第七十三話『境界』
「――なぜあなたがユーラを引き取ったのかは分かっているつもりです。でも、だからこそ、そうであるなら。彼女のこと一生かけて尽くしてくれる。それこそ愛していると、そう言ってくれるくらいの人でなければ安心して任せられません」
それが彼の主張だった。
とめどなく、あてどなく、口を開けば嵐のような男だ。
しかし、それは議論というよりは口喧嘩に近しいものだった。
「俺はユーラの事を家族だと思って接している。それも愛情の一つだと思う」
「そうではなく、ユーラに対して異性としての愛情をあなたに求めているのです」
奇抜な発想、だがそれでも分からない。なぜそんなものをゼントに求めるのか。
両者一歩も引かず、乱入に近い彼を黙認していたカイロスもとうとう声を出す。
「……二人とも、少し落ち着け。俺は話が見えてこないぞ」
肩を落とし、ため息交じりに宥める。
はっきり言って空気は最悪だ。剣呑とは語るまでもない。
フォモスは、彼らしくもなく何かを考えているようだ。
動き回る視線から逡巡が窺えるものの、
そして、抱え込んだ想いを吐き出した
「――私はね!ユーラの事が好きだったんだ!」
……部屋の中の音が唐突に止んだ。
間延びした空気から一転して、
無意識に、呼吸が続けられなくなった。
カイロスに止められそうになって、焦って切り出したのだと思う。
胸に手を当て、身を乗り出して、堂々と胸の内を曝け出す様は何とも格好がついた。
声の張り方、意志の灯った眼、整った服装から仕草まで、演説者としては一流だろう。
「――私だけでなくハイスもそうだ!」
「っちょ!?やめろ!何を勝手に!!?」
一方的に説得する側として巻き込まれたハイス。
一度晒してしまった感情の行き場がないのだろう。
静止も聞かず、無造作にしゃべり続けた。
「何度も誘ったんだ。そして、彼女の見ている方向が、私でないことも分かった!」
声には怒りと悲観が混じり合って、絶え間なく漏れ出してくる。
一歩引くゼントとは、何重にも見ているものが違った。
「吐き気を催されるかもしれませんが、ハイスと一緒に女性を口説いていたのは、その鬱憤晴らしでもありました。自分でも矛盾していると分かっています。ですが、ずっとユーラの努力を応援して、見守ってきたつもりです」
いつも頑なに、目だけは曇っている彼だったが今は違う。
誰に向かって語り掛けているのか。ゼントか、自分自身へか、それとも単なる独白のつもりか。
辺りには須らく静寂が覆うべきだった。
この談論を終わらせられるのは、フォモスただ一人しかいない。
深くため息を吐くと、瞳からは帯びていた色が消えた。
「少し独善がすぎました………。私はユーラを心の底から想っています。でもそれは結ばれたい、なんていう一方的な高望みではなく、彼女自身の幸せを本当に願っているのです。毎日努力した者に、少しでも報われてほしいと思うのは間違いでしょうか?だからこそ引き取る以上、あなたにはその想いがあるのか尋ねたいんです」
その言葉が真実なら、フォモスという人物は紛うことなき人格者だろう。
彼にしては珍しく、捲し立てる様子はなかった。
一つ一つの言葉を整えて抱える疑問を問うている。
「……やっぱり理屈は分からないが、ユーラは俺の事を兄と呼んで、慕って、そして存在を求めている。今の彼女を異性と接するのは違うと思う。俺もできる限り、彼女の想像する理想の兄でありたいと思う。家族として愛情をもって接する。それで許してくれないか」
「……正直、憎しみを抱くほどあなたが羨ましいです。できる事なら、立場を入れ変わりたかった。でもこれは人間のただの醜い欲望なんです。どちらにせよ、気力がもう無い。あなたの答えを聞いたところで、何かを言う資格も私には無いでしょう。突然無断で侵入してお騒がせしました。もう部屋から出て行きます」
そんな真正面から純粋な羨望の念を言われたことは無かった。
あるとしても、半年より前に四六時中受けていた嫉妬による視線だけ。
元々生半可な気持ちで請け負ったわけでは無い。
だが、フォモスらの想いを聞いてしまっては、より強固なものにならざるを得ない。
「心配しなくても全力で彼女を守る。それだけが俺にできることだから」
ゼントの言葉が耳に入っていないのか、全身の力が抜けたように歩き始めた。
想いを出し切り、出涸らしのようにやつれている。
そして、すれ違いざまに一言
「――あなたのその無責任な愛が、どうか惨劇を繋がりませんように……」
老婆心ゆえの忠告のつもりだろうか。
神拝詞のように耳元で囁かれた。
愛を失った青年の前には、皮肉にも捉えられるだろう。
続けざまにハイスがゼントの耳元で囁く。
「アニキ、フォモスはちょっと精神的に疲れているだけです。俺たちの事は気にしなくていいから、ユーラを頼みますよ!」
片方は真正面から気持ちを激励のように伝えた。
もう片方は気を使って遠回しにやさしく励まして言ってくる。
どちらも今のゼントには必要だ。
ハイスはフォモスの背中を押し、部屋から追い出すようにそろって出て行った。
扉が大きな音を立てて閉まると、寒気がするような気がする。
予期せぬ悶着がひと段落ついて、ゼントは柔らかい椅子に気分を切り替えるが如く座り直すと、気まずそうに切り出した。
「……まあ、カイロス。とにかくそういう事なんで、俺も金を求めて冒険者の仕事に戻ろうと思ったんだ。とはいっても現段階で誰ともパーティーも組めてないし、実力も低いしで……」
「――何言ってんだゼント?その子と組むんで仕事するんじゃないのか?」
彼の視線はゼントのやや斜め後ろを差し、不思議そうに口を半開きにしていた。




