ジルの身体
サウナ室に入る前、クラウドはひとこと断ってからジルの手首をそっと取った。
脈を測るためだ。
ポンチョを着たままサウナに入るのは、クラウド自身経験がなかった。ならば出るタイミングは感覚ではなく、心拍数を基準にしよう──そう考えたのである。
……おかしい。
脈そのものが弱いわけではない。拍動ははっきりしている。だが、回数が少ない。
三十秒で、二十ほど。
心拍数にすれば四十前後。五十どころではない。
「……」
アスリートの中には、安静時心拍数が極端に低い者がいる──マラソンランナーなどがそうだと、前世の知識が頭をよぎる。
だが、それにしても低すぎないだろうか。
「ジルさんは……よほど普段から鍛錬しているのですね」
探るように、だが失礼にならぬよう言葉を選んで尋ねる。
ジルは一瞬だけ視線を伏せ、それから短く答えた。
「……そうですね」
それ以上は語らず、ただ一言だけ。
レオニダス公爵の影を守る者として、日々高負荷の鍛錬を己に課しているのだろう。
クラウドはそう結論づけ、胸の内で納得した。
「では、サウナ室に入りましょう」
そう告げて、クラウドとジルは二人で室内へ足を踏み入れる。
「ジルさんは、上段に座ってください」
ポンチョを着ている分、身体が温まりにくいはずだ。
ならば温度の高い上段がいい──クラウドはそう判断した。
サウナハットにハーフパンツだけという半裸同然の格好のクラウドは、中段に腰を下ろす。
ジルは、扉を閉めた瞬間に押し寄せてくる熱に、思わず目を瞬かせた。
暑い。
だが、それ以上に戸惑いが勝る。
――これが、不思議な効能を皆にもたらしたという部屋か。
ヒバの木肌から、ほのかに甘く澄んだ香りが漂っている。
空気は熱を帯びているが、不快というより、どこか落ち着いた雰囲気がある。
確かに暑い部屋ではある。
だが、これが一体なんだというのか。
ジルは言われた通り上段に腰を下ろし、無言で様子をうかがった。
沈黙が続くのも気まずいと思ったのか、クラウドが口を開く。
「さっきは、手首で脈を測りました」
「……」
「ジルさんの心拍数が、とても低くて。正直、驚きました」
淡々と、だがどこか楽しそうに続ける。
「きっと、身体能力がものすごく高いんでしょうね」
そしてサウナの中での過ごし方を説明する。
「ここでは、暑さに耐えながら静かに座ります。心拍数が、普段の二倍以上になったら……それを目安に外へ出ます」
さらに続けて、ロウリュの話へと移った。
ジルはその説明を聞きながら、内心で首を傾げていた。
――不思議な子どもだ。
突然、医師のように脈を測り、五歳とは思えぬほど理路整然と話す。
知識も、落ち着きも、どこか年齢にそぐわない。
「それでは、ロウリュをしますね」
そう言って、クラウドは中段に座ったまま、柄杓を手に取る。
静かに、水を注ぎ始めた。
ゆっくりと注がれた水が、灼けた石に触れた瞬間、白い湯気となって膨れ上がった。
ロウリュというものを初めて目にしたジルは、静かに納得する。
――なるほど。
――熱した石に水を掛ければ、蒸気になる。道理だな。
透明になった湯気は、瞬く間に熱を孕んだ空気の塊へと変わり、波のように押し寄せてくる。
ポンチョの袖口や裾から露出した部分、フードに覆われていない顔に、湿り気を帯びた熱気が直接触れた。
確かに、熱い。
だが――。
ジルは、その熱の中に、不思議な心地よさがあることにも気づいていた。
湿度を持った熱は、刺すような痛みではなく、身体を包み込むように伝わってくる。
呼吸も、乱れない。
ここにはクラウド少年しかいない。
それを一瞬で判断すると、ジルは何も言わず、動いた。
ポンチョを脱ぎ捨てる。
余計な布を排したことで、熱が均等に全身へと伝わる。
この環境を、正面から受け止めたほうがいい――そう判断したのだ。
「……このほうが、分かりやすい」
淡々と、そう言った。
「ジ、ジルさんっ……!」
クラウドは上段を振り返り、ジルの姿を見て思わず言葉を詰まらせた。
ポンチョを脱いだことで、彼女は全身で熱を直接受け止めている。
ジルは、キャミソールのような下着一枚。汗に濡れて透けた布が肌に張り付き、鍛え抜かれた身体をはっきりと浮かび上がらせていた。
乳房のふくよかな起伏やひかえめな突起が輪郭づくられ、スラリと引き締まった脚線美と顕になった太腿の丸みと肌の白さが目に眩しい。
ジルの姿勢は揺るがず、視線も真っ直ぐ前を向いたまま。
ジルは、子どものクラウドが振り返ったことなど、まったく気にした様子がない。
(……落ち着け、落ち着け)
クラウドは内心で自分に言い聞かせる。精神的には四十を越えているとはいえ、今の身体は五歳だ。
しかし、不意を突かれた視覚情報に、どうしても動揺が走る。
「え、えっと……頭が熱くなりすぎないように、これを使ってください」
そう言って、急いでタオルを差し出した。
「サウナでは、頭が一番のぼせやすいんです。脳は熱に弱いので……体が慣れていても、頭部だけは守ったほうがいいです」
理屈を並べることで、なんとか平静を取り戻す。
ジルは説明を聞き、静かに頷いた。
「なるほど……合理的だね」
言われた通り、タオルを頭に巻きつける。その動作にも迷いはなく、どこか素直だった。
クラウドはほっと息をつき、再び前を向いた。
しばらくすると、クラウドもジルも、全身から汗が噴き出すようになっていた。
呼吸に合わせて、熱を含んだ空気が胸の奥へと流れ込んでくる。
クラウドは柄杓を取り、もう一度ロウリュを行う。
水が石に触れ、再び蒸気が立ち上った。
熱気が層を成して降りてくる。じわり、じわりと、逃げ場なく身体を包み込む。
ジルは背筋を伸ばしたまま、その熱を受け止めていた。
表情は変わらないが、額から首筋へと汗がどんどん伝い落ちていく。
クラウドは一瞬様子を見てから、タオルをもう一枚差し出す。
「汗、これで拭いてください」
「……ありがとう。クラウド君」
ジルはそれを受け取り、短く礼を言って額を押さえた。
「ジルさんは……だいぶ我慢強いですね」
クラウドが声をかける。
「まだ、大丈夫ですか?」
ジルは一呼吸置いて答えた。
「…そうだね。……だいぶ身体が熱くなってきたよ」
そう言ってから、少し考えるような間を挟み、続ける。
「……クラウド君。もう一度、脈を測ってくれるかな」
そう告げて、ジルは上段から降り、クラウドの隣に腰を下ろした。
距離が近づき、熱と蒸気の中で、二人の呼吸が静かに重なる。
汗に濡れたジルは、艶めかしくも健康的な肢体だ。
クラウドはなるべく隣りを見ないように小さく頷き、改めてジルのほっそりとした白い手首へと意識を向けた。
そっと手首を握り、脈動の上に親指を重ねて数を数える。
少し息が苦しくなってきたジルは深く呼吸して、不思議と大人びて見えるクラウドの顔をじっと見つめていた。




