第五十七話『無覚』
サラのという人間の行動原理は説明しようがない。
なぜなら、彼女の持つ欲はどこまでも無自覚だからだ。
自分の起こしている行動が何を意味しているのか、
何故特定の人間の前でいつも通りに振る舞えないのか。
欲望に忠実な割には、意欲の根源をサラ自身が知ることは無い。
幼い頃から、深く思考を巡らせるという事をせずに育った。
自らの境遇や世の中の事、全てを無条件に受け入れ、幸か不幸か無垢といえる。
彼女の素顔をよく知る者が居るとすれば、見た目に反して幼い人格の印象を持つだろう。
肉体年齢は成熟しているはずなのに、知力や精神が追い付いていなかった。
故に落ち着き払ってはいるが、思慮深い行動はあまり無い。
代わりに、サラには唯一無二と言っていい特技があった。
それは小さい頃から無意識に鍛えられた、優れた観察眼による読心術だ。
何気ない仕草、呼吸の乱れ、視線や表情筋、何を考えているのかはおおよそ理解できる。
分かりやすい人間相手なら百発百中で嘘も見抜けた。
世の理は受け入れ、しかし人間の心の機敏というものに興味が湧いていた。
他人の考えを的中させたときの相手の顔、その滑稽さがサラを魅了する。
自分に向けては決して抱かない探求心を、他人に対してだけ発揮した。
言動で揺さぶった相手をよく観察し、人間の行動原理を理解する。
考えることが得意ではない彼女は、理屈立てて考えることはせず、ほとんどを感覚に頼っていた。
その経験を踏まえて、ゼントと初めて会った時からサラの遊び相手だった。
彼の心は分かりやす過ぎる。少しでもはったりを利かせればすぐに仕草に表れた。
そして思考を言い当てた時のあっけらかんとした表情。何度思い返しても笑いが零れる。
ゼントと会話をしている時、ふと違和感に気が付いた。彼の視線の動きが覚束ない事に、
どこを見ているのかすぐに分かった。男が女性を見る目だ。
父が母やその他の女性に向けての視線は見たことがあったが、自身に向けられるのは初めてだった。
その時、初めて自分の女性としての体も、揺さぶりに利用できることに気が付く。
自己に対しての興味が無かった彼女は、受動的に観察することから能動的に行動を起こすようになる。
服の露出を増やしていくたびに、彼の心が乱れるのが手に取るように分かり、それもまた滑稽だった。
ある日、サラは嘘を見抜いた。依頼で足に怪我を負い、しかし平然と装い隠していたのだ。
放置しておくと化膿や感染症で歩けなくなると教え、それからゼントは彼女に少なくない信頼を寄せるようになった。
初めはおもちゃとしか見てなかったサラも、少しずつだがゼントの事が気になり始めた。
でもこれが恋愛感情なのか、それともただの新たな興味なのか、分からなかった。
顔も悪いわけでは無いし、何より彼といると退屈を忘れられる。
あふれ出る感情に、人生で初めて気持ちの整理をしてみた。
それでも曖昧な理解しか得られず、苦悩していたある時、
突然現れた協会の新星に彼を盗られてしまった。
“私の方がずっと前から気にかけて、唾を付けていたのに!”
玩具を取り上げられた子どものように激怒した。今更になって競争心が芽生えたのだろうか。
あの女にどう丸め込まれたかは知らないが、女性としての魅力ならば私も劣らないと意気込み、ゼントに迫った。
しかし、何の前触れもなく彼は変わってしまった。どういうわけか、サラに対して一切靡かない。
それどころか、分かりやすかった心も全く読めなくなっていた。視線も呼吸も一糸乱れぬ機械のようだ。
遠目から見る限り、以前より感情が出やすくなっているのは間違いない。なのに、自分の前だと反応が薄い。
しかしながら諦めることなどできない。
彼女は研究した。どうすれば男性を口説けるのか。
何度も試して積極的に話しかけていると、あの女に裏で警告された。
“これ以上私の「婚約者」に近づくなら、容赦はしない”と、
二人が出会ってまだ間もないのに、そこまで関係が進んでいるのかと、自身の勇気の無さを嘆いた。
◇◆◇◆
「――ふふふっ、やっぱりゼントは連れ立つ人を求めてるっ」
何故ずっと一人で居られるのか。
依存か執着か、あるいは純粋な想いの強さ故なのか。
だとしても常人であれば気が狂いそうだ。
恋人に先立たれ、口ではずっと強がっていたけど、やっぱり孤独で人肌恋しいはずだ。
あの女が死んでくれて、本当に救われた。心の底から感謝しよう。
今まで動揺させようとしても効果が無かったのに、また心が読めるようになっているのもそのせいだろう。
誘った時の満更でもない表情を見ればすぐに分かった。
多少強引だったけど、偶然を装えたと思う。
彼にしてみれば気丈に振舞っているつもりでも、意味が無い。
強く拒絶されたらどうしようかと思ったけど、これなら問題なくいける。
竜を襲わせる計画を思い至った時は、自分が天才に思えたけど、結局失敗した。
よくよく考えたら、彼の心が動く保証はなく、私が犯人と分かってしまう可能性も十分あった。
あの三人組の事は平気だろうけど、これからはもっと慎重にいこう。
一つ気になることがあるとすれば、何故今になってあの後輩の事が気になったのか。
ここ数年、元恋人以外の人間に興味を示さなかったというのに、
他人に対して感情を露わにして気に掛けるというのは、通常であれば考えられない。
半年たって、ようやく気持ちが離れ始めたのか。
でも未だに使えない剣を手放さない様子、あるいは……




