荒野の旅路
昼食を終えた卓には、満ち足りた沈黙が落ちていた。
鍋の底には、名残の香りだけが残り、皿はきれいに空になっている。
誰もが背もたれに身を預け、深く息を吐いた。
「……ふう」
最初に声を発したのは、レオニダスだった。
鋼鉄の獅子と呼ばれる男が、肩の力を抜いたまま、クラウドを見る。
「クラウド少年。改めて礼を言おう」
その声音は、先ほどまでの豪放さとは違い、はっきりとした重みを帯びていた。
「正直に言えば、儂はサウナのことを“妙な体験談”くらいに思っていた。だが……想像を超えていたな」
視線を伏せ、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「老いさらばえていくだけと思っていたこの身体が……魔法と一体化したこの感覚は、一皮も二皮もむけたようだ。身体が整い、魔力の流れが澄む。それだけではない。思考が静まり、覚悟が固まる。戦に赴く前として、これ以上の準備はあるまい」
今までと違いフードを外し、端正な顔を露わにしたジルも、その強い双眸でクラウドを見つめて頷いた。
レオニダス公爵の言葉に続いて、巨漢のバルグ・ハイマルも大きな顎を振りながら言う。
「まったく親父殿の言う通りだ。身体の芯が据わった感じがする。力を振るう前の、不安や雑音が消えた」
ソリス・フェンも、緩やかな黒髪から覗く切れ長の目を和らげ、静かに同意する。
「火が、以前よりも近い。命令するのではなく、呼吸を合わせている感覚だ」
サリウ伯爵は皆の言葉を満足気に聞き、穏やかな笑みを浮かべてクラウドを見た。
「私からも礼を。よくぞ力を貸してくれた、クラウドのおかげで万全の体制で臨める」
「サリウ様の言う通りだ。本当に皆の力になった」
ルディウスも深く頭を下げる。
皆の感謝と視線を受けて、クラウドは少し照れたように首を振った。
「いえ……皆さんが素直に体験してくれたからです。サウナは“使う”ものじゃなく、“委ねる”ものなので」
「ハッハッ。相変わらず、少年は言うことが深いな」
レオニダスはそう笑い、立ち上がった。
「今日、いまこそ儂の最盛期!本当に心の底からそう思えるぞ。腹も心も満たされた。皆!旅装に着替えよう!」
クラウド自身は、支度はほとんどない。魔法を使い屋敷の後片付けをする。順調にことが進んでも、しばらくはここに来ないだろう。しっかりと綺麗にしておく。
ほどなくして、一行は旅支度を整えた。
鎧は締め直され、外套が羽織られる。
先ほどまでの半裸の姿が嘘のように、それぞれが“任務の顔”を取り戻していく。
最後に家の前へ出ると、馬たちが静かに待っていた。
「では行くぞ。目指すはメッツァ村だ」
レオニダスの号令で、全員が鞍に跨る。クラウドは来た時と同じく、サリウの鞍の前に乗せられる。
並足で、およそ二時間。
シキジ村を発ち、山裾を北西へ――。
————
道は緩やかにうねりながら、森と丘の境を縫っていく。街道から外れた道は、普段通る者のいない道とも言えない道。
野山が一面枯れ色となった寂しい眺めだが、枯れ草に隠れて下萌えが息付いている。
馬の足元に絡みつく冬枯れの下生えは、枯れているように見えても根や地下茎、株元に残した葉などが冬を越し、再び新芽を出し始めていた。
春の陽はやわらかく、空は高い。
小さく若葉をつけた木々が連なり、風が葉を揺らすたび、淡い緑の波が走った。
道脇には、雪解け水を集めた細い流れがきらめき、小鳥が跳ねるように枝から枝へ移っていく。
馬の蹄が地面を踏みしめる音は一定で、急ぐ様子はない。
急ぐ必要がない――それを、一同が無言のうちに共有していた。
ととのえられた身体と魔力は、過剰な緊張を必要としなかった。
山裾が近づくにつれ、空気はわずかに冷え、森の匂いが濃くなる。
これから向かう先には、危険が待つ。
だが今はまだ、春の道が続いている。
その穏やかな時間の中で、一行はそれぞれの胸に、静かな覚悟を育てながら、メッツァ村へと歩を進めていった。
「伯爵様!何かいる!」
突然、クラウドが声を上げた。手を左前方に突き出し、続けて言った。
「…6、7。…10頭以上の何かの群れです!近づいてきてます!」
「閣下!」
「応っ!聞こえたぞ、サリウ!おい、ジル!分かるか!?」
「ハッ!……」
ジルがクラウドの指差した方へ、意識を集中させる。
「…確かに。います!ウルフ系、おそらくハイドウルフ!」
「距離は?」
「500、いえ…400。接近中!」
「……よく、気づいたな。全員、儂に続け!丘に上る!」
右手に見える緩やかな丘に向かってレオニダスが馬を進める。全員が駆け足でそれに続いた。
一行が、20mほどの高さの丘の上に陣取る頃には、眼下にハイドウルフ達が姿を現していた。
狼達は淡い黄土色の毛色で、枯れ草色に溶け込んでいる。ハイドウルフは周囲の環境に、自らの毛色を保護色のように合わせ変えていくのが特徴だ。そして、常に群れを作って行動する。
気づかぬまま周囲をハイドウルフに取り囲まれて、襲われる冒険者や旅人の被害は後を絶たない。一頭でも、凶悪な牙と爪、機動力を併せ持つ危険なモンスターだ。
ハイドウルフの群れは、多くとも5〜6頭。しかし、眼下の草むらに隠れ近づいて来る狼の数は異常だった。
「前方に12頭。右手奥から回り込んで上って来るのが3頭います」
「少年、見事だな。ジルよ、これでは斥候が形無しじゃないか。フハハハッ」
「…笑いごとではありませぬ。狼の数が多すぎます」
通常、レオニダス公爵の軍では、スリーマンセルで一頭のモンスターに当たる。いかに鋼鉄の獅子とその腹心達の猛者揃いと言えど、15頭のハイドウルフに対して6人と子ども1人という状況は危険な死地と言えるだろう。
「普通であれば…な」
ニヤリと、口の端を持ち上げるレオニダス公爵がそこにいた。




