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サウナの準備

 クラウドが扉を押し開いた瞬間、外気とはまったく異なる“澄みきった空気”が一行を包んだ。


 サリウ伯爵は微かに眉を上げる。


「……相変わらず、清い……」

「そうですな、清廉な空気です」


 ルディウスがそれに応じる。


 レオニダス公爵は無言のまま足を踏み入れ、一歩進んだところでぴたりと立ち止まった。


 館内は、ありえないほど静かで、美しかった。


 梁や柱は飴色に磨かれ、床には埃ひとつなく、壁には余計な装飾がないため、光が流れ込むように広がっている。


 そして何より、一行の目を引いたのは──大きな窓ガラスだった。


 透明度が異常だ。

 まるでそこに“何もない”かのように、外の景色が一切の歪みなく広がっていた。


「……待て。これは……ガラスか?」


 レオニダス公爵が低く呟く。


「はい。少し、特殊な方法で作りました」


 クラウドが返す。


 公爵は掌を窓に近づけ、指先で軽く触れた。


 指の輪郭が窓越しにほとんど変わらない。

 この国で一般的に流通するガラスは、もっと曇りや歪みがあり、透明とは程遠い。


「……しかも、これは……!おい!二枚合わせではないか?なんだこれは!?」


 レオニダスは息を呑んだ。

 ソリスが窓の縁を眺めて言う。


「これは……王都の工房でも見たことがありません。光の通り方が異常です」


 レオニダスは恐ろしいものを見たかのように、矯めつ眇めつして、横から覗いたり、しゃがみ込んでは見上げてみたりしていた。


「……歪みがない。圧力をどう処理した?熱は?……いや、考えるだけ無駄か」


 バルグは腕を組み、館全体をゆっくりと見渡した。


「……この屋敷、何かがおかしい。いや……“秩序が整いすぎている”」


 フードの奥で、ジルが初めて息を深く吸い込んだ。


「……澄……静……魔力の淀み……無……“人の住む家”とは思えぬ……」


 その声は褒め言葉とも、警告とも取れない。

 クラウドは少し困った顔で笑った。


「えっと……掃除の魔法が得意なので、こういうふうになってしまうんです」

「“なってしまう”のレベルじゃない!」


 レオニダス公爵が半ば叫ぶ。


「これは王宮の施設でも到底維持できぬ状態だぞ!?いったい……どれだけの魔力と制御を……」


 クラウドは曖昧に視線を逸らした。


「……まあ、いろいろ試していたら……」


 サリウが静かに補足した。


「閣下。クラウドのやる事なす事、いちいち気にしているとキリがありませんぞ。クラウドは必要のない魔力まで“整える”んです。この家は、まるで……魔力が静謐に流れる儀式場のようでしょう?」


 レオニダス公爵は再び窓から外を眺め、低く息を吐き出した。


「はぁ〜っ。ここにいるだけで……筋肉の張りが抜けていく気がする。何だこれは……」


 バルグが頷く。


「温泉地の結界にも似ているが……違う。もっと自然な……呼吸に近い……」


 ジルだけが不気味に囁いた。


「……“器”が満ちる場……魂を静める波長……」


 クラウドは聞き取れなかったが、サリウとルディウスははっとして振り返る。


 沈黙を破るようにレオニダス公爵が手を叩いた。


「よし!わからんが、わかった!余計な考えは後だ!まずはその“サウナ”とやらを体験させてもらうぞ!」

「はい、公爵様。準備はすぐ終わります。衣服を脱いで待っていてください」

「ハッハッ。サリウの言う通りまるで風呂だな。よし、皆下姿(しもすがた)になれ」


 それを聞いたバルグとソリスは、聞いていないとばかりにレオニダスを振り返り、ジルは身震いをして固まっている。


 サリウ伯爵とルディウスは、待ってましたとばかりに着替えに部屋に入った。二人は、水着とサウナハットをしっかりと持って来ている。


 クラウドは微笑み、一足先に火を熾すためにサウナ小屋へ向かった。


「……聞いておりませぬ」


 ジルが、か細い声でレオニダスに向かって言った。


「ん?なんだジル?何か言ったか?」

「聞いておりませぬ!……下姿になるなど…」

「ん?そうか…。おーい!サリウ!サウナとやらは脱がないと駄目なのか!?」


 レオニダスが、部屋に入ったサリウに向けて声を張る。部屋の中から叫び返す訳にもいかないので、甲冑を脱いだところだったサリウが、部屋から軽装で出てきた。


 レオニダスの問いに、サリウは暫し考える。


「……そうですね。種明かしになるので、あまり言いたくないですが……熱い部屋に入ったり、水に浸かったりするものなので、脱がないと効果が現れないかも知れませんな。…着替えの途中なので、失礼」


 サリウは、そう言って部屋の中に舞い戻る。

 それを聞いたレオニダスは、ジルを見て告げる。


「…ふむ。そうか。ジル、脱げ」


 端的な指示に、ジルは唖然とした顔でレオニダスを見る。


「!い、嫌です!な、何を言うのですか!私は、サウナとやらは結構です!」

「ジル!この馬鹿者!我らはこれから死地に行くのだぞ!どんな些細なことでも、縋れるものがあれば使って利用しないといかん!それがここにいる者の、生死を分けるかもしれんのだぞ!」

「くうっ……」


 レオニダスの叱咤する言葉に、ジルは口ごもる。主人の言う事は至極尤もだ、正論過ぎて反す言葉も無い。しかし、ジルも嫌だと言ったら嫌だ。深くフードを被り、膝を抱えて座り込んでしまった。黒いローブに包まれて、部屋の隅で身を丸くしている。


 それを見たレオニダスは、大きく溜め息を吐いた。もともと無口なジルが、こうなってしまうと、もうテコでも動かないだろう。


「……バルグとソリス。その方等はよいな?ジルは、とりあえず捨て置く、どうにもならん」


 バルグとソリスは顔を見合わせた。珍しくジルが声を大きくして話したかと思ったら、これまた珍しくレオニダスに叱責されていた。バルグとソリスの二人は、これ以上主人の機嫌を損ねないよう、速やかに下姿になったのだった。


 サリウとルディウスは準備万端、水着とサウナハットに変身して部屋から出てきた。それを見たレオニダスが言う。


「……おぬしらだけ、ズルいのう。専用の格好があるのか」

「ハッハハハ、すみません閣下。代わりに、タオルはたくさん準備しておりますので、ご容赦ください」

「…ふん」


 サウナハットを被ったサリウの顔には、あまり申し訳なさが出ていない。そうこうしているうちに、クラウドが窓ガラスの掃き出し窓を開けて帰ってきた。


 裸の面々を見たクラウドは「サウナの準備ができましたよ。…あれ?ジルさんは…」と見回し、隅に黒い物体を見つけてギョッとした。


「…ジルは、よい。放っておけ。さてクラウド!案内してくれ」

「……はい、わかりました」


 首を傾げつつも、クラウドは皆を案内し始める。館の奥、木の扉一枚隔てた先にある“熱と静寂の小屋”へ向かって、一行は掃き出し窓から歩みを進めた。


 扉の奥からは──

 薪のはぜる音が、かすかに聞こえていた。

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