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レインツ商会

 中心通りの角地という一等地に「レインツ商会」はその居を構えている。北通りと西通りに面した土地は約200坪あり、そこに4階建てというビルディングと称しても全く恥ずかしくない煉瓦造りの建築物がそびえ立つ。

 その一階の路面店、磨かれたガラス張りの窓越しには、華やかなドレスを着たマネキンや季節の色糸で織られた布が飾られ、金細工の縁取りが施された看板には、「カルラ服飾店」とある。

 ミリィはクラウドの手を引き、ドアの前で一つ息を整えた。クラウドも無意識に背筋を伸ばし、母の横に並ぶ。カランコロンと呼鈴付きのドアを押すとーー


「いらっしゃいませ――あら、ミリィさん!」


 入口にいた女性店員が声を上げ、すぐさま奥へ向かって声をかける。


「カルラ奥様、ミリィさんがいらっしゃいましたよ!」


 その声に応えて、店の奥から姿を現したのは、柔らかくまとめた赤毛に、シンプルながらも洗練されたデザインのワンピースを纏った女性だった。フィーネの母――カルラその人である。控えめな笑みを湛えながらも、彼女の眼差しにはしっかりと商売人の目があった。


「まあまあ、ミリィさん、クラウドくんも一緒ね。ようこそいらしてくれたわ」


「こんにちは、カルラさん。今日はフィーネちゃんのお誕生日で……ちょっとだけ、ね」


 ミリィは手提げの中から、薄桃色の紙箱を取り出した。店員が奥に案内しようとしたのを、カルラが手で制して、その場でクラウドの顔を覗き込む。


 「クラウドくん、今日は来てくれてありがとう。ちょうど今、フィーネはおめかし中なの。こっちにきてくれる?」


 そして、包みを受け取ると、カルラはさりげなく店内中央の円卓のそばへ導いた。そこには細工の美しい真鍮の姿見が置かれており、鏡の前に立たされたフィーネが、ふわふわのスカートを揺らしてくるくると回っていた。


「フィーネ、お客様よ。クラウドくんとミリィさんが来てくれたの」


 振り返ったフィーネの顔がぱっと明るくなる。クラウドを見つけて駆け寄ろうとするが、スカートの裾を気にして小走りになり、それがまた周囲の大人たちの微笑を誘った。


 ミリィはそっとクラウドの背中を押して、フィーネの前に出させる。


「フィーネちゃん、お誕生日おめでとう。これは、わたしとクラウドから」


 そう言って差し出したのは、小さな紙箱だった。フィーネは両手で受け取り、恐る恐る蓋を開ける。中には、白地に薄紅の刺繍が施されたリボンと、小さな金色の花細工がついた髪飾りが入っていた。


「わぁ……」


 フィーネが目を見開き、小さく息を呑む。言葉にはならないけれど、その感嘆と喜びは、表情だけで十分に伝わった。


「……ありがと」


 そう呟いたフィーネが、クラウドの袖をぎゅっと握る。クラウドは少し照れたように微笑みながら、小さく頷いた。


「まあ、すてき……これはミリィさんの手作り?」


 カルラが目を細めて、髪飾りを手に取り、丁寧に糸の運びを確かめた。細部にまで心配りが行き届いており、それは贈り物としてだけでなく、職人の目から見ても完成度の高い仕上がりだった。


「よろしければ、応接の方へどうぞ。せっかくいらしたんだもの。少しお茶でも」


 案内されたのは、店の奥、階段の脇に設けられた応接室――いわばカルラ服飾店の“隠れた心臓部”だった。


 壁には織物のサンプルと小さな肖像画が飾られ、棚には香水瓶やドレスのミニチュアが並んでいる。窓から差し込む光を遮らない薄絹のカーテンが優しく風に揺れ、その中央に、丸テーブルとゆったりとした椅子が二組、花を中心に置かれていた。


「こちらは、お得意さまをお迎えするサロンなの。今では、皆さんここでお茶を飲みながら、生地を選んだり、仕立ての相談をしたりしてくださって」


 言葉どおり、サロンには家庭的な温かさと、優雅な品が共存していた。


「ちょうど焼き菓子が焼きあがったところなの。今日は誕生日だからぜひ一緒にお祝いしてちょうだい」


 カルラは微笑んで店員に指示を出し、しばらくすると、バターと果実の香りが鼻をくすぐる小さなタルトが銀の皿に乗って運ばれてきた。

(これは……まいったな。商会の社交力、恐るべし)

 洋梨の自然な甘みとアーモンド生地の香ばしさが口いっぱいに広がる。紅茶との相性も絶妙で、思わず背もたれに体を預けてしまう。


 談笑の中で、フィーネがプレゼントの髪飾りを嬉しそうにつけては鏡を覗き、カルラがそれを微笑ましく見守っていた。その光景を、クラウドはぼんやりと眺めながら思った。


(服飾というのは、誰かの心を飾る仕事でもあるんだな)


 ミリィとの帰り道、心地よい午後の陽射しを背に感じながら、ふと家の一階――ガランドの鍛冶場に視線を向けた。


(そういえば……ちゃんと見たことなかったな)


 午後の作業を始めていたガランドは、帰ってきたクラウドがじっと見ていることに気づき、

「おう、クラウド。来るか?」

 と声をかけた。


 クラウドは小走りに駆け寄ると、慎重に作業場の中に足を踏み入れた。石張りの床には鉄くずや炭片が落ちていたが、中央の炉には炎が静かに揺れていた。鉄床の前では父が槌を振るい、赤熱した金属に打ち込む音が力強く響く。


 「ここから先は来るなよ、そこに座ってろ」

 ガランドはそう言うと、クラウドのために炉から離れた小棚の上に古い革の敷物を広げた。


 クラウドはそこにちょこんと座り、道具の動きを目で追いながら、その熱気に身体の奥がざわめくような感覚を覚えた。


 (この熱と鼻の粘膜のヒリヒリ感……)


 頭の奥に浮かんだのは、下町のサウナの記憶。高熱とカラカラの乾燥具合は昔ながらの昭和ストロングスタイルのサウナを思い起こさせる。


 (ここに水場を近づけたら、……いやいや、鍛冶場に湿気は禁物……ダイニングに水桶を置けば……動線は少し長くなるがイケる……)


 妄想は一気に広がった。彼のなかで、鍛冶場はサウナ施設の原型として別の意味を持ちはじめていた。


 その夜、クラウドはいつものように寝床で布をかぶり、小さな修行を始めた。掌に意識を集中し、周囲の空気を押し出す。念動力はもはや”感覚”ではなく”技術”になってきていた。


 最初に浮かせたのは手のひら。そして足先。身体を点で支えるように、空中に「乗せる」イメージで、自らの重さを分散させていく。


 「……ん、よし」


 ほんの数秒、ふわりと身体が床から離れる。浮遊の感覚は、まだ不安定ではあるが、確かに掴み始めていた。


 (……明日はもっと、長く浮いてみせる)


 夜は深く、空には鋭い三日月がかかっていた。

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