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第八十一話『夕餉』

 



 ――ゼントが次にゆっくりと目が覚めた時、

 外はもう橙色に染まり、次に来るであろう夜の訪れを明示していた。


 光が目に入って来るなり飛び起きる。差し込む光の色を見て、同時にひどく焦った。

 眠ったユーラを寝床に移して、明後日の準備やら、買った品物の整理やらしようと思っていたのに……

 つられて玄関すぐ傍の床で眠ってしまったようだ。


 当初考えていた予定はもう履行不可能だろう。

 今はとにかく、急いで夕飯の支度をしなくてはならないと思った。



 実情を言えば、食料だけならしばらくは糊口をしのぐだけの量は確保してある。

 だがそのほとんどが干し肉や塩漬けにした魚など、保存は効くが良質な味を保証できない代物ばかり。

 早速今日の夜から、美味しいものを食べさせてやろうと密かに意気込んでいたのに……


 ゼントの料理の腕はまずまずと言えるだろう。

 それは、ずっと恋人との生活でせめて身の回りのお世話だけでも、と一所懸命に学んだことだった。

 全ての家政を担当していただけあって、やる気さえ出せば家事全般を一通りはこなせる。



 寝る前に自らの手で買って来た器具を探す。しかし、どこにも見当たらなかった。

 そしてどういうわけだか、上に乗っていたユーラも居ない。

 気が付く順序が逆だが、それだけ気が動転しており思考だけが先に行ってしまっていた。



「――ユーラ!どこだ!?」


「なに!?おにいちゃん、どうしたの?」


 一瞬嫌な予感がして、さらに慌てたゼントは彼女の名を大きな声で呼んだ。

 するとすぐに奥の部屋からユーラが顔を出す。

 どうやら先に起きた彼女は隣の部屋に居たようだ。


 杞憂だと分かってゼントは、ほっと短いため息を吐く。

 心音はまだ頭の中に大きく鳴り響いていた。



 一度でも何かがあれば取り返しのつかないことになる。

 焦るくらいなら、初めから用心しておけばいいのに、

 半年間で体だけでなく、感覚までもがなまってしまっているようだった。


 更に言えばここ数日、特にユーラを家に迎えてからゼントはあまり眠れていない。

 赤い化け物がまた現れるかもしれない。その臆病を持ち合わせているからだった。

 以前は長時間の眠りをとることが多かった反動か、日中は眠気が残る。


 そう言えば赤い化け物が現れた時、彼女――ライラは何をしていたのだろうか。

 まあ、これくらいなら聞けばすぐわかるかと、頭の中から雲散霧消した。

 そんな事よりも、と彼は視界の正面のユーラが目につき返答を繰り出す。



「いやなんでもない。姿が見えないからどこかへ行ってしまったのかと思ったんだ」


「おそとはこわいから、ゆーらがじぶんででることはないよ……」



「分かってるんだけど、何かあったら怖いから念のためな」


「ねえ、それよりおにいちゃん。みてみて!よるごはんはゆーらがつくったんだよ!」


 ユーラがその場からどくと、奥に見える床には火のついた調理台と、自らが買って来た土製の鍋と包丁があった。

 まるで、彼が起きるのを時機よく狙っていたかのように、美味しそうな匂いも漂ってくる。



「え!?大丈夫なのか?怪我とかしてないか?」


 本来自分がやるべき仕事をユーラにさせてしまったことに、ゼントはただただ申し訳なく思った。

 ずっとつらい思いをしていたのだから、そしてこれからも多少は強いてしまうのだから。

 今できるうちに、ゆっくりとくつろいで居てほしいと願っていたのだ。


 そして少なからず驚いた。刃物や火を扱うなど危険が多い。

 加えて、繰り返しになるが彼女の右腕、特に上腕の骨が折れているのだ。

 手や間接は無事なので、軽く物を持つくらいなら問題ないが、

 腕全体を木の板で固定されているので、食材を切るなど器用には扱えないはず。



「え?それくらいならかんたんだよ。いつもやっていたから。これからしょくじはゆーらがつくるから!」


 だが声高々に返ってくる反応にも、ただ驚くばかり。

 宣言だけでなく、自信満々な表情には合点がいく部分もあった。


 一度、ユーラについて仮説を立ててみる。

 もしかしたら、振る舞いや周りの認識が変わっているだけで、知識や技能などの記憶は残っているのかもしれない。

 考えてみれば、文字の読み書きも出来ていたのだから、可能性は十分ある。


 語彙などの言語能力は比較的問題ないようにも見えるし、一般的な記憶喪失とは異なるのか。

 子どもっぽくなっているからと言って、何でもかんでも過保護にやってやる必要はおそらく無かったのだろう。


 しかもよくよく考えれば、ユーラは毎日手作りの料理を持って来てくれていたのだ。

 はっきり言ってゼントの作るものよりも味は数段先を行く。

 危険が無いのであれば、今後の調理を任せてみてもいいかもしれない。



「――はやくきて、せっかくつくったのにさめちゃうから!」


「あ、ああ……」


 服の袖を引っ張って催促してくる。

 促されるままゼントは立ち上がり、玄関から隣の部屋へ行く。

 椅子もないので調理台近くの地面に座りると、隣合う形でユーラが寄り添ってきた。


 陶器の深い平皿に、鍋に入っていた食事をよそう。

 どうやら作ったのはシチューのようだ。

 根菜や肉を家畜の乳で煮込んだシンプル、かつどの家庭でも作る料理。


 顔を近づけるまでもなく香ばしい匂いが鼻に抜けて嗅覚をくすぐる。

 食器や食材はライラが頼まれて買ってきた物だろう。



 無言で早く食べろと、瞳でせがむユーラ。

 木製の匙で掬い、温度を確かめながらゆっくりと近づける。

 そして思い切って口の中に入れた。





 ………瞬時にゼントは違和感を抱く。


 ユーラが兄の為に一生懸命作ったであろう料理に対して、このような感想を抱くのは大変よろしくないことだろう。

 見た目はこれほどまでに整っているのに、どうしてだろうか。



 ――美味しくない…………


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