3,封印と目覚め
吸血する描写が有ります。苦手な方はご注意下さい。
――――――寒い。寒い。寒い寒い寒い寒い。
何も見えない。何もわからない。寂しい。痛い。怖い。寒い。寂しい。痛い。怖い。寒い。
けど。
バギンッ!!
私を縛り付けていた何かが壊れ弾け飛んだ音がした。それと同時に。
「―――――ㇲ、アリス、アリス!」
「…………?」
誰かが必死に呼ぶ声に引き寄せられるように、意識が浮上する。薄っすらと開いた目から見えたのは、青空と青々と茂っている木々、そしてそれらを背にして私の顔を覗き込んでいる人間の青年だった。
「!?!?」
人間っ………!!!
反射的に青年から逃げようとするけど、身体は全く動かなかった。いや、動かせなかったと言ったほうが正しい?
混乱する私に、青年は「よかった……」と胸を撫で下ろしていた。けれど、逃げようとした私に気付いたのか、急に慌てだした。
「俺だ、ウィルだよ!!」
「………………えっ?」
はた、と思考が一瞬停止した。
ウィル? この、目の前の青年が? 前見たときは、少年だったのに??
「??????」
「アリスが封印されて、もう十年も経ったんだ。だから俺は今、十八歳になった」
「!?」
だから、そんなに成長していたんだ。
納得したら、ウィルの身体に自然と目がいった。
艶のある黒髪に紫水晶の様な瞳は変わってない。けど、伸びた身長と、捲った袖から覗く逞しくなっている腕に「ああ、おっきくなったんだなぁ」とぼんやりした頭で考えた。
そのまま上体を起こそうとするけど、動けない。なんというか、身体に力が入らない。なんで?
今、私は封印から目覚めたばかり。ボーっとする頭。感じる喉の渇き。
「あ」
その原因に思い当たった瞬間、身体が持ち上げられて「ひゃぅ!?」と声がでた。
私を横抱きにしたウィルに顔を覗き込まれる。
「動けないんでしょ? ちょっとだけ我慢してね」
近い。顔が近い。そしていつの間に力持ちになったの。
何故かばくばくと音を立てる心臓に内心首をひねりながらも、ウィルに身体を委ね、目を閉じた。
移動による振動。頬を撫でる風。暖かい木漏れ日。それらを全身で感じる。
目を開け、視線を上に向ければ、ウィルの喉仏を見つけた。
真っ直ぐ前を見据えて歩いている彼は、もう子供じゃない。立派な男のひとだ。
ヒヒン!
「っ?」
不意に横から聞こえてきた鳴き声にビクつく。恐る恐る首を動かして、声のした方を見ると、一角獣が居た。
「え?」
一角獣だけじゃない。二角獣や一角兎、銀狐など、私の知っている魔獣たちが、一緒に歩いていた。
「アリスが目覚めたことに気付いたんだよ。彼らも、アリスが好きだから」
にこにこと笑みを浮かべるウィルと魔獣たちを交互に見る。
なんだろう。ウィルと彼らに共通点がある気がするけど、何だっけ……
「アリスは命の恩人だからね」
「……!」
思い出した。彼らもウィル同様、私が怪我をしていたのを見つけて、手当てしたんだった。プルプルと重い腕を上げれば、手のひらに一角獣が鼻を擦り付ける。純白の柔らかい毛並みが気持ちいい。
その横では二角獣が『ずるい。ボクも撫でてよ』と主張するかのように鼻を鳴らした。
一角獣や二角獣の背には身体の小さい一角兎や雪梟が乗っていて、嬉しそうに鳴いている。
ウィルの足元には銀狐が優雅に歩いていた。目が合うと、コンッ! と嬉しそうに鳴いた。
「着いたよ」
「え? ここって……」
ウィルが向かっていたのは
「私の、家…………?」
大切な、我が家だった。
手の塞がっているウィルに代わって、動物たちが器用に扉を開けた。「ありがとう」と礼を言い、彼は家の中に入って、そっと私をソファに下ろした。
見慣れた景色。前と何ら変わりのない状態に驚いた。
「綺麗なまま……ウィルがやってくれたの?」
「うん。いつアリスが目覚めてもいいようにっていうのもあるけど。俺が、この場所を無くしたくなかったから」
アリスとの大事な思い出が詰まった場所だから。そう言って照れたように人差し指で頬を掻くウィルに感極まり、思わず抱きついた。
けど、クラリと目眩がして、そのままウィルにもたれかかってしまった。
「アリス! 大丈夫?」
「ん、平気。ちょっとふらついただけだから」
慌てて私の状態を確認する彼に、心配性だなぁ、と思う。
けど、気付けば、無意識にウィルの首筋に目がいっていた。
あ、駄目だ。ここまで弱ってるとは、思わなかった。
吸血鬼特有のそれを抑えるために、手を強く握りしめる。
つぷ、と尖った爪先が肌に食い込む――――
「駄目だよ、そんなことしちゃ」
―――――前に、ウィルに手を解かれた。
「血が欲しいんでしょ?」
「っ!?」
気付かれたことに驚いて、そして焦った。
「……なんのこと?」
なんで? いつバレた? このほんの数秒の挙動で気付いたの?
ウィルは吸血鬼を怖がってる。だから、私は吸血衝動を見せちゃいけない―――――
ウィルの身体を視界から外そうとした瞬間。
「アリスになら、吸われていいよ」
「んえっ!?!?」
ありえない言葉が聞こえた気がした。“アリスニナラ、スワレテモイイ”?
「なんっ」
「疑ってる? でも俺は本気だよ」
嘘を言っていない。吸血鬼の本能がそう告げる。だから、余計に混乱した。
考えがこんがらがった頭で更に考えようとして。
「ぁれ?」
また目眩に襲われた。ぽすっと受け止められた先に首筋があって、抗いがたい衝動が湧き上がってくる。
「ほら。辛いんでしょ? 血、飲んだほうが良くない?」
「う……でも…………………」
「じゃあ言い方を変える。お願い。血吸って?」
「!!!!」
ズルい。私がウィルのお願いを断らないって分かってて言ってる……っ。
「っ卑怯」
「ほら」
ウィルが服をずらして首筋を出したことで、私のささやかな抵抗は消えた。
「ほんとに、ぃぃの……?」
「どうぞ」
耳元で囁かれた優しい声に、本能にブレーキをかけていた私のなけなしの理性が外される。
そろそろと顔を近づけ、ペロリと一度肌を舐める。そして
「いただき、ます」
つぷりと、牙が肌を噛み切る感触とともに、広がった濃厚な血の香りにさっきとは違う意味で目眩がした。
痛くないように、徐々に牙を深く刺す。溢れてきた血を飲む。
甘い。美味しい。もっと、もっと飲みたい。けど、これ以上は、駄目――――
我を失って本能のままに吸い尽くす前に、牙を抜く。ペロリと傷口を舐めれば、それは薄くなってすぐに消えた。
首筋に付いた血をペロペロと舐め取って、私の口元に付いたそれも舐め取った。
十分に満たされ、傷口が消えて血の匂いが薄れたことで、吸血衝動が治まった。代わりに、猛烈な眠気が訪れる。
ここで寝ちゃだめ。そう言い聞かせながら、ウィルの顔を見上げた。
「ありがとう。痛く、なかった? 大丈夫……?」
「………………………………………………………」
あれ。なんか、ウィルの顔、赤くない?
私を見下ろす彼の顔が赤い。けど、眠い頭ではそれ以上考えられない。
ぼうっとしたまま顔を見ていると。
「……眠いんだったら、寝たほうが良いよ」
「…………」
……またバレた。でも睡魔には抗えず。
「おや、すみぃ」
私は簡単に意識を手放した。
その直前に、温かくて、安心するぬくもりに包まれたのを感じた。