熱い決意
初夏の陽射しが、窓辺のカーテンを淡く透かしていた。虫の音が遠くから聞こえ、木の葉は青々と風に揺れている。
クラウドは、家の裏手にある井戸のそばで静かに目を閉じていた。地面に座り、両の掌をわずかに前に差し出している。意識を集中すると、見えない糸が空間に張り巡らされ、周囲の空気が指先にまとわりつく感覚があった。
風が吹いたわけでもなく、誰かが触ったわけでもない。だが、目の前に置かれた小石が、ふわりと浮き上がり、くるりと回ってまた元の位置に戻る。
(……これくらいなら、もう余裕だな)
浮遊はお手のものになっていた。小石を操るだけでなく、身を持ち上げ、室内を誰にも気づかれずにふわりと移動することすらできるようになっていた。
だが――限界がある。
これ以上の力を扱うには、派手すぎる。家の中での訓練ですら、慎重にしなければならず、いつか誰かに見られる気がしてならなかった。ましてや両親に知られれば、「普通の魔法ではない」ことが疑われてしまう。
だからこそ、クラウドは考えた。
(この世界で一般的な魔法……火・水・風・土。属性魔法なら、教わっても不自然じゃない)
思考の糸は、自然と父・ガランドに向かう。鍛冶職人であり、修理や加工の際にときおり小さな火や土の魔法を使う姿を、何度も見てきた。
(父さんなら、教えてくれるかもしれない)
もちろん、子どもに教えるには時期尚早と思われるだろう。だが、クラウドには策があった。
まずは文字を覚えること。意欲を示すこと。そして、自分の「学びたい」という意志を伝えること。
その日からクラウドは、夜の絵本の時間に一段と集中するようになった。ミリィが眠る前に読み聞かせてくれる童話絵本を、目を凝らして見つめ、ひらがなのようなこの世界の文字を、少しずつ記憶していく。
そして数日後――。
「父さん、ぼく……魔法、知りたい」
日曜の午後、鍛冶場で工具の手入れをしていたガランドに、クラウドは静かにそう言った。
「……魔法?」
ガランドは、片眉を上げて振り返った。いつもなら笑って受け流されるかと思ったが、その目には少し驚きと、ほんのわずかの喜びのような光が浮かんでいた。
「どうして、急にそんなことを?」
クラウドは、用意していた答えを口にした。
「お話に出てくる魔法使い、かっこよかったから……あと、父さんもたまに使ってるでしょ。土のやつ」
「おお、アレか。まあな、鍛冶の時だけど……そうか」
ガランドは腕を組み、しばらく考え込んだ。鍛冶場の熱気がうっすらと背中を撫でていく。やがて、
「よし。少しずつなら教えてやる。ただし、遊びじゃないぞ」
その言葉に、クラウドは内心で小さくガッツポーズを取った。
――こうして、彼の「正式な魔法の学び」が始まった。
最初は簡単な土の魔力の扱いだった。手のひらで魔力を巡らせ、それを地面に伝える。すぐに変化が起きるわけではなく、土がほんの少し湿ったように見えたり、小石がわずかに震える程度だ。
「土は時間がかかる。動かすより“変える”のが得意なんだ。ゆっくりだが、しっかりと力を伝える魔法だぞ」
ガランドの説明は理路整然としており、クラウドは実に興味深く聞いた。物理的に土を操るだけではなく、「性質」や「硬さ」を変化させる魔法――それが土属性の本質だった。
一方、家ではミリィの体調が目に見えて変わってきていた。少しの段差でも座り込むようになり、よく眠り、食事の支度も以前ほどはできなくなっていた。
「クラウド、母さんおなかに赤ちゃんがいるの。だから少し、ゆっくり動くね」
そう教えてくれたのは、ある晩、寝室で布団を敷いているときだった。
ミリィの腹は、少しふくらみ始めていた。クラウドはそこに耳を当ててみた。とくに音はしなかったけれど、不思議なぬくもりを感じた。
(そうか……妹か弟か、まだわからないけど)
自分は、もう兄になるのだ。
ミリィは今も縫い物はしているが、大きな注文はカルラ服飾店や他の職人に任せているらしい。昼間は家事をこなし、休みながらクラウドに絵本を読んでくれる。その優しい声は、どんな魔法よりも心をあたためてくれるものだった。
クラウドは思った。
(これからは……魔法も覚えて、家のことも手伝わなきゃな)
2歳にしてはあまりに大人びた考えかもしれない。だが彼の心には、静かに燃えるような決意が芽生えていた。