第八十二話『食卓』
「――おにいちゃん、どう?おいしい?」
夕日が鋭角に窓から細く差し込み、もう夜が迫ってすぐそこまで来る。
部屋は暗然の前に小さく輝く赤色に染まり、焚火との相乗で薄気味悪さを醸し出していた。
しかし、ゼントの心には夜よりも闇という、得体のしれない寒気が押し寄せる。
何故このような事になっているのだ?
ユーラの言葉に反応できず、代わりにあらゆる可能性を模索する。
ソースを口に入れた第一印象は味に渋味があって、さらに水っぽくてひどく薄い。
調味料は買って来た食材と共に、一通り揃っているはずなのに使われていない。
全くと言っていいほど風味のかけらも感じなかった。
ならば、自分の味覚がおかしくなってしまったのか。
ユーラの食事をしばらく食べていなかったことに加え、ここ数日の心的疲労でとうとう体に異常が現れたのかもしれない。
それかライラが買って来た食材が不良品だったか?
可能性があるとすればこっちがそうだ。
かなり急いで使いを終わらしたようだから、きっとよく品定めをしていないのだろう。
これはユーラの作った料理のはずだ。美味しくないはずがないだろう。そう思って二口めを食べた。
しかし、皿の底から具材を掬い上げると、異質とも思える物が姿を現す。
普通の根菜だった。しかし……丸々一本がそのままの形で入っている。
包丁を入れた形跡は、ほとんどない。精々一、二回だろう。
更に言えば、匙で持ち上げただけで崩れてしまうほど、煮崩れしていた。
では何かの悪い冗談、または悪戯か?困惑する様子を楽しんでいるのか。
そう思い至って唖然とした表情で正面を見る。だが、もう少しよく考えるべきだった。
彼女は両手を握りしめ、真剣極まる様子でゼントの食事風景を凝視している。
よくよく思い返してみれば、そんな事をするはずがないことくらい分かっただろう。
元々は昔からずっと真面目な人格だと、神官長から聞いている。
童心に帰ってから見ていても、決してこのようにふざけるような性格ではない。
「――もしかして、おいしく、なかった……??」
しかしそんな彼女だからこそ、疑問を覚えてしまったらしい。
一定時間返答も無く、ゼントの唖然とした表情を見ては余儀など無かった。
先程まで存在した自信はどこかへ消え失せ、虹彩は小刻みに震え、そして淀みかけている。
体から力が抜けていって、ただ“ありえない”といった表情をした。
「――そんなことはない。とても美味しいよ。美味しすぎて、驚いていただけなんだ」
「ほんと?!」
ゼントは混乱してしまって、懲りずに同じ過ちを繰り返す。
だが考える余裕が無く、悲しませまいと咄嗟に判断した結果、悪意のない欺瞞が出てしまった。
きっとこの選択は何度繰り返そうが、どう道筋を変えようが回避することは叶わなかっただろう。
自分の口から出た言葉に我に返った。
慌てて作ってくれた料理をおいしそうに食べ始める。
ぐちゃりと口の中でくたびれる野菜たち。何回かに分けて食べる必要がある。
当然味は言わずもがな。崩れた後に残る繊維が不快で、無理やり飲み込むしかない。
「これはぜんぶたべちゃっていいよ!ゆーらはがまんできなくて、さきにたべちゃったから。あとおにいちゃんのぶんには、とくべつにおにくがはいっているの!」
そう言われて、掬い上げた皿の底に沈んでいた鳥肉が決定的だった――
本来ひと口大に切るはずのそれは、野菜よりはましではあるものの、拳と同じ大きさ。
煮込み過ぎたのが原因か表面は硬く、しかし中までは火が通っておらず半分生のまま。
初めに感じた渋味の原因は灰汁だろう。
まるで煮込んでいる所から生のまま投入されたような……
ふと調理台の下の火が、ぱちりと音を立てて大きく揺らいだ。
何かがおかしかった。ゼントが抱く感情は理解不能な恐怖だろう。
彼女は先に食べたと言い張るが、自分で気が付かなかったのだろうか。
一体どうすればいいのか彼はまた迷ってしまう。
火が通ってない部分がある状態では腹を下す可能性が出てくる。
流石に言った方が良いのだろう。それでも彼女を傷付けないように……
「ユーラ、やっぱり食事は俺が作るよ」
「えっ?どうして?」
どんなに考え込んでも、それ以上の言葉は出てこなかった。
料理には一切触れずに言えたまでは良かったのだが、理由を尋ねられるとまでは予想してない。
「えーっと……腕も折れていることだし、ユーラには出来れば他の事を任せたいかなって思ってて……」
「そんな……おにいちゃんのためにりょうりしたいの。そのほかのこともやるからおねがい。これはゆーらにやらせて?」
気を使ったように言ったつもりだった。
だが大きなショックを与えてしまった様子。
ゼントはその光景を見て再び思い悩む。
こうなってしまった原因や理由は分からない。
あの化け物に襲われた後遺症と考えるのが自然だろう。
やりたいというのであれば、希望を叶えるのもやぶさかではないが……
とにかく料理の方は今ではなく、作る直前に助言として言葉を送ればなんとかなるだろう。
「じゃあ、料理をするのはいいんだけど、俺も一緒に作っていいかな?」
「うん!もちろん!」
何とかユーラの笑顔を守り切れたと安堵するゼント。
でも今はそれよりも問題がある。
互いの笑顔を別の意味で絶やさぬよう、
彼は眼下の料理をおいしそうに、何度も口に運ぶのだった。
……肉に僅かでも火が入っていたおかげか、ユーラに隠れてこっそり水分を大量に摂取したからか。
幸いにもその後、腹痛などが襲ってくることはなかった。




