第八十九話『再来』
「――やっぱり、何にも見つからない。そろそろ、次の場所に行かないか?」
「待って、もう少しだけ……終わったらすぐに追いつくから、先に次の場所に行っていいよ」
「危険だから一人行動はしない、と実習教育の時にも言っただろう。もうここは十分探した」
「ごめんなさい。でも、もうちょっとだから……」
ゼントはさっさとこの調査を終わらせて、ユーラのところへ戻りたい。
だというのに、目の前の少女が真剣に痕跡を探している。
やがて、宣言通りに長い時間を掛けず、立ち上がり歩き出した。
はっきり言って分からないことだらけの調査は、大半の人ならやる気が削がれる。
なぜそんな熱心に、探し物ができるのか。真面目過ぎるのも少々考えものだ
「なにか見つかったのか?」
「……なんとなく分かった気がする」
「必要なら後で報告しておいてくれ。今は先を急ぎたい」
見ると彼女の表情は、怒っているようにも笑顔のようにも見える。
気になるところだが、知ったところで意味は無い。
その後も痕跡探しは続く。地下の洞窟を一旦出て、地上部分の捜索に移る。
周辺を調べていくと竜の足跡が見つかりはした。
しかし、来たであろう方向へ辿っていくと、途中から森と雑草が生い茂っており分からなくなってしまう。
真っ直ぐ進んで見て森を出ても、周囲には足跡が見つからなかった。
結果的に言うと、それ以上の情報は全くない。精々、大まかに来た方向だけが分かるくらい。
あれから各町で警戒陣が敷かれても、新たな竜の目撃情報がでないことから、偶然と決定づけるのが自然だった。
依頼だけを見るのなら全項目に斜め線を入れ、滞りなく終了した。
時間もまだ昼過ぎで、出来としては上々だろう。
問題があったとすれば、協会へ報告しに帰路に就いた直後にある。
最後の調査場所は、道なき急斜面を登った崖の上。高い場所から見下ろして依頼は終了だ。
辺りは木や低木が緑に生い茂り、視界がかなり悪い。
そしてそれは、横から草をかき分けるような音から始まる。
すぐに魔物の接近だと気づき、ライラから受け取った剣に手をかざす。
ついでに言うと彼女はゼントから大きく離れ、来た道の数歩先を歩いている時だった。
地面近くから音が響くこと、迫って来る速度が素早いこと、
小型の魔物だろうと経験から察し、剣を鞘から抜き下段に構える。
「――ライラ!!」
草木が生い茂っているせいで、目の前まで来ているのに正体は掴めず。
こちらからは手が付けられないので、ゼントはその名を呼ぶことしかできない。
しかし、言われずとも彼女は最初から全て分かっていた。
もう、葉を一枚隔てたすぐそこに居る。自分で仕留めなくてはならない。
相手は五感が鋭く、獲物の場所を正確に把握しているのだろう。
姿を現し飛びかかってきたところを下から振り上げ、決着を付けようと考えていた。
地面に接する足の裏に力を込め踏ん張る。
後ろは急斜面、後ろに引くことは許されない。
構えとしてはこれ以上ないほど万全だった。
だというのに――
――襲撃者の姿を見るなり、全身が強張り動けなくなった。
そいつを一言で表現するなら、赤よりも“赫い手”。
そう、いつしか天井から垂れてきた、巨大な腕と同じ色をしていた。
表面の質感から、以前の出会った奴に通じるものだと確信できる。違いがあるとすれば、大きさと部位。
人間のそれよりも少し大きいくらい、そして腕ではなく手首より先を切り取ったような見た目。
五本の指をそれぞれ器用に使い、地面を這うように移動していた。
不気味だ、不気味でしかない。一瞬にして辺りが薄暗く、気温が数度下がった気がする。
ゼントからすればユーラの仇であると同時にトラウマでしかない。
しかし、恐怖すら感じる間も無く、手だけの化け物はすぐ正面の獲物へと飛びかかる。
「うわぁぁぁあーーーー!!!!」
情けない声を出しながら、構えていた剣を振り上げる。
目が開いていたのか怪しいほど錯乱していた。
案の定、剣を持つ両手に、何かが当たった感触は返ってこなかった。
絶望が頭を過る。それでも訳も分からず剣を振り続ける。
その頃には恐怖が全身に回り、もはや地面に立つことすら不可能になっていた。
だが奴はゼントを襲うでも、とどめを刺すでもなく、
あざ笑うかのように、胸の辺りに体当たりをして、後ろの崖へと押しやった。
当然、彼が抗う術はない。まんまと策略にはまり、体はしばしの浮遊感を得る。
視線を少しだけ横に動かし一瞬見えたのは、ライラが振り返ってその様子をただ見つめている光景だった。
驚いているというよりは、不安に満ちた顔をしていた……気がする。
考える余裕はなく次に来る衝撃に備え身構えるも、間に合わない。
何が起こっているのか分からない訳では無い。
崖上から突き落とされ、高さ百メートルはある崖を延々と転げ落ちているのだ。
急斜面で止まる手立てはない。死ぬかもしれない、と直感的に感じた。
途中生えている木に手足がぶつかり、壮絶な痛みが走る。
残酷なことに意識を失うことはない。
呼吸がままならず苦しくなってきた。
地面の土と空の明かりが交互に視界へと映る。
遠心力で血も偏り、痛覚や平行感覚がおかしくなった。
時間が止まっているように感じる。いわゆる走馬灯のように記憶が蘇るというやつだろう。
助かりたい一心であらゆる手段を模索するため、脳が支離滅裂に過去に縋るのだ。
それは、人間の生存意欲が強ければ強いほど強固に現れる。
何故ゼントは生きたいと、助かりたいと願ったのだろうか。
なんの為に、“誰”の為に、自分は今、生きているのか。
最後に頭に浮かんでくることは、最初から必然的に決まっていた。
――過去の恋人の幻影ではなく、家に居るユーラの現在だった。




