第七十話『要望』
「――悪い。実は俺、文字とか書けないんだ」
「「え?」」
直前になって言い出すよりもましだと考えたので、先に自ら言い出した。
唖然の声が前後から聞こえてくる。注がれる視線も痛い。
ゼントが困ってしまった理由はそれだった。
実際、読み書きをほとんどと言っていいほどできない。
できるのは精々、自分の名前が書けて、数字と数種類の単語を知っているくらい。
なぜこうなったのかと言うと、彼のかつての日常では文字を覚える必要が無いからだ。
冒険者協会の依頼手続きは、全部恋人に任せてあった。
読み書きは学ぶ機会もあったのだが、彼女に必要ないと止められていた故。
冒険者にとって最低限は身に着けた方がいい技術。
だが、町全体を見ても一般人の識字率が高いわけでは無い。
だから、当時のゼントはそこまで気にしていなかった。
彼が半年間依頼を受けなかった理由はそこにもある。
文字が書けない事が恥ずかしかったので、少し見栄を張ってしまった。
「じゃあ、ゆーらがかくから、おにいちゃんはかくことをいって!」
居心地が悪かった空気だったが、ユーラが横から登場したことにより少し和んだ。
教養が無いと笑われるかと思っていた。
だが先程の愚痴を零す様子から一変、どうしてだか目が爛々と輝いていた。
「では、お言葉に甘えて……、書く物を渡してくれるか?」
ライラに向かって筆記物を渡すように要求する。
すると彼女はユーラとは対照的に、不愛想が極まったような不機嫌になり声にも表れ初めた。
「いい、私が自分で書くから。ゼントはさっきの内容をもう一回言って」
「やだ!ゆーらがかくんだから!!」
仕事を盗られたことがそんなに嫌なのか、横に居たユーラが突然大きな声を上げる。
彼女の見るとものすごい剣幕でライラの方を睨んでいた。
その様子を見て、ゼントは少し気になったことを聞いてみる。
「そういえばユーラ、こいつの事は怖がらないんだな」
「え?このひともこわいけど……あいつらよりはだいぶまし、かな?」
自身でも違和感に気づいたのだろう。
首を傾げ考え込んだ挙句、自身無さげに答えた。
もしかして普通に見えているのか?
なにか怖がらない人間に基準や条件があるのかも知れない。
様々に思考するよりも前に、ユーラがせがんできた。
「ねえ、それよりもおにいちゃん。ゆーらにそれかかせて」
「だめ、これは私がやるの。あなたは引っ込んでて」
そう彼女が指差すのはもちろん、ライラが手に持つ紙だった。
対し、事情が分かってないライラは大人げなく高慢に返す。
「悪いんだが、それをユーラに渡してくれないか?」
思えばずっとユーラには我慢させてしまっていた。
第一に考えると言うからには、ささやかな願いは叶えて然るべきだろう。
だが、ゼントの行動に快く思わない者が一人。
「ゼントはそいつに味方するんだね……」
何気ない一言に対し、湿り気を帯びた目で見返す。
恨めしそうな声に臆する事無く、ゼントは言葉を返した。
「味方とかそんな曖昧なものじゃない」
「なら、なんなの?」
「――家族だ」
「…………」
それは一見すると衝撃的な発言だっただろう。だがあながち間違っているわけでもなかった。
同じ家に住み、片方はゼントを兄と慕う。血の繋がりは関係ない。
信念の持ったその単語は、ユーラを安心させる為でもあり、自分に言い聞かせる為でもあった。
一方のライラは口を開くことは無く、得も言われぬ感情が渦巻いている。
強いて形容するなら屈辱を噛みしめた表情をしていた。
初めに見えた笑みは滞ることなく消え去り、もうどこにも無い。
「難しいことを要求しているつもりはない。紙とペンを渡してくれと言っているんだ。それくらい別にいいだろ?」
「…………はい、これ」
毅然とした態度で軽口を叩くと、彼女は渋々手を差し出す。
高々小さい用具ごときに、なぜそこまで惜しそうな顔ができるのか、ゼントは分からなかった。
「ほら、使い方は……流石に知ってるか……」
「うん!ありがとうおにいちゃん」
目的の物を受け取ったゼントは、それをそのまま手渡し、できる限り笑顔を見せる。
先程の言葉を言った影響もあってか、更にユーラは目を輝かせていた。
そして、ゼントは考えている内容を口に出し、それをユーラがすらすらと紙に書いていく。
文字を書くという、自分ができないことをユーラは当たり前のようにこなす。
その姿を見て、自分との能力の差にどこか複雑な気持ちになった。
「――はい!これでぜんぶ?」
「ああ、全部だ。ありがとう」
「うん!やくにたてて、ゆーらもうれしい!これからもいってくれればなんでもするから!」
満面の笑み。それは、慕う者に頼られたことに対する会心と、役に立てたという安心からだった。
未だに見捨てられるのでは、という心配が払しょくできていない。
それは大好きな者への言葉すら、正面から受け止められなくなるほどに、
「はいこれ。回りくどくて悪かったな。これを頼めるか?あと金は……」
「いらない。もう行ってくる」
「あっ、おい!」
ユーラが書いたメモを受け取るや否や、必要なお金も受け取らずに出て行ってしまう。
機嫌の悪さを隠そうともせず、声からは不快が表れていた。
ゼントとユーラは二人きり、もの静かな部屋に残される。
「まあ、いいか……」
ライラの様子は気になるが、今は置いて置こう。
問題は解消したが、それもあくまで一時的なものだ。
彼は抜本的な解決をすべく、ゼントはユーラとの話し合いを続行するのであった。




