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ラグスの誘い

 裏庭の空気は、まだほんのりと熱を帯びていた。

 だがその熱は、先ほどまでの火花のような緊張ではなく、どこか柔らかい温もりを帯びていた。


 泣きはらしたエレナは、目を赤くしたまま、しおらしく俯いている。


「ラグスさん……その、さっきはごめんなさい。少し……熱くなりすぎたわ」


 ぽつりと呟く声は、先ほどの勢いとは別人のように静かだった。

 ラグスは井戸の縁で煙管をくゆらせ、ゆっくりと頷く。


「火は、落ち着いてからがほんとの温かみを出すもんじゃ。……よし、そろそろ“温め直し”に行くかのう」

「温め直し?」


 クラウドが首を傾げる。


「そうじゃ。シキジ村へ行こう。あそこなら湯と風がちょうどええ。今の嬢ちゃんにちょうどいい薬になる」


 ラグスがにやりと笑う。

 その“湯と風”という言葉の響きに、クラウドはすぐに察した。


「……なるほど。師匠、ハマりましたね」

「はっ。そうじゃのう、毎晩サウナのことを考えとるわい」

「サウナ?なにそれ?」


 エレナは瞬きを繰り返した。


「行けばわかります。先生にも、ぴったりの場所ですよ」

「ふーん……まあ、何でもいいから行くわ。負けたまま終わるのも気分悪いし、気分転換になるならどこでも連れてって」


 涙の跡を拭いながら、エレナはすっくと立ち上がった。

 その目には、再び火が灯り始めていた。


「じゃあ決まりですね」


 クラウドが頷き、リィンが両手を挙げて跳ねた。


「やったー!またおふろいけるのー!」

「ふふ、今日はみんなで行こう」


 ラグスは立ち上がり、杖をくるりと回した。


「その前にのう、ちょいと寄るところがある。カルラのとこじゃ。頼んでたもんができとるはずじゃ」


 フィーネが「私はちゃんと持ってきてるよ」と、にんまり笑って言った。「えへへ、実は私もです」と、ケイトもはにかみながら言った。

 それを聞いてクラウドも気づく。


「あ、なるほど!」

「俺のサウナ用のやつじゃ!」


 エレナだけが、不思議そうな顔をして首を傾けている。


 南通りを抜け、昼前の町を歩く。

 パン屋から漂う小麦の香り、路地裏から響く鍛冶の音、行商人たちの呼び声。

 その喧騒の中で、エレナは珍しく静かに歩いていた。

 ラグスの背中を見ながら、何かを考えているようだった。


「ねえ、クラウド君」

「はい?」

「サウナって……お風呂なの?」

「うーん、サウナは厳密にはお風呂ではないです。お風呂もありますけど」

「ラグスさんが、私の火魔法にも役立つようなこと言ってたけど?」

「……そうですね。あんまり言うとネタバレになっちゃうから、詳しくは言いませんが“体の魔力をととのえる場”ですね」

「魔力を……整える?」

「ええ。頭で制御するんじゃなくて、体で感じるんです」


 クラウドの説明に、エレナは半信半疑の顔をした。


「ふーん……理屈っぽいようで感覚的。なんかあなたっぽいわね」

「先生ほどじゃないですよ」


 そんな軽口を交わしながら歩くうちに、カルラ服飾店の看板が見えてきた。


 カラン、とドアベルが鳴る。

 店内には、春物のドレスやマントが整然と並んでいた。


 奥の作業台ではカルラが針を進めていたが、来客に気づくと顔を上げた。


「あらまあ、クラウド君。それに……ラグスさん!ちょうど良かったわ、仕上がってるわよ」


 カルラはすぐに奥の棚から包みを取り出した。

 ラグスが頼んでいたのは、深い焦げ茶のサウナポンチョと、目深なハット、そしてハーフパンツ型の水着。

 どれも丈夫な布で仕立てられ、手触りも軽やかだ。


「おお、ようできとる。さすがカルラじゃの」

「お褒めにあずかり光栄です。ちょうどお昼前ですし、ミリィを呼んできますね」


 そう言って、カルラは2階の工房へ続く階段を上って行った。

 工房には大きな縫製台があり、ミリィは午前の仕事を終えて片付けをしているはずだ。


 エレナは周囲の服を眺めながら、感嘆の声を漏らした。


「うわぁ……細かい縫い目。美しい仕上がり……これ、王都の高級店に出しても通用するわよ」

「カルラさんはフィーネの母親で、母の友人なんです。仕立ての腕はファーラント一ですよ」

「へぇ。じゃあミリィさんは、ここで働いているのね」


 しばらくして――階上から、ミリィが姿を現した。


「あらあら、みんなお揃いで。もしかして――行くの?」


 ミリィが、針山を手に微笑む。昼前の柔らかな光が、彼女の白いエプロンの上に差し込んでいた。


「うん!」


 リィンが勢いよく頷く。


「またおふろいくの!ラグスじいじがね、からだをあたためるって!」

「ふふ……サウナね?」


 ミリィは娘の頬を撫でながら、クラウドに視線を向ける。


「クラウド、エレナの分も必要じゃない?」

「えっ、あ、そうですね……!」


 クラウドが気づいたように慌てて頷く。


「でも急に用意できるものなんでしょうか」


 そのやり取りを聞いて、カルラが軽やかに手を打った。


「大丈夫よ。ちょうど良いのがあるわ!」


 その声には、どこか自信があった。


「リリア先生とルディウス様の分を仕立てたあと、もしかしたら今後も急に必要になるかもって思ってね。予備を作っておいたの」


 カルラは奥の棚から、包みをいくつか取り出した。

 上質な布地で仕立てられた淡い橙色の水着とサウナハット、そして軽い麻布のポンチョ。

 どれもエレナの髪色に映える、明るく華やかな色合いだ。


「すごい……まるで、私のために作られてたみたい!」


 エレナは目を輝かせ、布地を手に取って頬ずりした。

 その姿にミリィが苦笑する。


「あなた、ほんとに楽しそうね。サウナって聞いてもピンときてないでしょうに」

「うん、全然わからないけど、なんか楽しそうだからいいの!」


 ラグスがふっと鼻を鳴らす。


「まあ、入れば分かる。火の嬢ちゃんにも“本当の温もり”ってやつを教えてやる」

「なにそれ、挑発?今度は負けないわよ、あったまる勝負なら!」


 エレナは腰に手を当てて胸を張った。


「……先生、サウナは勝負じゃないんですよ」


 クラウドが苦笑しながら言うと、店内に笑いが広がる。


 カルラは針山を置いて微笑み、ミリィの肩を軽く叩いた。


「あなたの家、ほんとに賑やかになったわね」

「ええ……もう、想像以上に」


 ミリィは息子とエレナたちの姿を見ながら、小さく笑った。

 その笑顔には、ほんの少しだけ“母としての安心”と、“これから始まる気苦労”が滲んでいた。

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