サウナへの導線
掃き出し窓の向こう、木造の小屋へと続く小径に足を踏み出した瞬間、一行は確かに外気と異なる匂いと温もりを感じていた。
春先の冷たい風の中に、微かに混じる薪の香。鼻腔をくすぐるほど強くはないが、確かに「火の場」が近いことを告げている。
最初に歩くクラウドの背を追いながら、レオニダス公爵はちらりと周囲を見渡した。
自分とバルグ、ソリスは――
下着である生成り色の紐付きトランクスに、大判のタオルを腰へ巻いただけ。
戦場で幾度も死線を潜ってきた鍛え抜かれた身体だが、こうして半裸で並ぶと、どこか心許ない。
バルグは、岩のような肩と厚い胸板を惜しげもなく晒し、その上に無造作にタオルを引っ掛けている。
一方ソリスは、細身ながら鍛え抜かれた筋肉が無駄なく張り付き、静かな獣のような佇まいで歩いていた。
それに対して――
「……おぬしらだけ、妙に様になっておるな」
レオニダスの視線は、前方の三人に向けられていた。
サリウ伯爵は、上質な灰色のサウナハットを深めに被り、同色のハーフパンツ型の水着。
いかにも「場を知っている者」の落ち着きがある。
ルディウスは濃紺色のサウナハットに同じくハーフパンツ。騎士であり魔法士でもある彼は、無駄な動きを一切見せない。
そしてクラウド。群青色のサウナハットとハーフパンツ。幼い体躯だが、纏う空気は不思議と軽く、揺るがない。
レオニダスは鼻を鳴らした。
「その帽子……そんなに必要か?戦場で頭を守る兜なら分かるが、それは何だ」
クラウドは足を止め、振り返って答える。
「これも兜と同じ、頭部を守るためにあります――“サウナの高熱”から頭を守るんです」
「……ほう?」
「長く入ると、頭だけ先に熱を溜め込みすぎることがあります。頭が熱くなると身体が温まる前に耐えられなくなって、サウナ本来の効果が得られにくいんです」
サリウが小さく笑った。
「閣下。私も初めは同じことをクラウドに尋ねました。でも実際に被ってみると分かりますぞ。無いと、頭だけ煮えます」
「ほう……煮える、か」
レオニダスは羨ましげにハットを見つめ、自分の銀髪を一度撫でた。
「替えは無いのか?」
「残念ながら。今日のところは、タオルを頭に巻いて凌いでください」
サリウの即答に、レオニダスは不承不承に頷いた。
「…それにしても、見事な石床と岩風呂だな。ボルサッカの温泉地と違って、この造りは職人の仕事だろう?」
ボルサッカは王国北方にある、温泉で有名な景勝地だ。雄大な山間に誰が作った訳でもない、自然の岩石の中の窪みが造る岩風呂の野湯である。流れ清らかな渓流の横での入浴は、ボルサッカでしか味わえない野趣溢れるものだ。
「閣下、これも全てクラウドの手によるものですよ。温泉を引くところから、全てです」
「なっ…!?」
サリウの言葉に、レオニダスもバルグとソリスの二人も、信じられないという顔で愕然として振り返る。はにかんで笑うクラウドを見て、レオニダスは改めてこの子どもは化物であると再認識するのだった。
やがて、サウナ小屋の前に立つ。
煉瓦造りのしっかりとした外壁、分厚い木扉に、ここにも透き通る大きなガラスが嵌められている。その向こうから、ぱち、ぱち、と薪のはぜる音が聞こえてきた。
音は小さい。
だが、耳の奥に残る。
それだけで、ここが単なる小屋ではないことを、経験豊富な者ほど直感していた。
「……中は、煮えるように熱いのだな?」
ソリスが低く言う。
「ええ。ですが――“耐える”場所ではありません。身体と心を活発にしてくれる場所です」
クラウドはそう告げ、扉に手を掛けた。ぎ、と音を立てて開かれた瞬間、熱が、波のように押し寄せた。
「さ、早く入ってください。熱を逃したくないのです」
刺すような灼熱ではない。
身体の表面をなぞり、ゆっくりと内側へ沈み込んでくる温度。
「……っ」
バルグが短く息を吐いた。
「重い……いや、濃いな。まるで熱そのものに厚みがある」
室内は簡素だった。
木壁、木床、階段状の座面、石を積んだ黒い鉄の炉。
装飾は一切ない。
だが、積まれた石の一つ一つが均一に熱を帯び、空気が揺らがない。
――整っている。
レオニダスは一歩踏み入れ、そして、思わず笑った。
「なるほど……これは、いままで感じた熱とは違う」
「皆さんは中段に腰掛けてください」
腰を下ろすと、汗の根が開くのを感じる。
苦痛はない。
だが、逃げ場もない。
「……これは」
レオニダスは腕を組み、低く呟いた。
「拵えたものや着飾ったものが、剥がされる熱だな。この熱に向かい合うには裸ひとつが好ましい」
その言葉に、サリウとルディウスは無言で頷いた。
「どうですか、熱さは?バルグさんやソリスさんは耐えられそうですか?」
「ああ、いまのところ煮える感じはないな」
「うむ、多少熱さで肌が灼ける感じがするが、思ったほどではないな」
「フフフ、良かったです。でも、ここからが本番です。ロウリュをしますよ」
「ロウリュ?」
二人の声が揃った。
————
サウナ室の外。
四阿の側に、黒いローブのジルは影に寄り添って身を隠していた。
屋外でもまた驚かされた。平たい石が貼られた床、湯が溜まりつつある大きな風呂、この壁のない木の屋根と柱。ジルは建築など全く詳しくない。しかし、この家は中も外も、簡素だが整然として澄み切っている。
サウナを断ったジルだが、公爵の側近としてその身は案じている。いや、サウナとは何なのか、それを見極めたい気持ちも多分にあった。
視線の先には、先ほど半裸の男たちが入って行った小さな小屋。その扉越しに伝わる熱の気配に、わずかに肩を震わせている。
その時、小屋の中からワッと声が上がった。ジルの耳には、複数の声が重なり合って聞こえた。
――中で、何かが始まっている。
それだけは、ジュリア・ブリュネル、彼女にもはっきりと分かった。




