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SSまとめ

変わっていく。

作者: 木下真三郎

久々の私小説です。

―正直になりましょう。

―驕る平家久しからず。

―自分を貫け。

―個性を尊重して。

―積極的になりなさい。

―自分に自信を持って。

―無理はしないで。

―限界を決めつけないで。

―情報に流されないで。

―臨機応変にね。

―努力をしないと、報われないよ。

―失敗は成功の元だから、どんどん失敗して。

―見た目で判断しないで。

―命をかけて他人を救うのが、美談だよ。

―何にも一喜一憂しないで。

―“才能”を決めつけないで。

―幾多の相反する事実が互いに矛盾し合って、歯車のように動き続ける。そうして世の中は成り立っているんだ。


…そんな人生の名言(アドバイス)、全てに従って生きていくことは可能だろうか。

 一つ一つは正しいように聞こえるが、果たしてそれは“全て”絶対的な正しさを持つのだろうか。

 全てが全て正しく、解釈にしようによっては、どの名言(アドバイス)も、一つの“真理”に辿り着くものなのだろうか。

 或いは、人生の成功体験を歪めた形で短い言葉にしたものが、これら“名言”なのかもしれない。では、これらは全て間違ったものなのだろうか。







「皆さん、正直になりましょう」

 新しくこの学校に入って来た先生は、教室に入って開口一番にこう言った。自己紹介の前に、文字通り開口一番に。

「人間は、協調する生き物です。古来、協力し合って生き延びてきました。協力するためには、言葉が必要です。人間は、言葉を習得しました」

 にこやかに続ける。

「嘘は、協調性を乱すんです。一人が軽口のつもりで冗談を言ったとしても、それを誰かが信じてしまったら、協力はとても難しいものになります。たちまち人は疑心暗鬼に陥り、負の連鎖が続くでしょう。そう、皆さんが知っている―」

 “オオカミ少年”のように。

 教室の端っこ、特等席で僕はその話を聞いていた。別段何に秀でたわけでもない僕だが、ただただ真面目さ―先生の話の一部始終を熱心に聞くような―だけが取柄だった。

「正直に…ね」

 当時はこの言葉の殆どを理解することは出来なかった。だが小学一年生、純真無垢な僕は、“正直”と“誠実さ”の追求に捧げた。

 無垢な僕は、「じゆうちょう」に、「しょうじきにする」と大きく書いた。真新しい鉛筆が、誇らしかった。


 小学校低学年の僕の昼休みは、殆ど読書の時間だった。

 日本史の漫画が、自分の人生初の漫画だったことも相まって、日本の歴史にはすごく興味があった。だから、

「“枕草子”、“平家物語”、“為朝物語”…?」

 図書室に日本の歴史に関係する本の数々が置いてあることを知ったその時から、それらの本を借り、昼休みなどに読むのが好きだった。

「おめー何読んでるんだよー」

 そうやって周囲に笑われるのも、別段悔しくはなかった。寧ろ、“周りと違う”ことが自分の存在意義となっているような気がして、嬉しささえ感じていた。

 枕草子の著者、清少納言の生きていた時代、貴族が力を持っていた。貴族は何も、寝ていても領民が税を納めてくれる特権階級に胡坐を掻いていただけではない。嫁ぎ先が人生を左右する女性は勿論、貴族同士の付き合いのために男性や、多くの皇族の人たちでさえも教養を身に着けていたのだ。庶民からしたら遊びにしか見えないが、貴族たちにとっては、それが文化だったのだ。生きるために必要なことだったのだ。当然庶民も生きるために田畑を耕し、残酷な天候と戦っていた。

 昔も今も、努力しないものが生き残ったことはない。「努力は報われる」かどうかは知らないが、「努力をしないと報われない」、即ち「報われたものは努力をしている」のは事実。…というのは、僕がだいぶ後に悟ったことだが、似たようなことは当時から知っていた。

 だからこそ、僕は勉強に力を注いだ。




「“付和雷同”…自分にしっかりした考えがなく、むやみに他人の意見に同調すること」

 中学受験の勉強。四字熟語は漢検を取るためにも勉強しておいた方が良い、と言われて勉強した。丁度、漫画で分かりやすい解説が付いていた。

「僕はネズミの王国に行きたい!」

「確かに!」

「いや、僕はUFJJに行きたい!」

「そうだね!」

「「君はどっちなんだよ!」」

 良くわかった。付和雷同は、だめなんだ。他の人に気に入られたいから、嫌われたくないから、そのために他の人に無暗な同調をしても、他の人に嘘をつくことになるし、何より僕だったらそんな人は軽蔑する。

―でも僕は、そんな人間じゃないもん。―

 漫画に出てくる男の子を反面教師にしようと思った。

 “間違いノート”に、付和雷同の意味を綴った。HBの、書きやすい鉛筆で。





「この学校では、個性を尊重します」

 広い体育館の前に立って話すのは、校長先生だ。老けた感じもなく、元気そうな人だった。

「皆さんは勿論必死の勉強をしてこの学校に入って来たと思います」

 心地よい話し方だった。

「しかし我々教師は、あなたたちの“成績”だけを見て合格判断をしたわけではありません。これからの世界において輝きそうな人かどうか、これからの世界を“正しい道”へ導いてくれる人かどうかも、判断させてもらいました。その結果、貴方たちは勝ち残り、こうしてこの場に座っています。社会にありふれた勉強をし、ありふれた経験を積み、ありふれた成績をおさめる人でも、或いは社会で食べていけるかもしれません。しかしこれからの社会、他と差を付けた、“個性豊かな人材”が必要なのです。あなたたちは、“個性”を磨いていかなければならないのです」

 個性、か。これは僕にとって手厳しい言葉だった。

 算数も理科も社会も際立っていい成績を取ることができない。国語は、小さいころから本を読んでいた甲斐あって、少し出来はいいが特筆するほどではない。英語も、とてもじゃないが得意ではない。

 ふと、低学年の時に読んだ“為朝物語”という本を思い出した。源為朝…弓の達人の波乱万丈な生き様を描いたものだったが、思い出したのは彼の才能だった。確か大柄で、左腕の方が右腕より長いという、弓矢のための体型をしていた…という逸話だ。

 自分には果たして、その種の天賦の才はあるのだろうか。

「勉強だけが全てではありません。他の分野…スポーツ、芸術などは勿論、人付き合い、精神力、或いは反射神経でも。何か他人に誇れることがあれば、それは立派な個性です。私たち教師は、皆さんの個性を伸ばしつつ、みなさんがそれぞれの個性の手綱を握るようになる手伝いが出来ればいいな、と思っています」

 校長先生はそう言うが、自分にそんな心当たりはない。なるほど水泳や他の球技なども小さい頃からやってはいるものの、天賦の才というほどでもなく、どれも二流三流だ。そんな自分を物悲しく思う時もあるが、先生は自分の何か、個性というものを見つけたからこそ、この学校に入学させたんだということが自分の自信になった。

 大丈夫、この学校では他の中学校と違って六年間、受験勉強を挟まずにゆっくり生活できる。その間に、自分に何かが芽生えるに違いない…。



「えー!」

「マジで⁉」

 卒業式。六年間、特に後半三年間の濃い時間を過ごしたこの小学校ともお別れの日が来た。

 周りの友達とは違う学校に行くことが確定しているので、お別れになる。寂しいような思いがあるが、別に永遠の別れというわけではないので、涙はこぼれなかった。―少なくとも、学校にいる間は。

「マジか…お前“開戌”行くのかよ…」

 数人の男子が一人を囲っている。大多数がブレザーを着ている中で、一際目立つ学ラン姿の彼は、トップクラスの名門校へ行くらしい。

 自惚れてはいなかった。

 決して、自らの学力を自負していたわけではないと思った。でもそうすると、自らの心の底から湧き出る醜い感情の説明がつかない。

 確かに彼は、底知れぬ学力を持ってはいた。所詮小学校のテストなど、という僕の思想に同調してはいたし、KOMONや進学塾に通って身に着けた薄っぺらい知識を振りまく他の小才子たちとは一線を画す知識を持っていたのは認めていた。

 要するに爪を隠していたのだ、彼は。

 底知れぬものがあると思っていたから、表面上は謙遜して彼を立ててはいた。

 だが、心のどこかで“自分の方が上なんじゃないか”、という慢心があったのは否めない。

―でも、僕は開戌を受けたわけじゃないから、どっちが上かは分からないし。

 そんな馬鹿な事を、心のどこかで思う自分に嫌気が差した。

 驕る平家久しからず、というのは少し違うけれど、自信過剰なのは、自分の視野を狭める。身をもって知った。

 僕は複雑な気持ちで彼を送り出した。胸元についたペンのマークは、その時の僕にはくすんで見えた。



 中学に入る直前、僕は初めてマンガ―教育マンガに分類されないもの―というものを本気で読んだ。他の為に、自らを犠牲にする、即ち自己犠牲が美談として描かれていた。

 無論、僕もそれを“美談”として読んだ。感動もした。ふと思い立った。

―果たして僕は、他の為に、恩人の為に、血族の為に、“情”の為に死ぬことができるだろうか。

 


 中学校に入って、僕は電車通学になった。

 通勤ラッシュを回避する時間帯だが、それでも席は大体埋まっている。一つだけ開いていた席にしめたと思い座る。

 二つ目の駅で、おばあさんが入って来た。きっと80はいっているだろう。小さい体に不釣り合いな大きい荷物を背負っている。電車に開いている席はない。

 テンプレの展開だ。こういうシチュエーションは見飽きた。そして見る度に、「自分だったら爽やかに席を譲ってあげよう!」などと意気込んでいた。が、いざその場面に立ってみると立ちすくんで(座っているが)しまった。しばらくの間、時間が止まったかのような感覚になった。

「あ、席どうぞ」

「ありがとうございます」

 サラリーマンと思わしき男の人が‘爽やかに’席を譲った。

 僕はそれを、ただただ見るしかなかった。

 自らに、失望しながら。



 中学校に入って、最初に衝撃を受けたのは生徒会選挙だ。

 生徒会員を選挙によって選抜し、学校を一年間運営することになる。

「え、マジであいつ立候補してるじゃん…」

 その呟きは声には出さなかった。

 個性豊かな学校なだけあって、自己主張の激しい人はたくさんいた。その中でも、学校で行う行事のリーダー、或いは学校の課外活動などにも積極的に参加している人がいた。結構身近な存在だったから、その積極性と自分の生活をどうしても比較してしまう。

 あらゆる活動において消極的、受身的な自分と、その正反対の存在。

 一種の焦りを覚えた。教師も“将来”“社会”を連呼するものだから、余計に。この消極的な性格のままでいいのか、と自問するが、答えは出ない。



 ある時僕は、大事なものを失った。

 その時、僕には何ができたのだろうか。命を賭して、万に一つの可能性に賭ける?…そんなこと、僕にはできやしない。今もできないし、あの時も出来なかっただろう。


 ある時僕は、挫折を味わった。

 今まで感じたことのない喪失感を感じた。

 失敗をすることは悪いことではない、と最初に言ったのは誰だっただろうか。その言葉を知っていなければ、僕は既に堕ちるところまで堕ちていたかもしれない。もし、僕があの時少しの慢心も無かったら、こんなことを経験することもなかった…かもしれない。


 ある時僕は、失敗をした。

 あの時もう少し強気になっていれば、こんな様にはならなかった。もう少し、自分に自信を持っていれば。もう少し、自分の芯がしっかりとしていれば。





 結局、僕には何も残らなくなった。

 張り付けた自分の芯も、偽りの虚勢も、ちっぽけなプライドも、憧憬も、意地でも失いたくなかった、自尊心さえも。


 僕は、変わらなくてはならない。

―でも、何に?


 生まれ持った、或いは既に形成された自分の“核”は変えられない。


 所詮僕は、着飾り方をどう変えるかしか道はない。


―だとしたら、どうやって変わる?


―何に変わることができる?


―その変化は、正しいもの?


 僕には分からなかった。或いはそれは、僕の憧憬が生んだ歪んだ人間像で、目指すべきものではないのかもしれない。

 けれど僕の焦りは理性をも上回り、僕を変化させようとする。


 ある日僕は、ソファの下から埃まみれの鉛筆を見つけた。思い出すまでもなく、一年生の頃、目を輝かせて使っていた鉛筆だった。2Bの鉛筆は既に短く、くすんでいて、傷だらけだった。


離任式の時、たくさんの先生方が人生の教訓?的なものを仰っていて、ふーんと聞いていたら突然思い立ったテーマです。家に帰ってすぐ書きました。

「芽生え」が、文章にして書いてはいませんが女性視点だったのに対して、今回は僕の一人称を使っています。性別が違うからって、特に書く内容を変えたりはしません。だって違いが分かりませんから。

本当異性の考えてることってわかりませんよねー。

僕的にはこの小説がスラスラかけて、投稿されているであろう日のかなり前に書き終えているのですが、ストックにしたくてこういう形にしました。連載途切れてすいません。

内容の話です。

最初は私小説を書こうとは思っていなかったのですが、書くに当たって自分の経験談を入れまくっていたら、いつの間にか私小説路線に入ってしまっていて、まぁいいかとそのまま書きました。

“僕”が様々な経験から様々な教訓らしきものを得ていきます。そして、よく隣の花は赤いとか言いますが、周りの積極性、或いは天才性を目の当たりにし、自らの生き方に疑問を持つようになります。

 焦りを覚えた“僕”は自己形成をやり直したいと嘆くようになりますが…という話です。これ以上の解説は野暮ですね。

 さて、これが投稿される頃には既に桜も散ってしまっているのではないでしょうか。それまでに僕が、お花見を済ませてしまっていることを祈ります。

                    新年度の不安と期待をかき混ぜながら


p.s.最近家の近くの桜が無残なまでに伐採され、家から桜が見えなくなりました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 何者かになろうとする、しかし自分は自分以外の何者にもなれない。 自分がどんな風になっていけばいいのか、変わりたいのか変わりたくないのか、周囲を羨みつつも自分もそうなりたいのか単に目新しいだけ…
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