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「―――させてください」
なにアホなこと言うとん。女は振り向かないまま苦笑交じりにぼやいた。
「ガキのくせに、生意気やで。もうちょい大人になるまで我慢しとき」
「生きているって、確かめたいから」
包丁を動かす手を止め、ようやく振り返る。背後に幽霊のように立つ少年は、鬱屈とした暗い目をこちらに向けていた。どんよりと疲れ切った瞳は、まるで死人のように生気がない。
「手っ取り早く、生きてる実感が持てると思った」
大袈裟にため息をつき、やれやれと首を振る女は、再びシンクに顔を向ける。小さなアパートの狭いキッチン。まな板一枚がやっと置ける幅のスペースで、キュウリを斜め切りにする。
「馬鹿なこと言っとらんと。そういうのはな、もっと年の近い子とするもんやで。中一のくせしてこんなおばはんで卒業するなんて、もったいないと思わへんの」
自虐的な笑みを浮かべ、先月アラフォーの仲間入りを果たした女は続ける。
「後悔するで。あとあと恨まれたくないしな。大体うちにはそんな趣味あらへん、悔しかったら二十年はよ生まれてき」
キュウリをボウルに入れ、塩をふりかけ、丹念にもみ込む。青く瑞々しい汁が指の間から染みて零れる。
「そもそも手っ取り早くなんて、うちのこと馬鹿にしすぎやろ。そんな焦らいでも、あんたがほんまに好きになって、向こうもあんたを好く女が出てくるはずや。そう決まっとるんや」
ボウルの中で、水分を奪われるキュウリが悲鳴を上げる。声変わりもしていない少年の声は、その叫びよりも弱々しい。
「……それ、本当」
「ほんまやで。世の中はうまいこと出来とるんや」
「岬さんも、そんな人に会えたの」
女は思わず手を止めた。儚い少年の声は、自分の経歴についた×を責めているようだった。人生を否定するかのような「ばってん」を、忘れたつもりで忘れられていないのは、女自身が一番よく分かっていた。彼の声に悪意がなく、心底疑問に思う声色であることが、「うっさいな」という言葉を引き出す。
女はまな板の上にある包丁を手に取り、背後の小さなテーブルに投げ出した。一人で食事を摂るだけのサイズは、時折「ばってん」を刺激する。それを見下ろす少年は、ぽっかりと空いた穴のような目で、ゆっくりと瞬きをした。
「そんなに生きとる実感が欲しいなら、それで手首でも切れば味わえるんやない。リスカするやつはよく言うやろ」
せせら笑い、女はシンクに視線を戻した。ビニール袋から買ったばかりの食材を取り出し、キュウリの入ったボウルに再び手を伸ばす。コックをひねって水道水を被せ、指先で中身を混ぜた後、薄く緑に染まった水を排水溝に流した。少年の返事がないことに疑問を覚え、振り返る。
「なにしとん!」
声をあげ、振り切った右手で、彼の手から包丁を叩き落した。彼の骨ばった手首を切り裂いた包丁が、埃っぽい床に転がる。自分の左腕をじっと見つめる彼が、僅かに顔をしかめた。それは痛みからではなく、悲しみから泣き出しそうな表情だった。
しかし、その目から決して涙は流れない。黙ったままいつまでも自身の手首を見つめている少年に、女はふっとため息を吐いた。
「しゃあないなあ。ほんなら、おばはんがひと肌脱いだるわ」
一歩だけ少年に近づき、鼻の頭に皺を寄せてあからさまに顔をしかめる。
「でもあんた、あかんわ。土のにおいがすんで。どろんこ遊びでもしよったん」ふざけた口調で彼の両肩に手をやり、方向転換させた。硬く細い骨の感触。「着替え用意しとくから、シャワー浴びてき」
やがて風呂場から水音が聞こえてくる。それを耳にしながら、洗った包丁で調理を済ませた。たことキュウリ、それに水に戻したわかめを和えたもの。それを盛った小皿と、蓋を開けたじゃがりこを盆に乗せる。