第六十話『類同』
「――あれ?」
素晴らしい夢を見ていたはずなのに、朝、ゼントは喪失感と共に目が覚める。
視界に入るは見慣れた天井。無理やり現実に引き戻されてしまったようだ。
まだ本当の彼女を見られていないというのに、
もう少しうまくやればよかったと後悔しても遅い。
窓の外から差し込む光は垂直に近い。
どうやら良い夢を見ていた分、長く眠りすぎてしまったようだ。
起き上がろうとすると、いつもより力が居ることに気が付く。
手をついても寝床が沈み込む。謎の軟化現象が起こっている事を忘れていた。
壁を使って何とか起き上がると、瞼を手で摩る。
そして両手を頭の上で伸びをして、大きな欠伸を一つ。
柔らかい寝床おかげか、目覚めだけはとてもいい。
ゼントは立ち上がり、斜め後ろに置かれている剣を手に持つ。
細く長く大きく、なのに軽い。気泡の無い氷の様に透き通ったそれ、
持ったところで中央に刻まれた模様は光らない。彼にはこの魔術具の適性が無いからだ。
どうせ使えないのなら持っていても仕方ない。
他の欲しがる人間に付け狙われるくらいなら、処分するべき、
サラにはそう言われたが、そんなことできるはずがなかった。
大剣はライラの唯一残った形見だった。亡骸は疎か、墓すら立てられてやれてない。
未知の遺跡の探索途中で死んだため、危険すぎて遺品の回収ができていなかった。
同行した他の冒険者も途中で全滅している。彼だけ現地の住人によって助け出されていた。
ゼントは何かを取り払うかのように首を振り、すぐに剣を置いた。
通り過ぎた過去を思い返しても辛いだけ。
とにかく、明日が今日になってしまった。
夢を見たことは何よりだが、心に染み入ることも余韻に浸ることもない。
現実ではないという事を認知してしまっていたからだろうか。
それよりも今後のことを考えなくてはならない。
ユーラの一件に、まだ心の整理がついていない。
目が覚めると、現実で抱える問題が重く圧し掛かって来る。
そうだ。ユーラを教会に預けて既に丸一日が経過している。
今日は彼女の様子を見に行こう。それがせめてもの償いになる。
予定を決めたゼントはすぐに行動を始めた。
今回は町の外を経由して教会へ向かった。理由は単純、町中では人の視線が痛いからだ。
幸いどちらの場所も西のはずれ。外を通る時は多少危険が伴うが、町中を通るよりはましだった。
かくしてゼントは教会へ向かう。不安感は自然と足を速くさせた。
誰にも会うことは無く、無事にたどり着く。
昨日と同じように、しかし人目を盗んで正面の門をくぐり抜けた。
庭園をも通り抜けて、重い扉を開けるとすぐ正面には祈りを捧げる礼拝堂。
一番奥には神祖を模した幼い少女の像が置かれ、像の同心円状に長椅子が配置されている。
その一つに見たことのある後ろ姿があった。
自らを神官長と称した好々爺、祈るような動作は無く考え事をしているようだ。
石造りの地面を少し大きめの足音を立てながら近づいた。
「ゼントさん、ユーラに会いに来てくれたのですよね?お待ちしておりました、と言いたいところなのですが……」
後ろを振り返りもせず、座った状態で彼はつぶやいた。
思いがけない声かけに、驚いて腰が抜けそうになる。
立ち上がり今度は振り返ってようやく会話の体勢に入った。
そしてゼントは神官長の顔に不意を突かれて驚愕する。
目の下には隈が出来て、全体がやつれていた。
診療所に居た時のフォモスらと同じような顔、一瞬で何があったのか察してしまう。
「せっかく来ていただいたのに申し訳ないのですが、今は彼女に会わない方がよろしいかと。まだ精神が落ち着いていないようで……」
「何があったのか聞いても……?」
分かり切った質問だが、聞かずにはいられない。
万が一という可能性もある。
「それが我々にもよく分からないのです。目が覚めた瞬間から泣き喚き、いもしない“兄”を叫び呼ぶばかり。宥めようとするも暴れてしまって、食事を運ばせても食べてくれないどころか、外へと逃げ出そうとする始末。今は何とか落ち着いてくれていますが予断を許さない状況です」
大きなため息を吐くと、肩を落とし俯く。
内容はほとんど予想通りで、ゼントが危惧したものだったが思っていたよりも深刻だった。
「ほんの前までは、いつもの元気な様子だったのですが、我々との思い出も無くし、あそこまで変わり果ててしまうとは……詮索はご法度と承知の上で、もしよろしければ何があったかをお聞かせ願えませんか?」
どこまでも申し訳なさそうに、こちらに語り掛けた。
「正体不明の赤い化け物に襲われたんです。そいつがユーラの頭を覆うように憑りついて、それで……」
「そいつはどんな様子でしたか?」
簡潔に説明するとご老体は首を上げて分かりやすく興味を示す。
優しそうな眼差しが一転、凶器のように鈍く尖ったものに変わった。
「突然天井から現れて、腕の形でぶら下がっていました。多分体の形を自由に変えられます」
そうゼントが言うと目を閉じ、天を仰ぐようにしばらく考え込んだ後、
静寂を含んだ堂内にも響かないくらい、ひっそりと答えた。
「正体が分からないという事でしたら、もしかしたらその化け物というのは“カヤル”かもしれませんね」




