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真の力

 門が閉じる音は、背後で世界をひとつ遮断したかのようだった。


 クラウドは敷き詰められた白石の小径を進み、庭を抜けて玄関口へ向かう。

 古木の扉は厚く、鉄金具が鈍く光り、それを開く兵士の動作には一切の無駄がない。


 玄関扉が開かれた中には、左右に侍女や従僕が居並び、腰を折ってクラウドを出迎えた。たかだか下町の子どもに、いっそ物々しい程の礼だ。


(……おかしい…今日の伯爵邸は異常だ)


 心の内の警戒を一段高くし、クラウドはゆっくりと進み出る。


 ひとたび屋内へ入ると、外気とは別の空気が流れていた。人が多く住まう温もりではなく、秩序が積もり重なって漂う冷静な空気だ。


 案内役の家令が、恭しく頭を下げた。


「クラウド様。伯爵様がお待ちでございます。こちらへ」


 クラウドは軽く会釈し、その後ろに続く。

 足音の響き方さえ違う石造りの回廊。

 壁にはこの地の歴代領主たちの肖像が並び、冷たい眼差しが歩く者を見下ろしていた。


(……人に緊張を強いる雰囲気は、相変わらずか)


 ケイトの誕生日に来た時に感じた、豪華さ、厳粛さとも今日は違う。もっと鋭く「領地を守る責任」という鋼の緊張が満ちている。


 階段を上りきると、重厚な扉の前で家令が足を止めた。


「クラウド様、本日は他に誰も部屋にお通しいたしません。どうぞ、お入りください」


 コンコン、と軽く扉を叩き、家令が開く。


 部屋に入った瞬間、静謐な空気が肌を撫でた。

 壁際の書棚、磨き上げられた木の机、窓から差す柔らかな光。

 その中心に、サリウ伯爵が静かに座していた。


 普段どおりの淡い微笑みを湛えているが、その目は――何かを見極めるように、鋭く深い。


「よく来てくれた。クラウド。急に呼び立ててすまなかった」

「いえ。何かご用があると、ケイトから伺いましたが」


 クラウドが席の前に立つと、サリウは手で椅子を示した。


「座ってくれ。今日は少し……込み入った話になる」


 その声音は柔らかいのに、背後に重い影が差す。

 クラウドは座り、静かに息をひとつ整えた。


「クラウド。君にも関わりがある話だ」


 サリウは目を伏せ、小さく一呼吸置いてから続けた。


「レオニダス公爵から聞いた話だ。──あの黒樹の森のホットスポットが、再び汲み上げられる恐れがある。王宮で、不穏な動きがあると」


 クラウドの背筋が、わずかに固くなる。


「そんな。……あの一件から、わずか数か月しか経っていないのに、ですか?」

「そうだ。そして……今回は城の内側だ」


 サリウの表情は穏やかなままだったが、その声には隠すことができない緊張が滲んでいる。


「……はっきりと言おう。レオニダス公爵は、王妃イザベルと宰相ルシアンが今回の件の黒幕と睨んでいる。……どうやら、彼らはライフストリームの汲み上げから、大きな利潤を得ているようだ」

「……!」

「公爵の上奏は、王に届かなかったらしい。あまりに不自然に、握り潰されたそうだ。……レオニダス公爵は、王宮そのものに疑念を抱いている」


 クラウドは息を呑んだ。

 明らかに、何かが始まりつつある気配があった。


 サリウは、クラウドの目をまっすぐに見た。


「黒樹の森を有する旧トゥロワ男爵領は、新たに男爵となったロアン・メディシスが領有することに決まった。ロアン男爵はイザベルの実の弟だ」

「つまり、手出しできない向こう側で、また同じことが繰り返される……と」

「……そうだ」


 クラウドは、無意識のうちに拳を強く握り込んでいた。メッツァ村を襲った、あの魔瘴熱の悲劇がまた繰り返されるのか、そんな馬鹿なことが。


「……許せません」

「……私もだ。そして、レオニダス公爵も黙ってはいない」


 クラウドの胸の奥で、何かが静かにざわめく。


「君に頼みがある。今はまだ詳細は伏せるが、私は近々、ある調査を始めるつもりだ。その前に──君の力を見せてもらいたい。ラグス翁が化け物と呼ぶクラウド、君の真の力をだ」


 サリウの声音が、部屋の空気を重くする。


 伯爵がここまで真正面からクラウドの力を求めてきたのは初めてだった。


 クラウドは静かに頷いた。


「……わかりました。どのように?」


 サリウは席を立ち、窓際に歩む。


 そしてゆっくりと振り返り、微風のように静かだが、確かな強さを帯びた声で言った。


「庭へ出よう。――君の“本当の実力”を見せてくれ」


————


 伯爵邸の石畳を抜け、手入れの行き届いた中庭へ出た瞬間、春の風が二人の袖を払った。


「では……クラウド。見せてくれるか」

「…はい」


 サリウ伯爵の声音は穏やかだった。

 だがその奥にある“何かを測る意志”を、クラウドは敏感に感じ取っていた。


 一体、サリウは自分に何を求めているのか。だが、サリウの巨悪に立ち向かう意志、領主としての気概は本物だ。クラウドもまた、自分や家族、ファーラントに住む人々をなんとしても守りたい。その気持ちは変わらない。


 クラウドは頷き、一歩前へ出た。


 指先を軽く掲げると、大気が震えた。

 透明な光が集まり、まるで世界の鼓動をすくい上げるように、巨大な癒しの水塊がふわりと出現する。


 青白く輝き、内部には細やかな魔力粒子が雪のように舞っている。


(これは……なんだ……?)


 サリウは、一歩も動けなかった。


 自らも水属性を持つ。

 故に理解してしまう。


 今そこにあるこれは──魔力の純度が常軌を逸している。


 癒しの水は本来、波打ちやすく不安定だ。

 だがクラウドの水は、揺らぎが“ない”。

 制御と量、その両方が人間の域ではなかった。


(これほどの癒しの水……水魔法士が集まって行う最大治癒の儀式、何回分に匹敵するのか……)


 飲み込まれそうな重圧に、伯爵の喉が鳴った。


 クラウドは手を下ろし、今度は足元の土へそっと触れた。


 ゴゴッ──


 大地がうねり、隆起し、やがて三人分の高さもある土壁が姿を現した。


(土魔法!二属性目……ダブルか!)


 サリウが息を呑む。


 だが驚愕は、まだその先にあった。


 壁は光沢を帯び始め、土から石へ、石から金属へ──質感が“変質”していく。


 最終的に立っていたのは、鍛え抜かれた鋼鉄そのものだった。


「馬鹿な……」


 サリウの声が震える。


 土属性は形を変えることができる。

 しかし、金属変質は高位魔術師でも稀な領域。


 それをこの少年は、人差し指を触れただけで瞬時にやってのけたのだ。


(──早さも、魔力も圧倒的すぎる)


 伯爵の背に温度のわからない汗が滲んだ。


 クラウドが深く息を吸うと、空気が震え、熱が集まり始めた。


(まさか……三つめ……?)


 伯爵が思うより早く、手のひらから炎が噴き上がった。


 赤──橙──黄──光が眩くなり、ついに白を超えて──


 青。


「……っ!」


 サリウは反射的に後ずさる。

 距離を取らなければ、皮膚が焼ける。


 クラウドの周囲は陽炎ではなく、熱そのものが“空間を歪ませて”いた。


 少年は青白い炎を鋼鉄の壁へ向ける。


 ジジジ──ッ……!


 鉄が、赤く溶け……滴り落ちた。


 伯爵は呆然と呟いた。


「トリプル……か……」


 万人に一人、いや数万人に一人の奇跡。魔法士にとっての伝説。


 だが、それすらまだ序の口だった。

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