第五十四話『良知』
――そのままゼントたちは一室へと案内される。
教会内部は小さいながらも、宗教施設というだけあって聖堂があった。
全体一言で表現するなら質素だ。厳かという雰囲気はあるが強くは感じられない。
華やかな外の庭園とは対照的に空気は重いが、不思議と落ち着ける。
ゼントが居る大陸にはいくつかの宗教が存在する。
中でも最も信者が多いのが、ミルレニアという原初の神祖を信仰するこの教会。
大陸北東部に総本山となる宗教国家があり、世界各地に教会を設置し布教活動を行っている。
とはいっても信者数はそこまで多くない。
日々の生活に苦労する者が大半で、そもそも人間には神を信仰する余裕が無いからだ。
ある意味精神力がたくましいと言えるが、とにかく様々な事情があり活動自体も活発ではない。
「――温かい飲み物でもお持ちしましょうか?」
「いえ……お気持ちだけで結構です」
ユーラを部屋にあったベッドに寝かせると、先程の優しそうな聖職者が話しかけて来る。
長居する気はないのでやんわりと断った。
実は彼は神官長という役職で、所謂教会で一番偉い人だ。
別室に移動し、今のユーラの状況を、机を挟んで詳しく説明した。
右腕の骨折や喉の状態、
人に対して極度に怯える事など、
彼は慣れているのか目を瞑り、ただただ黙って聞いていた。
「……分かりました……世話係の者には間違いなく伝えておきます」
それだけを言って、深く息を吐いた。
気をつかっているのか、あまり詳しい事情は聞いてこない。
だが物悲しい様子は、表情からひしひしと伝わってくる。
「じゃあそろそろ、行きましょうか。ユーラが目覚めてしまう前に」
「そうですか。ゼントさん。ここへはいつでも顔を出していいですからね。たまにでも彼女と話をしてあげてください」
フォモスに促され、五人は退席しようとした。
部屋から出る際に、名も知らぬ神官長からは言葉を掛けられる。
しかしゼントには、より深く罪悪感が刻みつけられるだけだ。
どうにかして彼女を救える道があったのではないかと、どうしても思索してしまう。
その場では黙って頷いたが、優しさが時に凶器ともなりえることを、彼は改めて認識するのだった。
教会を後にした帰り道、カイロスは急いで冒険者協会に戻る。
ゼントが見たという怪物の件や、竜騒動もまだ片付いていない。
支部長として、町の安全を守らなくてはならなかった。
フォモスたち二人は、町の外から呼んだ医者と共に話し込んでいる。
どうやら医者の側が、患者を治していないのに報酬はもらえないと揉めているようだ。
彼の仕事への誠実さは感じることができる。
一方できることが無いゼントは、自分の住処へ戻ることしかすることがない。
だが何もない家に一人で居ると、ユーラを怪物から守れなかったという罪悪感に押し潰されてしまいそうだった。
だから市場へ買い出しに行った。
食料はまだかなりの余裕があるが、これくらいしかやることが無い。
あるいは冒険者の依頼でも受けるのか……
いや、それは彼の中の選択肢にない。
市場は町の大広間に展開されているが、人の目を気にする彼は路地を少し入った暗い店へ赴く。
今まで顔を覗かせたことが無い場所だが、見たことも無い様々な商品が売られている。
店主たちは滅多に来ない客を歓迎し、朗らかに商いを営む。
たまには新しい刺激も悪くないと思うゼントだった。
ふと通路の奥に見知った赤髪を一瞬見たが、今は誰とも話す気になれない。
見て見ぬふりで踵を返そうとする、今は話しかけられないはずだと。
しかし、予想とは裏腹に向こうから声を掛けられた。
「ゼント、最近の調子はどう?あれから怪我とかしてない?」
後ろからいつも通りの妖艶な声色で言う。
仕方なく振り返ると、そこにはおよそ子供の教育上よろしくない格好をしたサラが居た。
ゼントもやはり年相応の男だ。豊満なものに視線が第一に向くのも仕方ない。
どちらかと言うと、あけっぴろげにしているサラの方が悪い。
「どうもなにも、別に調子はいつも通り……と言える。怪我するような事もしてない」
首の後ろを居心地の悪そうに掻きながら言葉を返す。
胸部を見たことを隠すように、なるべく平常を装ったがサラには筒抜けだった。
暗い路地の壁にもたれかけ、脚を交差する姿は万人の心を揺さぶる。
ゼントへ向かって妖しい笑みを数舜浮かべると、首を傾げ心配するように聞いてきた。
終始恍惚とした表情を見せるのは彼にだけだ
「そんな事言って、浮かない顔をしているという事は悩みとかあるんでしょ?色々聞いたわよ……協会での事とか、新種の魔獣を目撃した件とか……」
出会った頃からずっとそうだった。
上手く隠し通していたとしても、本心や嘘を見抜かれる。
そしてサラを一言で表すのなら包容力の塊だ。
自ら町の評判を貶めた輩に、わざわざ声を掛けてくるというのだから。
ゼントの持つ不安や泣き言をぶつけたのなら、喜んで受け入れてくれるだろう。
その親身な態度に、欲に負け、寄りかかってしまいたい衝動がゼントの中にあった。
ユーラに対する不安や、彼女にどう贖罪したらいいかなど罪の意識。
精神的に辛い時に甘い声を掛けられ、押し込めていた疲労が後を絶たずに押し寄せて来た。
目の前に突然現れた人間に縋りたくもなるだろう。
泣きつきたかったが、ゼントの僅かに残っていた矜持に拒まれてできなかった。
彼女ならば、昔の弱い自分を知っている。弱みを見せても咎められはしない。
それでも、弱さに根負けする自分が許せずにできなかった。
久方ぶりに触れたやさしさに思わず目から涙が零れそうになるも、必死に手を握りしめ抑え込んだ。
でも、強かなサラはそれを見逃さなかった。
「――ねえ、もしよければ今から私の部屋に来ない?」
囁くような声で彼女はそう言った。
枷を持つ男が、再び一匹の蝶に絡め取られようとしていた。




