第七十六話『誘引』
明るい空間であるはずの応接室は、最悪の空気に呑まれていた。
それがたった一人の少女の、安易な無作法によるものなのだから末恐ろしい。
ゼントは首を垂れ、謝罪した。
「――俺の教育不足だった。後でじっくりと言い聞かせとく」
「いや言っちゃ悪いが、優秀な冒険者にはああゆうのが稀にいるんだ。俺が気やすすぎたのが原因だろう」
彼はそう言うが、それほど馴れ馴れしいという言葉遣いでもなかった。
流石に今の発言は流石に許容しかねる。
カイロスの目は遠くを見据え未だ戻ってきていない。
しかし、ゼントの中にある感情は怒りというよりも失望に近かった。更に言えば疑問だろう。
自分に対してあのような態度など、今まで一度もなかったはずなのに、何故?どうして?と。
以前には名前で呼んでほしいとも言っていたのに、カイロスが名前を呼び掛けると豹変したよう矛盾を起こした。
再発防止のためにも、説教の前にまずは問いただすことの方が先決と考え、すぐさま行動に移す。
複雑な感情に振り回されながらも、立ち上がってライラが出て行った扉へと歩き出した。
ところで……横で口を挟むことなく、ずっと見守っているだけだったセイラ。
はたして、受付の職務を放棄してまでこの場に居る意味があったのだろうか。
そんなことを考えていると、不意に立ち上がってゆっくり近づいてきた。
「ねえ、ゼント聞きたいことがあるの」
部屋を出ようとするゼントに追いつき、カイロスには聞こえない声量で耳打ちしてくる。
他の人には言えないような、何か特別な話の内容があるのだろうか。
彼女の後ろにいるカイロスは先程の事がよほどショックだったのか、俯き唸り声をあげて考え込んでいた。
「急いでいるんだ。なるべく手短に頼む」
「ええもちろん。あなたは生活するお金のためにやむなく活動を再開した。そうでしょ?」
その私的な質問にゼントは眉を下げ、少なからず訝る。
仕事一途な彼女の事だから、てっきり依頼についての事だと思い込んでいたからだ。
彼女は首を斜めに、短い銀の髪を垂れさせ、蠱惑的な笑みをもって接する。
瞳には恍惚を帯びて、まるで獲物を美しい誘惑で引き込むかのようだった。
「……だとしたら、どうなんだ?」
いつも遠目で見ていたセイラとは大きく違う印象からか、心身共に自然と身構える。
しかし、次に口から出て来た爛れた甘言に、再びゼントは吃驚するに至った。
「――腕に自信が無くて、お金にも困っているんだったら、私がきっとなんとかしてあげられる。なんなら使いきれないくらい持っているから」
それは多くに人々からすれば、裏のある一時の甘い誘いだろう。
彼女はゼントの自己暴露を見ている。
そこから考えられる誘引方法を模索した末に出てきた答えがこれだった。
無論ゼントにとっても思いもよらない幸運と言えただろう。
しかし、それを先の事を受け取るほど、彼の心は弱くはなかった。
「いや、俺は他人に金を無心するほど堕ちたつもりはない。自分の事は自分で何とかする」
これは人間として立派だったというよりは、信条ゆえにでてきた言葉だろう。
他人に迷惑は絶対に掛けまい、同時に被っても悪意が無いなら許そうと心にしっかりと留めている。
ユーラに対しての行いも含めるのなら、それはもはや義人に等しい。
しかし、目の前の彼女にとっては無用の正義だった。
何とかして自立の意志を捨てさせ、自らを依存の対象へとすり替えようと言葉を繕う。
「無駄な努力なんてして何になるの?結果は何も残らないでしょ?」
「違う違う!求めているのは結果じゃなくて“意味”だ!」
やや焦って紡いだからか、予想とは違った展開になってしまった。
しかし、セイラの発言は的を射ている。無意識にゼントの過去を否定してしまう。
彼は首を振り、自分に言い聞かせるように全力で否定した。
それは、かつての恋人が遺してくれた言、
自身の才能に絶望していた頃、努力の成果しか見ていなかった頃、
彼女に言われ、自分では納得してなかったものの、それでも縋っている言葉だった
「――うんん?どうした、二人で何の話しているんだ?」
ゼントがあまりに声を張り上げたせいで、考え込んでいたカイロスを起こしてしまった。
しかし、セイラは完全に後ろを無視して続ける。
「……意味、ね。分かったわ。でも、そうだとしてもこっちには受け取ってほしい事情があるのよ」
本当に助けが必要というのならば話は別だが、はたしてそんなうまい話があるのだろうか?
そう強い疑問を持ちながらもゼントは耳を傾けた。
「最近実家から大量の仕送りがあって、今私に家に大量にお金が置かれている状況なの。梁上の君子にまとめて盗られでもしたらと思うと……だから、万が一のことを考えて半分くらい預かっていてほしいの。お願い!信頼できそうな人が他に居ないから!」
確かに、ゼントの住処にわざわざ泥棒に入ろうとする輩など、そう居ないだろう。
町はずれに佇む廃墟よりも、中心地にある大きい屋敷を狙った方が儲かる。
だからこそ裏をかいて、信頼もおける人間に預けたい、らしい。
「まあ、そういう事なら……」
「預かってくれる費用として、いくらでも使ってもらっていいから」
「いや、それは流石にちょっと……じゃあともかく、お金の件は日を改めてセイラに家で受け取るとするよ」
「ええ、本当に助かったわ、ありがとう!」
彼女は純粋な喜びの声を上げ、自然とゼントの両手を強く握る。
一瞬驚いて引き離さそうとするも、笑顔を見てすぐに止めてしまう。
少なからず、頼られたことに対して嬉しかったから。
かといって一切手を出すつもりはない。
借りられたとしても、結局は働いて返さなければいけないのだから。
そして正直に言うのであれば、ゼントはあまり彼女の言葉を信じきれていなかった。
普通ではありえない状況であったし、何より不可解な点が多い。
しかし、何か人には言えぬ事情があるのだと思って、深く掘り下げることなく了解した。
厄介事に巻き込まれる危険も頭に浮かんだが、それはセイラ側も同じ。
ある程度纏まった金だとしたら、持ち逃げされてしまう可能性があるからだ。
故に互いの信頼が成せる業だった。
視界に移るセイラは上手くいったと、薄い色素の眼差しは、より一層蠱惑に満ちた笑みを見せる。
赤い唇も、紅潮した頬も、心どころか深淵すら揺らぐほど美しい。
窓から指す光が銀髪と調和して、後光のような神々しさを醸し出していた。




