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転生

 温かい。けれど、息が詰まるような、柔らかな圧迫感。

 遠くから誰かの声が聞こえる。けれど、耳の奥で響いているようで言葉ははっきりしない。

 まぶたの裏には、赤い光と影がちらついている。温もりと、ほんの少しの不安。


(……ここは……?)


 意識はある。けれど身体が思うように動かない。

 重い。まるで全身をぬるま湯に沈められたようだ。指も、足も、目すらも動かせない。

 けれど、確かに生きていると感じる。心臓の音が、やけに大きく聞こえる。


 そのときだった。


 まぶたの隙間から強い光が差し込んだ。同時に濡れそぼった体に冷えた空気を感じて、急に恐怖心でいっぱいになった。


「オギャア!ァアアア……」


 今の泣き声は俺の声!?わからない、心が震えた。


 すぐにふわりと持ち上げられ、温かい布に包まれた感覚。誰かの腕の中。優しい香り。


「おぉ……よしよし……私の可愛い赤ちゃん……」


(……女の人の声?……?)


 それは、懐かしくもあり、まったく知らない声だった。

 混乱の波が、脳の奥底からじわじわと広がっていく。

 だがそれ以上に、奇妙な違和感が胸を締めつけた。


(ちょっと待ってくれ……俺は……)


 蔵田一人。

 東京の商社で営業課長をしていて、昨晩はいつものサウナに入って——


(……そうだ。事故……俺、車に……)


 断片的に、現実が押し寄せる。

 死んだはずの自分が、なぜか今、どこかで生きている。

 しかも——


(なんで……身体がこんなに小さいんだ?)


 思考が冴えていく。声がくぐもって聞こえる。目はようやく薄く開くが、視界はぼやけていて、目の前の女性の顔が霞んで見える。けれど、確かに笑っていた。


「クラウド……ちっちゃくて、あたたかくて、元気で……本当に、ありがとう」


 その声に込められた慈しみは、玲の笑顔に少し似ていた。

 涙が滲む。けれど、それは哀しみではなかった。


(……転生、ってやつか? これが……)


 信じがたいが、そうとしか思えない。

 だがこれは夢ではない。

 目の前の女性の肌にはうっすらと汗が滲み、彼女の腕は震えている。

 その奥には、窓の外に見える石造りの街並み。煙突から白い煙が上がり、遠くで馬車の音と、甲高い鐘の音が響く。

 まるで映画か舞台のような、中世ヨーロッパ風の光景——けれど、これは作り物ではない。


(……異世界、なのか?)


 そのとき、部屋の奥から、たくましい男の声が聞こえてきた。


「おおクラウド!よくぞ生まれてきてくれた。なぜか今朝すぐに思いついたんだ!クラウド!おまえにぴったりだ、坊や」


 がっしりとした腕、煤けた服、革製のエプロン。背中には大きな鍛冶槌が見える。なにかの職人だろうか。

 手を伸ばしてきて俺の頭をなでようとしたところを女性に止められる。


「ダメよ!しっかり手を洗って!」

「ダハハハハハ‥」

 誤魔化すように男が笑う。


(職人の父と……優しい母……?)


 現実味を増す情報が、次々と脳内に刻まれていく。

 心がざわめく。怖くはないが、ただ、あまりに現実離れしている。

 それでも、なぜか——心の奥には、不思議な安堵があった。


(……生まれ変わったのか、俺は。新しい世界で……また、誰かと生きるために)


 そして思う。


 今度こそ、守れるだろうか。あの時、玲に言えなかったこと。できなかったこと。


 「ファア‥」

 ふと、赤子の口から小さな声がもれた。自分でも驚くような可愛い声だった。


 それを聞いて、母は笑った。

 父も、にやりと笑みを浮かべる。


 名を呼ばれる。

 あたたかく、優しく。


「クラウド」


 その響きが、静かに胸に落ちる。


 蔵田一人——いや、クラウドの新しい人生が、ここから始まった。

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