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清水様の泉

 春の陽はすでに高く昇り、空は淡く澄みきっている。

 冬の名残をわずかに含んだ空気が、火照った肌を撫でるたび、身体の奥に溜まっていた熱が、ゆっくりとほどけていく。


 レオニダス公爵は、思わず大きく息を吐いた。


「……なるほどな」


 その声には、いつもの剛毅さよりも、どこか呆然とした響きが混じっていた。

 汗に濡れた銀髪が陽を受け、きらりと光る。


「外に出た瞬間、世界が……明るい」


 視界が冴え、色が立ち上がる。

 空の青は深く、木々の若葉は瑞々しい。

 それらすべてが、ただ“見える”のではなく、身体に染み込んでくるようだった。


 バルグは肩を回し、低く唸る。


「……妙だな。重さが消えた。鎧を脱いだ時とは違う……骨の奥が軽い」


 岩のような体躯の男が、まるで確かめるように足踏みをする。その所作すら、どこか子どもじみて見えた。


 ソリスは無言のまま、煉瓦の壁に手を置き、目を細めて空を仰いでいる。

 その呼吸は深く、均一で、獣のような緊張はどこにもない。


「……音が、よく聞こえる」


 ぽつりと零れた言葉。

 遠くで鳥が鳴き、木々が風に擦れる音が、はっきりと耳に届く。


 サリウ伯爵は、灰色のサウナハットを脱ぎ、額の汗を拭った。その表情は穏やかで、どこか満足げだ。


「春の陽というものは、本来こういうものだったのかもしれませんな」


 温もりはある。

 だが、暑くはない。


 身体の内側がすでに満ちているからこそ、外から注ぐ光が、ただ心地よい。


 ――熱をくぐり抜けた後の世界は、何ひとつ変わっていないはずなのに、確かに、違って見えた。


「さて、皆さん。急かすようで申し訳ないですが、身体に熱があるうちに次に行きますよ」


 そう言ってクラウドは、温いシャワーを作り出す。勝手知ったるサリウとルディウスが、シャワーを浴び始める。


「まずは全身の汗を流します。清水(きよみず)様へのマナーですね」


 首を傾げる他の三人だったが、サリウとルディウスに倣いシャワーを浴びる。一足先にシャワーを浴びたサリウとルディウスは、泉に向かって勢いよくザブリと入って行った。


 それを見たバルグが引き攣った顔で言う。


「おいおい…。あれは温泉じゃないよな?」

「あれが清水様です。珍しい涌泉で、一年を通して冷たい水が湧き出る素晴らしい泉ですよ。ありがたいことです」


 バルグは口を開けて目を丸くして、ソリスは不思議な生き物を見るような目で、クラウドを見つめている。


「まさか、私たちもあれに入る…のですか?」

「そうです、行きますよ。濡れたままだと身体が冷えてしまいます」

「クラウド少年、泉に入ったほうが身体が冷えてしまうのではないのか」


 クラウドは、呆れたようにレオニダスを見やる。


「泉に入って冷やすんです。冷えるではなく冷やす。これもサウナですよ」

「……」

「いいから行きますよ、ととのえなくなってもいいんですか?」

「…むぅ。それは困る…」


 レオニダス公爵の手をむんずと掴み、ずんずんと泉へと引っ張って行くクラウド。


「こ、これ少年!そんなに引っ張るものではない!ひっ!冷たいっ!」


 あまりにクラウドが引っ張るものだから、レオニダスの片足が泉に浸かってしまった。


「ハッハッハ。鋼鉄の獅子(アイアン・リオン)と呼ばれるお方が、まさか!水如きを恐れているのですか」

「冷たいものは冷たいだろう!や、やめろ。待て、少年。入る!入るから自分で!」

「あの夜の雨は冷たかったなあ。…凍え死ぬかと思いましたよ……」


 逃げるレオニダスの足が、ピタリと止まる。青褪めた顔をしてクラウドを見つめる。


「…あ、あの時は本当に申し訳ないことをした。ほ、本当に!イシュグランに帰ってからも心苦しく思っていたのだ」

「ハッハッハ。水に流しましょう!この泉で!」


 そう言い放ったクラウドは、念動力を使ってレオニダス公爵を強引に泉に引き摺り込んだ。


「ぐぉおーーっ!きっ貴様クラウド!いま何をしたっ!?」


 肩まで沈められ、咆哮する鋼鉄の獅子。


「いつまで見ているんですか?あなたたちも入るんですよ」


 呆然と様子を見ていたバルグとソリスが、びくりとして身を震わせた瞬間。フワリと二人は地面から離れ、手足をバタつかせながら泉に背中から落とされた。


「ぎゃーーっ!!」

「うぉおおおっ!!」


 顔にかかった水飛沫を手で拭いながら、ルディウスが静かに口を開いた。


「……我々の初体験が、これじゃなくて良かったですなサリウ様」

「……本当にな、ルディウス」


————


 四阿の影では、一部始終を余すことなく見ていたジルが、その身を震わせていた。


 自分の主人が、鋼鉄の獅子と王国中で畏れ敬われる主人が、5歳の子どもに悲鳴を上げさせられている。


 呆気に取られてその様子を見ていると、間を置かずバルグとソリスが泉に放り投げられた。鬼の部隊長、レオニダスの右腕と左腕と呼ばれるあの猛者どもが。


 手足をバタバタとさせ、何もできず赤子のようにあしらわれている。戦場にあっても聞いたことがない、叫び声を上げてである。


 何だこれは。

 私は夢でも見ているのか。


 あの子どもは、いったい……何なのだろうか……。


————


「冷たいっ!し、死んでしまう。ク、クラウド少年。出してくれないか」


 レオニダス公爵の懇願に、クラウドは念動力を緩めることはしない。バルグとソリスに対しても同様だ。


「大丈夫ですよ。死にません。かえって健康になるくらいです」

「い、いつまで入っていればいいのだ」

「そうですね、あともう少しですかね」

「もう少しとは、あ、あと何秒だ」


 横目でレオニダスの顔を見てクラウドは言う。


「公爵様。そろそろあまり冷たくなくなってきませんか?」

「……そう言われてみれば。…確かに、じんわりと肌が温いような…」


 水の羽衣ができつつあることを確認したクラウドは、バルグとソリスの顔も確認する。こちらも落ち着きを取り戻したようだ。


「サウナで熱くなった体から、泉の冷たい水へ熱が移ります。熱交換と言うんですが、これで温い水の層が薄っすら作られます。「水の羽衣」と言ったり「温度境界層」とも呼ばれます」

「ほう!少年は博識だな」


 感心したレオニダスがクラウドを褒める。


「フフ、さてそれではそろそろ上がりましょう。次が最後の"ととのい"の段階です」

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