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北通りの春霞

 朝の陽が南通りに差し込み、家の中に柔らかな光が満ちる。

 パンと野菜スープの香りが漂う台所では、エレナとミリィが談笑しながら朝食を並べ、クラウドは手際よく食器を洗い終えていた。


「……クラウド君、あなた本当に毎朝これやってるの?」

「うん、父さんと母さん働いてるしね」


 魔法で脂や汚れを浮かせ、瞬時に蒸発したように消し去るその動作は、“魔法”というより“儀式”のような滑らかさだった。


「もう、クラウドったら。今朝は手伝いしなくていいって言ったのに」


 ミリィの申し訳なさそうな顔に「母さんもせっかくのお休みなんだから、ゆっくりしてて」と、クラウドは微笑み返した。


 食卓を片し終え、クラウドは軽く伸びをする。


「じゃあエレナ先生の部屋も、片付けちゃうよ」


 そう言ってクラウドは、階段を登ってエレナの寝起きしている物置部屋の前に立った。


「ちょっ、ちょっとクラウド君!そんな気軽に言うけど、ここは物置だったのよ? 本も布も工具も、どれだけ――」


 クラウドはガチャッとドアノブに手を掛け、慌てて追ってきたエレナに言う。


「大丈夫、だいじょうぶ。ちょっと離れて見ててください」


 そう言ってクラウドは、扉を開ける。


 埃と古い紙の匂い、積み上がる木箱、紐で縛られた布束や古い衣服。さらには、部屋の半分ほどを占める工具と金属片。


 エレナは昨晩も、その隙間に毛布を敷いて寝たのだった。


「……ここを一日で?みんなでやらないと無理でしょ?」

「いや、まずは“把握”から」


 クラウドは静かに目を閉じる。


 次の瞬間、部屋中の空気が震えた。


 音のない光の波が広がり、床、棚、天井――微細な埃、木くず、糸くず、金属片がふわりと浮かびあがる。


 まるで部屋そのものを透視し、内部構造を分解しているようだった。


「な、なにこれ……魔力の鼓動が……空間に染み込んでいく……」


 エレナは息を呑む。


 “スキャニング”


 クラウドがそう呼ぶそれは、元素や構造を読み取っていく“解析魔法”だ。


 不要物だけを分離して、ひとかたまりになった埃や屑を、彼は指先で弾いた。


 ボンッ


 それは瞬く間に光に溶けて消える。


「っ……え? 消した? どこに?」

「分解しただけですよ」


 エレナの背に寒気が走った。


「……え?…なに?…どういうこと?」

「……まあ、あまり気にしないことですね」


 さらりと答えるクラウド。


 それだけでは終わらない。


「じゃあ“中身”全部出しますから、エレナ先生こっちへ来てください」


 彼は片手を上げ、軽く息を吸った。


 空間を撫でるような動作――そして、風が巻いた。


 箱も布束も鉄屑も、棚に乗ったカトラリーも、規則的な列を成して宙に浮き、一直線に外へ滑り出ていく。


「……風魔法……じゃない……もっと根本的に、“力の線”を掴んでる……」


 エレナは震える声で呟いた。


 命令で動かすのではない。物体に宿る“運動性”そのものを撫で、望む方向へ乗せている。


「クラウド君……あなたは……」

「はい?」

「……理解不能!」


 エレナは頭を抱えた。


「水の大魔法も、瞬時の乾燥も、空間掃除も、今の操作も……全部、既存の系統と違うのよ!どうやって“学んだ”の?」

「学んだというか……考えたらできました」

「理論構築すっとばして直感で魔法を創造する天才か!?いや神!?ああ、私、あなたの教師やってていいの!?」


 クラウドは困ったように首を傾げる。


「先生なのはリィンだけですよ。僕は自分でやります」

「それが問題だって言ってるのよおお!!」


 叫ぶエレナを横目に、クラウドは外へ整然と並ぶ荷物を見渡した。


「僕の魔法はあんまり大っぴらにしたくないので、秘密ですよ?じゃあ後は、母さんと一緒に部屋らしくするだけですね」

「もう!“だけ”って規模じゃないわよ……」


 玄関で靴を履き、クラウドは家族に頭を下げる。


「じゃ、行ってきます。昼前には戻れると思う」


「馬車とか変な人に気をつけてね」ミリィが笑い、「伯爵とマリシアさんによろしくな」ガランドが腕を組み、「にーに、がんばってー!」リィンが飛び跳ねる。


 エレナは真剣な目でクラウドを見た。


「……戻ったら、魔法について話すわよ。ちゃんと。あなたのこと、もっと知らなきゃ気がすまない」

「ハハッ。それは、ほどほどにお願いします」


 クラウドは手を振り、南通りへ踏み出した。春の風が、いぶし銀の髪と薄い外套を揺らす。


 南通りを抜けると、空気がひとつ澄んだように感じられた。

 鍛冶場と商店の喧噪が遠のき、中心通りには昼前の光が真っすぐ届いている。

 どこか祭りが終わった後のような静けさ――人の流れは穏やかで、車輪の音も控えめだった。


 パン屋の軒から漂う香ばしさと、郵便馬車の蹄の音。

 クラウドは外套の襟を整え、小さく息を吐く。


(……今日は、ただ行くだけじゃない気がする)


 理由はわからない。

 けれど胸の奥に、微かな張り詰めた糸の感覚があった。


 中心通りを渡り切ると、石畳が細かく変化する。

 舗装の目が揃い、道幅が広がり、街灯の装飾が急に洗練される――北通りだ。


 ここから先は、「町」ではなく「領都」の顔になる。


 両脇には等間隔で剪定された並木。

 白壁と黒灰瓦の屋敷が続き、門扉には家紋が彫り込まれている。

 往来する馬車は派手な装飾こそないが、金具は磨かれ、乗る者は貴族か官吏と思しき衣服を纏っていた。


(やっぱり……南通りとは、まるで別の世界だな)


 感嘆ではなく、観察。

 職人と商人の通りから、政治と知の通りへ移る――社会の構造そのものが街路に刻まれているようだった。


 やがて視界の先に白い校舎が現れる。

 王立ファーラント校。


 尖塔を備えた二階建ての建物が、広大な石垣の向こうに姿を見せる。

 規則正しい窓、校章の旗、敷地を囲む衛兵。


 この町で最も格式ある学び舎。

 フィーネやケイトと共に、クラウドも今年の秋に入学する予定だ。


(ここに通うのか……)


 自分が通う所だと思い、改めて見る。近づくほどに、ただの学校ではないことがわかる。学問と魔法と武を備えた、「未来を選別する場」だ。


 生徒たちの声が遠くに聞こえる。

 剣戟の響き。詠唱のリズム。走る足音。


 クラウドは無意識に歩を緩めたが、すぐに視線を上げて再び歩き出した。


(立ち止まる理由はない。今日の目的地はこの先だ)


 北通りの最奥、石畳が一段高くなる場所にそれはあった。


 石造りの外壁は重厚で、武骨なまでに装飾を排した堅牢な造り。

 中央の尖塔から掲げられる紋章旗が、春風に長く靡いている。


 門前に立つ兵たちは鎧の光沢が揃っており、槍の石突きが地面に食い込んでいるように微動だにしない。

 客を“迎える”ためではなく、“守る”ための姿勢。


 クラウドは軽く頭を下げ、名を告げた。


「南通りの鍛冶屋ガランドの息子、クラウドです。本日、伯爵様にお呼びいただき参上しました」


 衛兵たちは顔を見合わせ、すぐに門を開く。


「どうぞ。すでに話は通っております」


 重い錠が外れ、門扉がゆっくりと開いていく。

 春の陽光と冷たい影が、庭の芝生に交差する。


 クラウドは一歩踏み入れた。


(……胸騒ぎがする。ここから先が、話の核心か)


 その胸中に、ふと風が吹き抜けた。

 未来の輪郭が、薄い空の向こうにぼんやりと揺れていた。

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