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第六十三話『愛求』

 



 ――その光景を見て、ゼントはとうとう堪忍袋の緒が切れた。



 怒りの矛先は誰でもない。人として最低な自分だった。

 光は小さな天窓からしかなく、覗き口も無い重い扉。

 そこへ縛り付けて閉じ込められた少女にすら、自分は手を差し伸べてやれなかったのかと。


 彼女が今まさに感じているのは、子供さながらの孤独という恐怖だ。

 ましてや身体としても完全とは言えまい。頬はこけ、目の下の隈もそう。

 背伸びしているだけで、顔にも心にも幼さが宿っている。



 かような者に、自身の利己的な事情の為に身を拒むだと?

 これが人間の感情とでも言うつもりなのか?



 ――恥を知れ、ゼント




 辛いからと今まで何も感じようとせず、行動できなかった自分を殴りたい。

 惨憺たる光景を見ても動じず、仰ぎ見るだけの目を抉り取りたい。

 自ら歪めた声を聞いても理解することを拒絶した、己の耳を引きちぎりたい。


 唯一の望みだった右手を放したユーラ。

 その行動が何を表しているのか。

 彼女の気持ちが分からないはずがない。



 理性の忍耐という邪悪な糸が切り刻まれて、ゼントはようやく目を覚ましたのだ。

 だが道徳的価値に気づく前に、初めから行動するべきだった。少しばかり遅すぎる。



「ユーラ、少しだけ俺に時間をくれ」


「…………」


 彼女は何も言葉も発せずに俯き、どこか遠くを眺めている。

 それは空虚と形容するにふさわしい。



 急いで踵を返し、早歩きで部屋から出て行く。

 後ろに居るユーラは、もう何も声を掛けてこない。

 ただ魂が抜けたように、体の全ての力が無くなった。



 部屋を出ると、目的の人物はすぐ傍で見つかる。

 通路の脇で目を静かに閉じて、しかし体はしっかりと扉に向けて、



「――それで、どうなさいますか」


 その言葉にゼントは驚いた。

 初めから、こちらの意図を察しているかのような言動だ。

 先程の礼拝堂内の振る舞いといい、只物ではない。



「ユーラを……俺に引き取らせてください」


 ゼントは臆する事無く言い放った。

 勇気ある行動というには鈍すぎる。

 しかし彼も葛藤を持つ一人の人間だったのだ。



「……それは、後戻りできない選択ですよ」


 また彼の瞳が鋭く見開かれた。

 声色からは優しさが溢れているのに、眼だけで威圧するほどの恐怖がある。

 目の前の彼は聞いているのではない。覚悟を求めているのだ。



 思えば、初めからこうなることをどこかで、望んでいたのかもしれない。

 ただ、この行動に確執を生じさせている何かがあったと睨んでいた。

 卑怯ともいえる手口だが、想いを断ち切ることには成功している。



 ゼントは黙して老人の目を見返した。

 未だ揺らぎのある眼だったかもしれない。

 しかし芯を捉え切れた瞳だった。



「そうですか。では悔いはありませんね?」


 その口は多くは語らず、静かに聞いてくる。

 ゼントは耐えきれず、心の内を明かした。



「後悔が全く無いと言えば嘘になります。でも、何度過去に戻ったところで、私は同じ選択をするでしょう」


 視線は定まらず、声も震えていた。

 最後の質問を終えると、顔はよく見た優しい表情になっている。



「その覚悟を聞けて私は満足です。さあ、今すぐユーラを安心させてやりなさい」


「はい!ありがとうございます!」


 思わずゼントは笑顔を見せた。

 半年間見せる事の無かった心の底からの笑みである。


 教会の対応が悪いとは言えない。

 ただゼントは見て見ぬふりをできなかった。


 これで心置きなくユーラを救ってやれるだろう。

 問題はまだ山積みだった。これからの事、環境を変えなければならない。

 しかし、ずっと抱えていた自身への責苦から解放される。




 だが……急ぎ部屋の中に戻ると、そこには、

 先程まで無かったはずの惨い光景が広がっていた。


 扉を開けた瞬間に異変に気が付く。

 見ただけで、空気が鉛のように重く待っているのが分かる。

 ユーラは部屋の隅で蹲り、居もしない誰かへ向かって、絶命を乞った。



「ゆーらを……もうころしてください。もういやなんです。いきていたくないんです。おにいちゃんのそばにいられないしょうがいなんて……、ぜんぶゆーらがわるかったんです。だからじめんにうめてください」



 ――少女は小刻みに震えていた。

 目はまばたきを忘れ、焦点を定めず、

 口から出る呪詛のような言葉を、途切れ途切れに繰り返し吐き出すだけ。


 唯一の支えが視界から消え失せ、見放されたと勘違いしてしまった。

 結局、狐疑逡巡だった神に祈るしか手段はない。

 涙すら流せず、ただ狂信へと走っていたのだ。



 孤独の恐怖という精神的苦痛に耐え切れなかったのか、

 食べたばかりの料理を、目の前に全て吐き戻してしまっていた。



 地獄絵図のような光景にゼントは頭が真っ白になった。

 彼は二度も彼女の精神を破壊してしまっている。

 その事実を知らなくても、心に深い傷を付けるには十分だった。



「――ユーラ!俺が悪かったから!もう全部大丈夫だから!!」


 何も考える余裕は無く、慌てて駆け寄ると彼女を抱きしめた。

 手を背中に回すと、かろうじて上半身を起こしていた力も抜けきり、腕にもたれ掛ける。


 掛ける言葉がどうしても見つからない。

 もう大丈夫だと、一緒に居られると、安心させたい一心で言葉を掛け続ける。



「もう離れたりしない!約束する!だから死にたいだなんて言わないでくれ!」


「…………」


 ユーラは何も言ってはくれない。

 しかし、抱擁と懸命な呼びかけが通じたのだろうか。

 しばらくすると弱々しくだが、口を開いてくれたくれた。



「もういいよ。わかったんだ。ぜんぶゆーらのわがままなんだって。ゆーらがそばにいるとめいわくなんでしょ?おにいちゃんにめいわくかけたくないから、」


「違う違う!!何もできなかった俺が悪かったんだ。できることなら何でもするから、許してくれ」


 正気に戻ったかのように見えたが、ユーラはゼントと同じく自分を責めているようだった。

 ゼントは彼女の言葉を必死に否定する。先程とは立場が逆転してしまうことも厭わずに、

 彼が再び目の前に現れたことに安心したのか、彼女は僅かだが微笑みを見せる。



「――じゃあ、私に“愛してる”って言ってみてよ」


 彼女の瞳が一瞬濁った気がする。

 それはあまりにも突然すぎる言葉だった。

 ゼントは体を離して聞き返す。



「えっ……」


「だって、何でもしてくれるんでしょ?」


 部屋の中に流れてきていた外からの雑音も、今だけは静まり返っていた。

 夢心地なのか。彼女の顔が、暗い部屋でも分かるほど赤くなっている。

 背中や肩、布越しに触れている部分から熱と鼓動が伝わってきた。



「えっ?分からない。なんで今そんなこと……」


「やっぱり……、どうせ、お兄ちゃんは言ってくれないんでしょ?だったら……」


 なぜ今この瞬間に、その言葉を求めて来たのかは分からない。

 場違いにもほどがある。本当に死ぬわけでもあるまいに、


 でも迷っている暇はない。ゼントは彼女を救うと覚悟を決めたのだ。

 そして彼女は求めてきている。だから、呼び覚ますように後腐れなく言い切った。



「分かった……言う。愛してる」


「誰の事を?」


 ユーラは幼く精神を蝕まれながらも、賢く狡猾だった。

 煽るような言葉遣いで、巧みにゼントを誘導する。

 この場に及んで、最後の最後まで追い込んでいく。



「もちろんユーラをだ」


「……ふふ……嘘つき…………でも嬉しい……」



 ゼントに選択肢は無かった。尽くせる最大限の心を込めて、加えて蠱惑に絡め捕られた優しい声だ。

 ユーラはおよそ精神退行したとは思えない笑みを見せた。

 彼女は掠れた声で言葉を紡ぎきると、ゆっくりと目を閉じてすぐに深い眠りに就く。



 言葉の意味は、ゼント自身が一番よく分かっている。

 そしてそれは、石造りの建物すら容易に罅を入れられる言動であった。


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