あたたかな夕餉
夕刻。窓の外は薄桃色の残光が沈み、家々の煙突から夕餉の匂いが立ち上っていた。
クラウドの家の食卓には、湯気を立てるポトフとこんがりローストの塩漬け肉、パン屋で買ったバゲットが並ぶ。エレナが昼間のテンションとは打って変わって、まるで古くからいる親戚のような顔で席に座っている。
「さて、今日の晩ごはんはエレナ先生のお手製ポトフです。母さん、疲れてるだろうから」
クラウドが鍋をよそいながら言うと、エレナは胸を張って
「疲れた身体には汁物と根菜よ!生命力が上がるわ!」
「今日一番それっぽい台詞ですね」
「それっぽいとは何よ!いつも本気で先生よ!」
ガランドがパンを引きちぎりながら笑う。
「派手な見た目のわりに家庭的な料理すんだな、先生は」
「派手は余計よ、ガランドさん!私の芸術的で繊細な炎のコントロールが、このポトフにはドバッと詰まっているわ!」
「ドバッとって……何を言ってるのかはよくわからんが、まあ美味いから良しだな」
「くっ……ガランドさんの、その雑な褒め方……嫌いじゃないわ!」
エレナは嬉しそうに頬を緩め、ガランドは呆れたように乾いた笑いを漏らした。
「ねぇねぇ!きょうね!火の子がね、『あっちいこー』っていったの!」
リィンが椅子の上で跳ねるように身を乗り出す。
ミリィはスプーンを持つ手を止め、柔らかく微笑んだ。
「まあ……火の子、ね。リィンはもうお友達ができたの?」
「うん!ひーちゃんね、たくさんしゃべったよ!」
エレナが大きく頷き、力説した。
「本当によ!ただ炎が揺らめいてるだけじゃないの。意思があるわ。問いかけたら反応する。あれは――間違いなく“精霊”!ミリィさん、これは歴史的快挙ですよ!?」
ミリィは驚きと誇らしさの入り混じった表情になり、そっとリィンの頭を撫でる。
「すごい子ね、リィン。……でも、火は危ないから、ちゃんと先生やクラウドと一緒の時だけだよ?」
「はーい!」
リィンが満面の笑みを浮かべ、エレナは感極まったように手を握りしめた。
「この家……本当に、とてつもない宝を抱えてるわ……!」
「ちょっと、大げさですよ先生」
クラウドが苦笑しながら言う。
「もう!全っ然大袈裟なんかじゃないわ。……はぁ〜、ほんっとにクラウド君はわかってないわ。それにしても驚いたのよ。リィンは精霊と“会話”。フィーネは土と水を自在に操って人型を作るし、ケイトは火と風の複合の炎柱!あの二人も普通じゃないわ!……そして極めつけはクラウド君。あなたの能力は底が知れないわ!」
「今日はいつにも増して喋り倒しますね。……褒めても何も出ませんよ」
「出るわよ、おかわりが!」
クラウドは呆れつつ、差し出された皿にポトフをよそう。
食事が一段落し、温かいハーブ茶の香りが満ちる中、ミリィが静かに言った。
「明日は……お仕事、お休みなの。初のお休みね」
「お、そうなのか母さん」
「うん。みんなのおかげで、すっごく充実してる。ありがとう、でもあんまり根を詰めてもね。そろそろ……みんなとゆっくり過ごしたくて」
その言葉に、エレナとガランド、クラウドも顔を見合わせる。
「いいですね!明日こそデザート勝負にします?朝から全力で魔法を使ってデザート対決とかどうですか?」
「エレナ先生……そろそろ落ち着いてください」
「だって!楽しいんだもの!」
ミリィは茶を啜りながら、小さく笑った。
「……にぎやかになったわね、家が」
その声音は、嬉しさとほんの少しの戸惑いを含んでいた。
クラウドは、テーブルに置いたカップを指先で回しながら言った。
「そういえば……明日の朝、伯爵邸に呼ばれてるんだ」
「伯爵様に?」
ガランドが顔を上げる。
ミリィもカップを持ったまま視線を向ける。
「なにかあったのか?」
「わからない。ただケイトが帰るときに言ってた。“父上がクラウドに用があるから明日の朝来て”って」
「ケイトが……」
ガランドは顎に手を当て、しばし考え込む。
「領主様からの呼び出しとなると、軽い話ではないな」
「どうだろう……緊急って訳じゃなさそうだけど」
ミリィがクラウドに問いかける。
「クラウドは何か思い当たる?」
「うーん……サウナの話かな?まあ、行って聞いてくるよ」
その落ち着いた口調に、まだ少年だと忘れてしまうほどの重さが宿っていた。
どんな話かは、結局のところ誰にもわからないので、伯爵から呼び出された話はそれ以上広がらなかった。
夕食を片づけたあとの家は、どこか祭りの片付けのように名残惜しい温かさに満ちていた。
裏庭からは夜風が入り込み、ランプの火が揺れる。
エレナは食器を拭きながら、ふいにミリィへ向き直った。
「ミリィさん……その、あの……お風呂、沸いておりますので……どうぞっ、先に!」
「えっ、ありがとう。でもエレナが先に入ったらいいのに」
「とんでもない!私なぞは……一番最後で結構です!」
「……変な気回しですね、らしくない」
クラウドが即座に突っ込み、ガランドも吹き出す。
「似合わない顔すんなよ。普通に入れ」
「し、しかし家の者より先に湯を取るなど……っ!」
「その召使いみたいな価値観どこから来たんだよ……」
ミリィは苦笑しつつ、エレナの肩に手を置いた。
「ありがとう。じゃあ、リィンと一緒にお先にいただくわ」
「ど、どうぞごゆるりと……っ!」
エレナは姿勢を低くして見送る。
リィンはそれを見て「せんせー、めしつかいしてるー」と感想を漏らすだけだった。
⸻—
リィンの頭をタオルで拭きながら、ミリィはクラウドの傍に近寄り声をかける。
「明日は私も休みだし……クラウドが領主様のところへ行くなら、家のことは心配しないでいいわ。お手伝いもほどほどにして行ってらっしゃい」
「うん。ありがとう、母さん」
「うふふ、クラウドは大きくなったわね」
ミリィが優しく頭を撫でると、クラウドは少し照れくさそうに目を逸らす。
その後、言葉通りエレナが最後に風呂を使い、湯気の立つ浴室の戸が閉まると、リビングに静けさが広がった。
ガランドは火酒の入ったグラスを、グイッと呷った。
「…フーッ。さて……寝る支度をするか。明日はゆっくりできそうだ」
ランプを絞り、家が眠りに落ちる空気の中、エレナは当然のように立ち上がった。
「では私は……“素敵なお部屋”へ」
「素敵って言えるような環境じゃないと思うけど……」
クラウドが苦笑し、ガランドも腕を組んで唸る。
「素敵どころか、あそこは完全に物置部屋だぞ。毛布敷いただけじゃ不便すぎだろう」
「不便こそ!創造の源泉!雑多な物に囲まれて眠る、最高です!」
エレナは胸と虚勢を張るが、部屋に溢れる工具や未整理の布の山を思うと説得力は薄い。
ミリィは額に手を当てつつも穏やかに言った。
「……わかったわ。とりあえず今夜はそのままで。でも明日はお休みだし、ちゃんとお部屋として整えましょう。埃を吸って倒れられても困るし」
「えっ……部屋に“整えて”くれるの?」
エレナはぱっと瞳を輝かせた。
「もちろん。うちにいる以上、あなたも大切な家族の一人なんだから」
「か、家族……!ああ、なんて……なんて暖かい……!寝る前に泣いていい!?」
「勝手にしてください。……静かにお願いしますね」
クラウドが呆れながら返し、エレナは感極まった表情のまま物置部屋へ向かった。ランプの灯りが落ち、外では夜風が木々を揺らし、虫の声が遠くで響いていた。
誰も気づかないところで、静かに運命の糸車がまた一つ回り始めていた。




