第八十六話『出発』
「――それじゃあ、行ってくる」
「きをつけてね!」
翌日の早朝、ゼントは見送られながら、調査依頼へと向かう。
まずはライラと合流するため、協会前に赴くのだ。
昨夜のうちに指南書の文字をユーラから教えてもらい、必要箇所だけは完璧に覚えている。
覚えが悪く何度も繰り返し読んでもらったのだが、笑顔で快く付き合ってくれた。
これで準備は万全、と言いたいところだったが、まだ一抹の不安が残っている。
それは昨日ライラに貰った剣と皮鎧。現在は一応身に着けてはいるのだが……
受け取った時は気持ちが休まらず気付かなかったのだが、持って見ると明らかな違和感がある。
どうにも軽い。まるで木で出来ているように思えた。
しかし、剣で小枝を切ってみるとありえないほど鋭く切れるし、鎧は強い衝撃を与えてもびくともしない。
使えない代物と言うわけでも無いが、以前の物と同じ見た目のはずなのに、性能の差があることがとても気になる。
もしかして、高級な品なのだろうか。であれば、不相応なので返還したかった。
しかし事実、装備を無償で得られたことは助かってもいる。
実を言うとゼントの財布は十分に金が無く、装備を買うには間違いなく足りない。
高利貸しに一時的に借金して、次の日の報酬を返済に充てようと考えていたくらいなので感謝はしていた。
もう一つ語るべきことがあった。それは昨夜のユーラの様子について。
独りでも大丈夫とは言っていたものの、多少のやせ我慢があったようだ。
一昨日の夜と同じく疲れ切ったような悪い顔色をしていた。
優しく問いかけるも、何でもないと声朗らかに返されるだけ。
しかし間違いなく心労は蓄積している。そんな彼女を見てゼントもつらい。どうにかならないものか。
不安を取り除くなり、根本的に解消するなり、何かしらの方法を考える必要がでてくるだろう。
でも今は目の前の事に集中するしかない。
ユーラには可哀想なことをしてしまうことになるが、その後、全力で事に当たる。
最後に、料理の味と質はゼントと一緒に作ったところ大きく改善した。
やはり、調理の手順や下準備のやり方が抜け落ちているようで、包丁捌きもかなりあやしい。
少しも目を離せないほどで、これからは付きっきり見ていた方が良さげだ。あの味は危うい。
しかし、一つずつ丁寧に教えると一瞬思考が止まりながらも“あ、そうだった……”と思い出したかのような反応を見せる。
いずれは元通りの料理を作れるようになるだろう。と思いたい。
出来上がった料理は野菜や肉を炒めたもの。
しかし所々焦げていたりと、味はまだまだだった。
どうやらゼントの料理の腕も落ちているようだ。
それでもユーラはすごくおいしいと言ってくれる。
お世辞だとしても彼は嬉しく思った。
――そして、冒頭の現在に至る。
まだ時間は早く本来は目を覚ます時間ではない。
にも拘わらず、起きて朝食作りを手伝ってくれていた。
「おにいちゃん」
無理やりに出す元気な声に悲しくなりながらも、彼女のために前へ歩き出す。
すると直後に後ろから話しかけられ、優しく声を返した。
「どうしたんだ?」
「あのね、きのうはわすれてたんだけど、またあたまをなでてほしいなぁって……だめだったらいいんだけど……」
ゼントは何も言わず、すぐに頭を撫でた。
手を正面に差し伸ばして、髪に当てて優しくさする。
彼女の為には、こうすることしかできなかったから。
早朝の空気に響き渡る寂しそうで震わせる声に我慢できなかった。
希望を忘れてほしくない、とついには哀しみを包み込むように抱きしめる。
それは揺るぎない久遠の中で、心に差し込む唯一の光だったに違いない。
「――ごめんなさい……」
しかし腕の中の驚く様子は無く、聞こえてきたのは謝罪の言葉だった。
耳元でふと零れるようにぽつりと、ゼントの心を抉るように、
「謝るのは俺の方だ。ずっと一緒にいるって言ったのに、こんな思いをさせてしまって」
「――ちがうの!そうじゃないの!」
肩を埋めて想いを伝えるも、突然の叫び声にゼントの方が驚いてしまいふと顔を上げると、
――彼女の美しい瞳には水分が溢れていた。
流れ落ちる度に、次々と新たに零れ出る。一生止まらないのではと思ってしまうほどに、
何の為に注いでいるのか。霞の中の心故、分からなかった。
「がんばってやくにたとうって、おにいちゃんにあまえたりしないで、めいわくをかけないようにしようっておもっていたのに……じぶんからこんなこといっちゃうなんて……」
「大丈夫だ。お前は何も悪くない。悪いのは全部俺だ。そもそも、こんなことになってしまったのも、ユーラが今辛い思いをしなくちゃならないのも、全ては俺が……!」
それは目の前の少女にだけでなく、自分の魂に刻み込むかのように言い放った。
言い放った後に、変わりゆく罪過に耐えられなくなり、また深く抱きしめる。
彼女もまた、涙ながらにゼントを全身で抱き着いた。
「もし今、ユーラがどうしても離れたくないって言うのなら、俺は後を引かずに従える。一番大切なモノの為だから、出し惜しみなんてできない」
耳元で冷たく囁いた。
数秒か、数十秒か、あるいは数分か、
二人はずっと強く触れ合いながらむせび泣いた。
そして、感情がようやく落ち着いてきたのか、
長い沈黙の後、ゆっくりと口を開いて答えた。
「……ううん。ゆーらは“まだ”だいじょうぶだから!おにいちゃんはおしごとがんばって」
「……分かった。俺はユーラを信じる。だから行ってくる」
「うん!いってらっしゃい。おにいちゃん!」
先程と同じように弱々しく気丈を吐いた。
“まだ”……
その何気なく出てきた言葉を肝に銘じながら、ゼントは再び歩き出す。
◇◆◇◆
――ここは協会前、
遠く先の見えない朝霧の中、
いつから待っていたかも分からない少女が、たった一人の為だけにそこに立ち尽くしていた。
ゼントは家前での事を無かったかのように、かの者に気安く語り掛ける。
「――よう、待たせて悪かった。さあ、行こうか」




