第六十一話『神遺』
――時刻はもう昼過ぎだというのに、礼拝堂内部は灰色で薄暗く静まり返っていた。
ふと冷たい空気が頬を撫で、身を竦ませる。
いくら探しても見つからなかった化け物の手掛かりが、一人の聖職者の手によって語られようとしていた。
「おとぎ話の領域ですので、精々しがない年寄りの戯言と思って聞いてくだされ」
ゼントは前の発言に驚きつつも、静かに聞き入れた。
「ゼントさんは大陸に伝わる神話をご存じですか?」
呼びかけられた彼は首を横に振る。
「そうですか……ではかいつまんで説明させていただきます。我々が神祖と崇め、信仰する実在した神がいます。カヤルというのは、その神が遺したとされる五体の異形らを指します。彼らはどうやっても殺すことができず、世界の各地で無差別に破壊の限りを尽くすと言われています」
「じゃあその五体の内の一体がユーラを襲った赤い怪物だとでも?神が遺したのに、破壊の限りを尽くす?」
「そこだけはどうにも分からんのです。この話自体、私個人で古い書物を調べただけなもの故、実在するかどうかも怪しいものです。そもそも、不死身の怪物が五体も居れば、この世界はとっくの昔に滅んでいるでしょう?先程も言いましたが、あくまでおとぎ話の類としてお聞きください」
礼拝堂の中、語られる伝説は寒気を掻き立てる。
しわの寄る彼の顔にどこか確信めいたものがあったからだ。
「……話が逸れてしまいましたな。つまらない話を聞かせてしまい、申し訳ありません」
「いえ、十分興味深いお話でした」
ゼントは恭しく頭を下げた。
神官長の印象を覆す声に、慄いてしまったからだ。
今の話を聞いたところで納得はできまい。では遭遇した理由は単なる偶然だというのか。
しかし無差別に破壊を繰り返すのだとしたら、ユーラが生きているのが奇跡だ。
あれから姿を現さなくなった化け物の行動も謎に満ちていた。
そしてユーラがおかしくなったのは、明らかにあの化け物が原因だろう。
間違いなく常識を逸脱している。それこそ神の遺した御業とでもいうのか。
それとも、ただの未確認魔獣の可能性だって十分ある。
「それで、如何なさいますかな。推奨はできませんがユーラとお会いなさりますか?」
「もちろんです。彼女のためにここへ来たんですから……」
どこか遠い所を見つめる聖職者の問答に、
ゼントは信念の灯った眼差しで粛々と答えるのだった。
◇◆◇◆
――とある奥まった部屋の一室に案内された後、ご老体は振り返りゼントへ説明を始める。
「ここがユーラの個室です。お世話係の者に危害を加えようとしたり、何度も脱走を繰り返すので、申し訳ないと思ったのですが、左手に鎖を付けています」
神官長の後ろにある部屋は、個室と言うにはあまりに粗野過ぎる。
それよりも暗澹と空気は淀み、囚人を収監する独房というのがふさわしい。
そこに縛り付けるなど本意ではないと語るが、彼の判断は正しかった。
教会というのは本来、信仰者が外部から祈りを捧げに赴く場所。
対して修道者が居るのが修道院、だがここは二つの役割を兼ねている。
人がすくない上に、異なる実務が存在する故、ユーラだけに付きっ切りの人員は避けない。
「ゼントさんでしたらきっと大丈夫でしょうが、くれぐれもご注意を」
部屋に入る直前、振り返るとそこには慈悲深く優しい瞳で見守る彼を見た。
見た目通りで動かすのに力の必要な扉を開ける。
湿り気に満ちた部屋に入ると、中に居た者はすぐに反応を示した。
箱の中身はどこまでも無機質だった。
床も壁も天井さえも、切り出した石を組み合わせただけのもの。
これが心身喪失者の末路なのかと、憂苦で鼓動が早くなる。
少女は独り部屋の隅で嗚咽の声を上げていた。すぐ隣に置いてある食事には一切手を付けず。
ベッドの上で仰向けに倒れ、世界を否定するように目を両手で覆っている。
しかし、扉の動く音に機敏に反応し、目にも留まらぬ速さで起き上がった。
「おにいちゃん!たすけにきてくれたんだね!」
ゼントの姿を見つけると、泣きじゃくる顔から急転、心の底からの笑顔を見せる。
薄暗い部屋に一輪と花。そしてどうやら彼女は何か勘違いを起こしているようだ。
何と声を掛けたらよいか、決めきれずにただ唖然としている。
「やっぱりあいつらはうそつきだったんだ。おにいちゃんはこないとかいってきたの。ずっといっしょだってやくそくしてくれたのに!」
一歩一歩ゆっくりと近づくと、気が動転しているのか、しわがれた声で喚き散らす。
なぜか言葉に幼さを感じる。呂律が回っていないからだろうか。
「ごめんなさい。なんどもぬけだそうとしたんだけど、いろんなひとにじゃまされてとじこめられ」
そして、目の前まで歩くと、ユーラの目線まで屈む。
なんとなくだが状況が呑み込めてきた。
「ユーラ、一回落ち着いてくれ……」
「おちついてなんかいられないよ!これをといて!はやくいっしょににげよう!」
宥めようとするも、彼女は既に興奮しきっていた。
ベットの奥、ジャラジャラと鈍い金属音を立てる、左手首に繋がれた枷を指差して懇願する。
ゼントはようやく覚悟を決めて次の言葉を言い放った。
「――ごめんユーラ、俺はお前の傍にいてやれない」
「……え?」
一瞬で静まり返る小さな部屋、
どこまでも残酷な言葉だった。歯を食いしばり続ける。
「ユーラがいい子で居れば、また会いに来られるから。頼むから他の人のいう事を聞いてやってくれ」
「なにそれ?なんなのそれは?……え?いいからおにいちゃん、いっしょにいこう??」
狭い部屋に疑問の声が何度も反響する。
ユーラの笑顔は崩れかけ、困惑を極めたような顔をしていた。




