クラウドの決意
湯気の立つ茶杯をそっと置いたクラウドは、落ち着いた空気のなかで家族を見回し、伯爵邸でサリウ伯爵から聞いた話についてゆっくりと切り出した。
「マハザールの洞穴……?」
ミリィの声が震えた。
「あそこは……昔から“死の匂いのする場所”よ!たくさんの冒険者が、命を落としてるの!あなたを、そんなところに行かせるなんて――」
ガランドも腕を組んだまま、難しい表情を浮かべる。
「伯爵様も無茶を言う……クラウドの力なら確かに可能性はある。…だが危険すぎる」
意外にも、最初に前のめりになったのはエレナだった。
「クラウド君なら行けるわよ!というか、あなたの魔力なら洞窟ごと捻じ曲げられるわ!」
「そんなことある訳ないよ、エレナ先生……」
クラウドが苦笑した瞬間、ミリィがきつく口を挟んだ。
「エレナ、その無責任な言い方はやめて。クラウドはまだ子どもなのよ?」
「わ、わかってますよ!でも、“クラウド君ならできる” って思ってしまうのよ!」
ミリィとエレナが軽く言い争いになりかけたところで、ガランドが手を挙げて静止した。
「落ち着け。……クラウドはどうしたいんだ」
全員の視線がクラウドに向く。
リィンでさえ、真剣な顔で兄を見ていた。
クラウドは胸に手を置き、ゆっくりと言った。
「まだ、決めたわけじゃない。でも……もし放っておいて、また魔瘴熱が広まったり……スタンピードが起きたら。また誰かが苦しむなら……」
一度目を伏せ、その後まっすぐ顔を上げた。
「……僕は、向き合わなきゃいけない気がする」
その声は小さいのに、なぜか家の空気を震わせるほどの重みがあった。
「……どうして!どうして、クラウドがそんなところに行かなきゃいけないの!……あなた頭いいし、魔法も凄い。けど、この間5歳になったばかりの子どもよ!」
「母さん…。僕は…僕が、誰より特別だって知ってる」
「…!!な、生意気だわ!クラウドは私の子どもよ!クラウドのことは母さん、一番よくわかってるんだから!」
興奮して声を大きくするミリィに、ガランドが宥めるように言う。
「ミリィ。……クラウドが言ってるのは、そうじゃない。…そうなんだろう?クラウド」
「…うん、そう…だね。…母さんが、僕のこと一番に思ってくれてるのは、よくわかっているよ?僕が言ってるのは、僕の能力のことなんだ」
「そうだな。はっきり言って、クラウドの能力のことは父さんも、母さんも底がわからん」
「っそれは!……そう、だけど…」
そう言ってミリィが黙り込み、ガランドも考えこむように口を開かない。家の空気は、張り詰めたように動かなかった。
「ま、まずは、お昼にしましょう!ご飯を食べて、ゆっくり考えたら…きっといい考えも浮かぶわ!さ!何か作ります、リィンも手伝ってちょうだい」
エレナがそう言ってキッチンに向かうと、リィンも元気よく「うん!」と、答えて立ち上がった。
残された三人は、答えが出せないまま無言が続いた。気まずくなったクラウドは、「エレナ先生の片付いた部屋を、見に行こうかな」と、言ってリビングを離れて階段を上った。
クラウドは、伯爵の話を振り返りながら、家族の自分を思う気持ちに心を痛めていた。どう話を切り出せば良かったのか。いや、結局はどう話しても快い承諾などある筈もなかった。
それが、自分を大切に思ってくれている、家族の思いそのものだから。
(どんなに心配をかけようと、やるしかない。……それが、町を、家族を守ることになる)
かつて物置だったその部屋は――驚くほど何もなかった。
埃っぽかった棚も、壁際に積まれていた古い木箱も跡形もなく、床にはギルドから運んできた大きなリュックがひとつ。その横に、雑に敷かれた寝具が転がっているだけだった。
(……これじゃあ、まるで旅の途中みたいだ)
まだ年若い女性が、こんな部屋で寝起きしていると思うと、胸の奥がきゅっと痛んだ。
「……ベッドくらいないとかわいそうだな」
クラウドはそっと呟き、朝に魔法で庭に運び出しておいた壊れた古い木棚を、念動力を使って呼び戻した。きしんだ音を立てて、木棚がクラウドの前に降り立つ。
クラウドはすっと手をかざした。
――パキ、パキパキ……ッ。
棚を構成していた板や支柱が、見えない指先で触れられたように分解され、宙にゆっくりと浮かび上がる。
次に、魔法で木目を読み取りながら不要な部分を切り落とし、寸法を整え、滑らかになるまで削り上げる。木屑は空中でふわりと散り、ひとつにまとめて丸く固められる。
(エレナ先生、どんな寝心地が好きかな……柔らかめ?硬め?)
形を思い浮かべる。
すると木材たちはそれに応えるかのように、カチリ、コトリと組み木の角度を微調整しながら組み上がり――ベッドの形が、みるみる完成していった。
磨かれた木肌は温かい琥珀色で、ついさっきまで壊れた棚だったとは到底思えない。
背後から柔らかな気配を感じた。
クラウドが振り向くと、ミリィがそっと立っていた。気づけば、ずっと見守っていたらしい。
「……凄いわね。こんなに見事に作っちゃって」
両腕を組んで、呆れたように目を丸くしている。
クラウドは少し照れながら、ベッドの脚を微調整していた手を止めた。
「エレナ先生の部屋、あまりに何もなかったから……せめてこれくらいはと思って」
ミリィはそっと近づき、完成したベッドの縁に触れる。
その指先が、ほんの一瞬震えた。
「やっぱりあなたは……。いいえ、優しい子ね、クラウド。エレナは、あの子はいろいろ抱えているもの。きっと喜ぶわ」
その声はまるで、春の日差しのように温かかった。
クラウドは、胸の奥に小さな炎が灯るような気持ちで微笑んだ。
昼食を食べている間、ミリィは何度もクラウドの顔を盗み見ては、食事の手が止まった。ガランドは黙々と食べ終えると、手持ち無沙汰に鍛冶用の革手袋を整えていた。
エレナは妙に神妙な表情になって、ぽつりと呟いた。
「……私が、口出ししていいことじゃないってことはわかってる。でも言わせて。クラウド君、あなたは“選ばれる”んじゃなくて“選ぶ子”よ。あなたが決めるなら、それが最も強い運命になるわ」
クラウドはその言葉だけ受け取って、静かに頷いた。
ミリィとガランドは何も言わず、エレナの言うことを黙って聞くだけだった。
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エレナが自室のベッドに気づき、大喜びでクラウドに抱きついてきたりした一幕もあったが、概ね穏やかな午後をそれぞれが過ごした。
その後は、夕食で集まったときもマハザールの洞穴への調査の話は、一切話題に上らなかった。
家族が寝静まったあと、クラウドは窓の外に目を向けた。
春の夜の風。
遠く聞こえる水路の音。
そのすべてが、なぜか洞穴の奥から聞こえる“脈動”に重なっていく。
(……僕は、逃げない。伯爵様が町を、村を守りたいと言ったように、僕にも守りたいものがある)
家族やフィーネ、ケイトの顔が、自然と心に浮かぶ。クラウドの胸の奥深くの熱は、決意に変わりつつあった。




