春の陽光
春の足音が聞こえはじめたある朝、クラウドはまた一つ、小さな“成功”を手にしていた。
暖かくなり、家の中にはやわらかな陽光が差し込んでいる。縫い物に精を出すミリィの背を横目に、クラウドは窓辺に置かれた木片のおもちゃに意識を集中していた。
小さな指は動かさず、ただじっと見つめる。
おもちゃがゆっくりと空を滑る。今度は高さを維持したまま、滑らかな曲線を描いて、目的のカゴの中にすとんと落ちた。
(……やった)
言葉には出せないが、満足そうに目を細める。ここ数ヶ月の“ひとり稽古”の成果が、明らかに現れていた。
放出するだけだった魔力は、いまや方向と距離、重さの感覚まである程度読み取れるようになっている。もちろん長時間はもたないが、短時間なら物を浮かせ、動かし、意図した場所に着地させることもできる。
赤子らしい遊びの中に隠された、小さな制御の訓練――それがクラウドの日課となっていた。
魔力の器も順調に育っている。日に一度の放出は、いまや三度へと増え、それでも疲れにくくなっていた。
ミリィは「またよく眠ってるわねえ」と微笑むが、その奥にどこか不思議そうな気配もある。
(見つからないようにしなきゃ)
クラウドはふっと息を吐くと、手元の布をそっと引き寄せた。念動ではなく、ちゃんと手を使って――ごまかす癖も、もう自然と身についていた。
――――――
「クラウド、お靴を履いてね」
ミリィのやわらかな声に、クラウドはにっこりと笑って頷いた。もちろん、靴を履くくらいなら自分でもできる。だが、ここで素早く動いてしまっては「赤子らしさ」に欠けると考え、少しだけもたつく仕草を意識的に加えた。
“ここは演技のしどころだな……”
靴を履かせてもらいながら、クラウドは視線の端で母の表情をうかがう。柔らかな目元と微笑みに、つい本物の安心が心に差し込んだ。
春になって町では小さな縁日や、広場での手工芸市なども開かれるようになっていた。今日はその一環として、ミリィが出品する刺繍入りのハンカチを届けるついでに、クラウドを連れて外出することにしたのだ。
町の広場には、露店がいくつも並び、人々の賑わいが溢れていた。
その中に、見知った金色の巻き髪を見つけた。
フィーネ。あのホームパーティで出会った服飾店の娘だ。
彼女は相変わらず、小さなブーツを履いてよちよちと歩いていた。両親の後ろで片手をひらひらと振っていたが、クラウドを見つけると、その顔がぱっと明るくなり、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「クラゥッ」
言葉にはなっていないが、確かに自分を呼んでいる。クラウドは小さく手を上げて応えた。
内心で、ふっと笑う。普段、周囲に合わせて「赤子らしさ」を演じているが、フィーネの純粋な接近にだけは、少し心を許している自分がいた。
フィーネはクラウドの手を取って、何かを指さした。木工細工の屋台。どうやら、目を引く鳥の彫り物が気になるらしい。クラウドも興味を装って頷き、一緒に屋台へと歩み寄る。
その後ろから、あの金持ち然とした夫妻が歩いてきた。相変わらず光沢のある服に、背筋をぴんと伸ばして町の人々を見下ろすような視線を隠さない。だが、ミリィの姿を見ると、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「ミリィさん、例の刺繍、素晴らしかったわ。あの金糸の花弁、どうやって仕上げたのかしら」
「まあ、それは……企業秘密ということで」
にこやかに応じながらも、ミリィの声には余裕があった。そのやりとりを見て、クラウドは心の中で小さくうなずく。
“この人たち、母さんの腕には本物の敬意を持ってるな。……態度は鼻につくけど”
一歳児の視線でそれをどう表すか少し迷ったが、静かに見つめるだけにとどめた。フィーネが鳥の細工を欲しそうにしていたので、クラウドはそっと指を向けて、空中で小さく念を送る――もちろん、周囲には悟られないように。
彫り物の鳥が、風が吹いたかのようにわずかに揺れた。
フィーネはぱちくりと瞬きし、やがて目を細めて笑った。何かを感じたのか、ただの偶然か。
クラウドにはわからなかったが、その笑顔が妙に印象に残った。