続くサウナの熱
サウナ室の壁を構成する煉瓦は熱を蓄え、触れずとも存在を主張している。そこから放たれる輻射熱が、肌の表面だけでなく、身体の奥へとじわじわ染み込んでくる。
排煙の通り道を兼ねている座面は、背や尻からも熱が立ち上ってくる。上から降りてくる熱と、下から這い上がる熱が重なり合い、逃げ場はない。
空気は重く、しかし澱んではいない。ロウリュによって含まれた水分が、熱とともに循環し、呼吸のたびに肺腑へと送り込まれる。
天井に張られたヒバの板は、蒸されることで香りを強めていた。熱と湿度によって引き出された、甘く澄んだ香りが、ゆっくりと降りてくる。
それは嗅ぐというより、浴びる感覚に近い。香りと熱が混ざり合い、思考を鈍らせ、同時に余計なものを削ぎ落としていく。
音はほとんどない。
あるのは、熱が満ちているという確かな圧だけだ。サウナ室そのものが、巨大な炉となり、中にいる者を静かに、確実に、内側から変えていく。
————
クラウドは、ジルの手首に指を添えながら、静かに数を数えた。
――六十前後。
先ほどの安静時と比べれば、確かに上がってはいる。
だが、思っていたほどではない。
(二度ロウリュを受けて、これか……)
クラウドは内心で小さく息を吐いた。
普通なら、息が荒くなり、判断力も鈍り始める頃だ。
だがジルは、呼吸もさほど変わらず落ち着いたまま、自分から状態の確認を求めてきた。
耐えているのではない。
状況を把握し、制御している。
この人は、ただ鍛えられているのではない。
極限の中で“生き延びるための身体の使い方”を知っている人間だ。
レオニダス公爵の影を守る者――その役目に必要なのは、力よりもまず、生き残る判断力。
(やっぱり……)
クラウドは、はっきりと確信した。
「まだ、余裕がありますね」
顔を上げ、ジルに告げる。
「もう少し、頑張りましょう」
そう言いながら、クラウド自身も熱の回りを強く感じていた。頭の奥がじんわりと熱を持ち始めている。
(これは……位置を変えたほうがいい)
クラウドは立ち上がり、下段へと移動する。
「僕は、下に座ります」
そして、ジルを見上げて続けた。
「ジルさんは、もう一度上段に」
ジルは短く頷き、言われた通り上段へ戻る。
熱と蒸気の層が、再び二人の間に形を成す。
サウナ室は、いよいよ本番の熱を帯び始めていた。
⸻—
クラウドは、最後の一杯を慎重に注いだ。もうこれで三度目のロウリュ。
水が灼けた石に触れ、音もなく砕けるように蒸気が立ち昇る。
それはもはや白い霧ではなく、重みを持った熱そのものだった。
ジルは背筋を伸ばし、その熱を意識的に受け止める。逃がさず、拒まず、身体の内へ通す。
(……なるほど)
どうやら、クラウド君が想定するよりも、自分の身体はこの熱に強いらしい。
ならば中途半端に終わらせる理由はない。
サウナの効能をきちんと得るためにも――もう少し、頑張ろう。
ジルは細く息を吸い、ゆっくりと吐く。深呼吸とともに、肺腑の奥へも熱気を取り込んでいく。
熱は、苦しさではなく、芯を温める感覚へと変わっていた。
一方で、クラウドは下段に座ったまま、時間の感覚を確かめていた。
(……もう、十五分は超えているはず)
下段にいるとはいえ、全身がじわじわと熱に満たされている。額から流れる汗が止まらない。
これは、限界が近い。
クラウドは顔を上げ、上段のジルに声をかけた。
「ジルさん……そろそろ、僕のほうが限界です」
正直な言葉だった。
「どうです?だいぶ熱く感じてきましたか?」
一拍置いて、続ける。
「心拍数のほうは……どうですか?」
熱と蒸気の中で、返答を待つ。
ジルはしばらく熱の中で呼吸を整え、それから静かに口を開いた。
「……心地良さもあるが」
一拍、間を置く。
「そろそろ、私も熱い。出たいと思っているよ」
その言葉を聞いて、クラウドはほっとしたように頷いた。
「じゃあ、もう一度だけ」
そう言って、再びジルの手首を取る。
指先で拍動を感じながら、頭の中で数を刻んだ。
(……八十、超えてる)
思わず、苦笑が漏れる。
「これでも……普通の人の平常時くらいですね」
サウナの中でこの数値という事実が、あらためて異常だ。
「でも、もう十分です」
クラウドははっきりと言った。
「OKです。出ましょう」
その声には、判断だけでなく切実さも混じっていた。
正直なところ、クラウド自身はもう一刻も早く外に出たい。
本当に限界だった。
クラウドは立ち上がり、扉へ向かう。
「外に出たら、軽くシャワーを浴びます。ポンチョはまた着ますので、持って来てください」
扉を開け外へ出ると、外の空気が一気に流れ込んできた。出た瞬間、肌を撫でる空気が、はっきりと冷たく感じられた。
思わず、クラウドの口から息が漏れる。
肺いっぱいに外気を吸い込むだけで、身体の内側から熱が引いていくのが分かった。
ジルも同じように一度、深く息を吐く。熱の余韻をまとったまま外気に晒される感覚に、短く感想を漏らす。
「……はあ。これは……ずいぶん違うものだな」
「ここで、少しだけ呼吸を整えてから……次です」
クラウドは温いシャワーを水魔法で作り出し、ジルと自分にさっと掛ける。
汗を落とし、身体を清める。
「ふう…。気持ちいい…」
水浸しになった下着姿のジルは、更に布地が肌に張り付いて透けて見える。
「さ、さあ、行きましょう」
目のやり場に困るクラウドは慌てて言って、泉のほうへ視線を向けた。
水面は静かで、わずかに立つ湯気が、外気との温度差を物語っている。
「あの……冷たそうな泉に入るのか」
「冷たいです。でも――」
一拍置いて、続ける。
「今の身体には、ちょうどいい」
先に縁へ近づき、足先で水に触れる。
熱を帯びた肌に、ひやりとした感触が走った。
(……よし)
クラウドは一度、深呼吸してから、ゆっくりと泉へ身を沈めていく。
水が足、腰、腹へと触れ、熱を吸い取っていく。
思考が一気に澄んでいく感覚。
「ジルさんも、ゆっくり続いてください。身を小さく丸めた方が入りやすいです」
「……っ」
そっと足先を入れたジルの口から、思わず小さく声が漏れた。
「無理に早く入らず、静かに」
そう言って、ジルにも視線を向ける。
「呼吸は浅く、ゆっくりです」
ジルは頷き、言われた通りにその身を泉へ沈める。首まで入った瞬間、わずかに顔を震わせたが、すぐに落ち着いた。
「……冷たいな」
だが、その声には嫌悪はない。
熱を抱え込んだ身体に、水が染み渡っていく。火照りは急激に引き、代わりに芯の奥に、静かな余韻が残った。
クラウドは水に浸かりながら、ぼんやりと考える。
(……やっぱり、この人は)
熱にも、水にも、ただ耐えているわけではない。その変化を受け入れ、整えている。
それができる人間は、そう多くない。
もう自然に水の羽衣を纏っているようだ。
パシャリと、ジルが水を掬い上げ顔に掛けた。
「…フーーーッ」
ジルは、細く長く息を吐き出す。
澄み切った泉の水面は春の陽光にきらきらと揺れ、二人の呼吸だけが静かな音として残っていた。




