春の蕾が開くとき
「……先生。いつまで抱きついてるんですか」
肩まで水に浸かりながら、クラウドは腕にしがみつくエレナへ冷静に言った。
「だ、だって……!離れたら絶対ぜぇぇったい無理よこの温度!!火属性の身にもなりなさいよぉぉぉ!!」
「いや、そろそろ上がらないと冷えすぎます。手、放してください」
「やだ!!この距離が命綱なの!!クラウド君の体温だけが今の私を生かしてるの!!」
「大袈裟だな……」
ラグスは鼻で笑いながら、泉の縁に手をついた。
「ほれ、上がるぞ。肌が真っ赤じゃ。もう十分冷えた」
「えー……クラウド君が離してくれるなら……」
「誰が……もう!離しますよ」
「離さないで!!……っていうか待って!!」
結局クラウドの手に引かれ、エレナはよろよろと泉から上がった。
泉の縁の石を踏むと、ひやりとした風が肌を撫で、エレナはブルッと震えた。
「うう……し、死ぬ……」
「はい拭いてください。風邪ひきますよ」
クラウドはタオルを渡しつつ、自分とラグスも手早く身体を拭く。
三人は四阿へ向かい、フードつきのサウナポンチョを頭からすっぽり被った。
「……あ、あったか……これ、天国だわ」
「フフ、サウナポンチョもカルラさんが準備しておいてくれて感謝ですね」
「ま、もう少し暖かくなったらいらんのう」
三つのロッキングチェアに三人が腰を下ろすと、軽い軋む音がする。
「ここからは、しばらく喋らないでくださいね」
クラウドの静かな声。
「はいはい……クラウド君の言う通りにするわよ」
少し離れたところで、フィーネとケイトがリィンの肩にそっと手を置いた。
「リィン、シー……」
「お兄ちゃんたち、ととのいタイムだよ」
フィーネが優しく囁き、ケイトも人差し指を口に当てる。
リィンはこくんと頷いて、三人から一歩離れた。
四阿の中に静寂が落ちた。
風の音と木々の葉擦れだけが、ゆっくりと流れていく。
(……なに、この……感覚……)
エレナの胸は穏やかに上下し、息は自然と深くなっていた。
(熱……水……風……全部が……溶けあって……)
さっきまで暴れていた心臓が、落ち着いていく。
頭の奥がスッと軽くなり、視界の端が柔らかい光に滲んだ。
(あれ……?魔力の流れ……見える……?)
驚きに目を薄く開く。
クラウドの周囲には煌めく虹色の流れが、ラグスの周りには焔のような赤い揺らぎが――まるで呼吸のように広がっていた。
(私……こんな……世界に……いたのね……)
湯気が薄く漂い、椅子に沈み込んだ身体は重力を忘れていく。
心の奥にあった余計なざわめきがひとつ、またひとつと剝がれ落ちていく。
(……これが……クラウド君の言ってた…… “ととのう”……?)
指先が痺れるように温かくなり、胸の奥が静かに、まるで灯りがともるように――ふっと軽くなった。
(……すごい……気持ち……いい……)
エレナの目尻から、ひとしずく涙が落ちた。
(なんで泣いてるのかわからない……でも……今……すごく……幸せ……)
風が頬を撫でる。
世界がゆっくりと呼吸しているようだった。
そのまま、エレナの身体も心もフワリと空気に浮かび上がるように広がり、エレナは考えることをやめた。
どれほど時間が経っただろう。
エレナの長いまつげが、春の風に触れたように小さく震えた。
うっすらと目を開くと――視界には、淡く揺れる木漏れ日が映り込んだ。
冬を押し退けるように、シキジ村の丘を撫でる“早春の風”が吹き抜けていく。
その風の中には、土の湿り気と、若い草の香りと、遠くで芽吹く小さな生命の気配が混ざっていた。
(……ああ……世界って……こんなに、柔らかかった?)
エレナはゆっくりと息を吸い込む。
肺の奥まで澄んだ空気が届き、頭の中のどこかに張りついていた曇りが、音もなく剥がれ落ちていく。
(熱……水……風……全部が馴染んで、流れてる……“世界”がひとつの身体みたい……)
ただの疲労ではない。
ただの快感でもない。
――自分の魔力と、世界の魔力が重なり合う感覚。
それはエレナが長年求めてきた“魔法の核心そのもの”だった。
(これ、私……いままで……わかってなかったのね……)
春の風がポンチョの隙間からそっと入り込み、身体の中の温度と混ざり合う。
その瞬間。
ぴしり、と胸の奥で光が弾けたような感覚が訪れた。
(――あ)
魔力の流れが、はっきり“線”になって見える。
いや、見えるのではなく “感じている”。
熱の流れ、水の揺らぎ、風の脈動。
それらが網の目のように繋がり、自分の魔力と共鳴していた。
(……これが……覚醒……?こんな……静かで……優しいものなの……?)
エレナは胸に手を当て、知らぬ間に涙が滲んでいることに気づいた。
⸻—
「……せんせー……」
小さな声に振り向くと、ポンチョに包まれたリィンが覗き込んでいた。
その後ろに、フィーネとケイトも立っている。
エレナはゆっくりと上体を起こし、優しく微笑んだ。
「……どうしたの、みんな。……静かにしてくれてありがとうね」
ケイトはじっとエレナの顔を見つめ、不思議そうに眉を寄せた。
「……先生、なんか……雰囲気変わりました?」
「えっ、わかる?」
「うん。なんか……えっと……すごく、綺麗……?」
「ケイト、それはちょっと失礼じゃない?」
フィーネが肘でつつく。
「違うの!そういう意味じゃなくて……えっと……『魔力の色』が前より澄んで見えるっていうか……」
エレナは少し驚き、そして嬉しそうに笑った。
「そっか……あなたたち、感じる子ね。火の流れ、見えるんでしょう?」
「……はい。最近から、ちょっとだけ、ですけど」
リィンももじもじしながら手を上げた。
「リィンも……せんせーのまわり、ぽかぽかしてるの、みえたよ……きれいだった……」
その言葉に、エレナは胸がきゅっと締め付けられる。
(……ああ……なんて素直な“感じ方”をするの……この子たち……最高じゃないの……?)
さっきまで泣いていたことも忘れ、エレナは両手を広げた。
「みんなー……ぎゅーってしたい気分なんだけど、していい?」
突然のエレナのお願いに、フィーネとケイトは目を丸くして、リィンはぱっと笑顔を見せる。
「えっ?」
「えっ!?」
「…えへへ、いいよ!」
一番にリィンが飛び込み、フィーネも頬を赤らめながら寄り添い、ケイトもためらいがちに抱きついてくる。
三人の少女に抱きしめられながら、エレナは小さく呟いた。
「……うん。私、この家……ほんとに……ほんとに大好きになっちゃったかも……」
――遠くで、小さな蕾が音を立てて開いた気がした。
その瞬間、エレナは悟る。
この家で、この子たちと共に過ごす日々こそが、自分の魔法の未来をひらく“運命の場所”なのだと。




