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第五十八話『夢望』

 



 ――ゼントは町の視線を物陰で忍びながら、自らの住処へと戻る。


 南西のはずれにあるこの家の立地は、相変わらず一人で心を休めるにはおあつらえ向きだった。

 日没後ともなれば、あるがままの音しかなく、人の喧騒を忘れられる。



 いつも通りの場所……のはずだった。

 何事もなく、たどり着いたと安堵し、

 部屋の隅に敷いた寝床の上に腰掛けると、ある違和感に気が付く。


「――あれ?ここってこんなに柔らかかったか……?」


 思わず声を出してしまいそうなほどに、絶対的な差があった。


 ゼントの寝床は、地面よりも一段高い。壁面と一体化した長方形の椅子の上だった。

 石で出来ているので、そのまま使うには少し硬く冷たい。

 椅子の上に部屋に散乱する木の板を敷いて、更に気休めにと布を被せて出来上がった物だ。


 だからこんなにも柔らかいはずがなかった。

 布を捲り、下に敷いたはずの木板を確認するも、特に変わったものは見られない。

 だからこそ、今の布の上からの感触は何だったのか。余計に謎が深まってしまった。



 ふと、木板に触れてみると、驚くことが起こった。

 指で軽く押すと沈み込む。木が腐っているわけでは無い。

 よく見ると下の石土台の部分まで、弾力性のあるものになっている。


 崩れることのないそれは、とても形容しがたい感触だった。

 強いて例えるなら柔らかい肉のようで、嫌でも薄気味悪く感じてしまう。

 今まで寝ていた場所が柔軟になっただけと言えばそれまでなのだが、


 床やその他の壁を確認してみるも、いつも通りの硬いまま。

 どうして寝床の周りだけこうなったのか考えたところで、原因が分かるはずがない。

 ただでさえ精神的に疲弊しているのに、これ以上心労を溜めるわけにもいかず、考えるのは後にした。


 どうしたものか。

 流石に不気味なので寝る場所を変えようかと思ったが、試しに横になってみると案外寝具としては使えそうだった。

 危険があるわけでもなく、寝床を移動させるのも億劫なので、とりあえず一晩だけはそこで寝てみることにした。


 全身の体重をかけると、ゆっくりと体を包み込むように沈んだ。

 弱い反発しか返ってこず、まるで浮遊するかのような感覚。

 今まで味わったことのない寝床に、驚き目を見開いた。



 それでも、夜一人で居るとやはり不安が募る。

 彼も分かってはいる。考えても仕方がないと、


 フォモスにもサラにも、あれだけ言葉を尽くされたのに、ゼントはまだ苦悩を抱え込んでいた。

 理由も分かっている。ユーラの処遇の最善が、教会へ預けることではないと思ったからだ。

 しかしゼントは一人の時間を欲している。亡き恋人を想うために……

 葛藤に苛まれ、罪悪感に押しつぶされてしまいそうだった。



 ともかく、最近は立て続けに色々な事が起こりすぎている。

 全部あの黒髪の少女が現れてからだ。

 彼のやりたかった事も、後回しになってできなくなってしまった。


 今日は色々ありすぎて疲れていた。考えたところで無意味な思考なのかも知れない。

 ならばもう寝てしまおう。明日からの事は明日考えればよい。

 少しだけでいいから、現実を忘れてしまいたい……


 ゼントは深い眠りに就いた。



 ◇◆◇◆




「――ねえ、君!そこのあなた!」



 聞き覚えのある声に起こされ、気が付くと自分はテーブルに向かって座っていた。

 視線を動かし周囲を見ると、見慣れたはずの光景がある。冒険者が集まっている大広間だ。

 いつの間に協会へ来ていたのだろうか。でもなんだが所々がふわふわしているし、妙な感じがする。



「ねえ?聞いてるの!?顔くらい向けてよ!」


 溌溂としながらも少ししょんぼりした声が聞こえ、その方向へ首を向けると、

 ……あまりの不意打ちに座っていた椅子が倒れ、転げ落ちてしまった。



「だ、大丈夫!?突然話しかけてごめんね。聞きたいことがあっただけなの……っ!!」


 不格好に尻もちをついて、頭を押さえながら起き上がろうとすると、彼女が手を差し伸べて来た。

 よく声を聞けば、誰だかすぐに分かる。逆に何故、今の今まで分からなかったのだろうか。忘れていた自分が恐ろしい。


 ああ、そうだ。紛れもない愛しの婚約者だった。

 でも彼女はもうこの世に居ないはず。

 訳が分からず周囲をもう一度見返すとようやく理解できた。



「……そうか。これは夢か」


 明晰夢というやつだろうか。見るのは初めてだった。

 夢でもなければこんなに落ち着けているはずがない。

 もっと無様に取り乱しているはずだ。



「――夢なんかじゃないわよ!!」


 ずっと手を差し伸べ続けていた彼女が不意に大声を出した。

 周囲に居た他の冒険者が二人のこちらを見て来る。

 やけに現実的で、嫌な感覚のある夢だ。


 差し伸べられた手を取り、椅子を戻し、座り直した。



「悪い悪い。ちょっとびっくりしちゃったんだよ」


 取り繕って、違和感を感じさせないようにいつも通りを再現した。

 しかし、彼女は思ってもみなかった言葉を返す。



「?なんか初対面なのに随分と馴れ馴れしいね?」


「……え?」


 唖然としつつも。初対面という言葉を聞いて思い出した。

 そうだ。これはたぶん初めて会った時の記憶を基にした夢だ。

 はっきりと覚えているわけじゃないけど、たしかこんな感じだったはず。


 よく見たらいつも受付カウンターに居るはずのセイラが見えないし、内装も以前のものになっている。

 さらに言えば、俺がいつも着ている黒の服も無い。



 つまり、ここは……過去の夢の世界……

 ちょうどいい。しばらくライラとの世界に浸らせてもらおう。


 ゼントの顔から笑みがこぼれた。


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