の井戸を囲い込むように家が建てられたためだ。朝には鶏の鳴き声が、夕には鐘の音とともに人々の話し声が風に乗って流れてくる。

 石畳の通り。馬車の音。売り子の声と、教会の鐘。

 この町はどうやらそこそこの都会らしい。


(俺は……この世界の一員になろうとしてるんだな)


 そう思ったとき、ふいに胸が温かくなった。

 玲を失ったあの日からずっと、何かが抜けたままだった心の奥。

 その隙間に、この世界の景色や音、父と母の温もりが、少しずつ流れ込んできていた。


 


 その夜、クラウドは眠る前、ミリィの胸の中でふと、声を出した。


「あぅ」


 わずかに喉が震えた。その音はただの赤子の音ではなく、意味を込めた発声に近い。

 驚いたようにミリィが目を丸くする。


「クラウド……?」


 彼の目が、母の瞳とまっすぐに重なる。

 その表情を見て、ミリィはふと、涙ぐむように笑った。


「……これからよろしくねクラウド……なんてね。へんなこと言っちゃったわ」


 その言葉に、クラウドの胸が少しだけ熱くなった。

 言葉としては完全に理解していないはずなのに、意味は、しっかりと伝わっていた。


 


 こうしてクラウドは、赤子としての短い日々の中で、世界の輪郭を少しずつ掴み始めていた。

 音に意味を見いだし、魔力の流れを感じ、自分の中に「今度こそ」という思いを育てながら。


(ゆっくりでいい……この世界で、もう一度やり直す)


 クラウドの新しい人生は、まだ始まったばかりだった。

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