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第四十四話『軋音』

 



「――何を言ってるの?ここがゼントと私の家でしょ?」



 そのユーラの声は、静かな部屋によく反響する。

 残響が反芻するように耳に入ってきて、言葉は理解できた。

 だが何を言い表しているのかは一切と分からない。



「えっ……?何を、何を言ってるんだ……?」


 そう質問し直すのが精いっぱいだった。


「え??」


 彼女は同じ言葉を繰り返して、より疑問を含んだ振る舞いを返された。

 手に持っていた食事を膝の上に置き、訝しげに見つめてくる。



「一緒に居たいから、頑張ってこの家を買ったんだよ?あ、ゼントは何もしなくていいの。お金も食事とかも気にしないで!ただそこにずっといてくれればいいんだよ?私たちなら当然の事でしょ?何かあればすぐ言ってね」



 目まぐるしくユーラの口から吐き出される情報。

 頭の中に入る前に、意識が受け取ることを拒否してくる。



「食事の前にいくつか聞かせてくれ…」


「うん、何?何でも答えるよ」


 彼女は明るく何かを期待するような声で答えた。

 空元気な言動に、以前より幼い印象を無理やりに感じられる。



「……俺の服はどこへやった?」


「私が預かってるよ。あの服じゃ疲れが取れないと思って……記念の品だもんね。ちゃんと綺麗にしておいたよ」



「……この縄はなんだ?なぜ俺は縛られてるんだ?」


「え?そんなの決まってるじゃん。ゼントの安全を保つためだよ」



「安全を保つってなんだ?解いてくれないか?」


「ここじゃないと、ゼントはゼントじゃなくなっちゃう。だからここに居るのが安全なんだよ?外に出ることがないんだったら、解く必要もないでしょ?」



 ……不和のように意思疎通が取れない。

 この状況で縄を解かない理由が分からなかった。

 説明を求めるも、曖昧な回答しか得られない。


 話している相手があのユーラなのか、本当に怪しく感じる。

 気でも狂った誘拐犯と話しているかのよう。

 別の誰かが彼女を操っていると言われた方がまだ納得できそうなほど。



「俺はこんなこと望んでない。そろそろいい加減にしろ。本来であれば許されない行為だぞ」


 ゼントは考えていた。

 どうやれば訳の分からないこの状況を解決できるのか。


 どうすればユーラを、前と同じように戻してやれるのか。

 そもそも、何故不可解な言動をするのか、何も分からない。


 これ以上弱腰に話しかけても意味が無いと思って、強い口調で脅してみた。



「一体何の不満があるの?あるならすぐに言ってよ!」


 だが彼女は、臆する事無く彼を留めようとする。



「ここは、とにかく嫌だ。あそこに俺は……戻りたい。あの剣が無いと……」


「分かった。あの家にあった水色の透き通った剣の事でしょ?すぐに取って来るね。他には?具体的に何してほしいの?」



「だったら、俺を自由にしてくれ」


「ゼントが何処かへ行っちゃうから、いやだ」



 子どもが駄々を捏ねるように、ユーラは矛盾をはらんだセリフを吐く。

 不満を言えと願われたのに、言ったなら理由もなく拒否される。


 口調を少し強めただけでは通用しないようだ。

 ならば、と彼は心を鬼にして、最大限に声を張った。

 彼の性には合わないが、緊急事態なので致し方ない。



「いいから!!縄を外せって言ってるんだよ!!俺がお前に何かしたか??なんで、こんな目に遭わなきゃいけないんだよ!!?」



 相手視点からは、突然癇癪を起こしたように見えただろう。

 しかし、彼の怒りはもっともで、言葉も正論過ぎた。


 すると、ユーラは椅子に座ったまま、愕然とした表情をした。

 目の瞳孔は開ききり視点が定まり続けている。

 口はぽっかりと開いたまま、



 ――瞳からは、液体が流れていた。


 流したのが“涙”だと理解するのに、そう時間はかからなかった。



「何で……?」


 一言だけ呟き、口元に両手を当てて、


「私の事嫌いなの……?」


 ただそう質問してきた。



「そんなことは言ってない!縄を解けと言ってるんだ」


 やや威勢を弱めてしまった。

 涙を見せる少女相手に、非道な言葉を浴びせられるほど彼の芯は強くなかった。



「なら良かった!嫌いになったのかと思ったよ」


 涙を拭うと再び気さくに笑い、幼い子どものように明るい口調で話しかけるユーラ。

 どうやら都合の悪い言葉には、意識も向けず返事を返してくれないようだ。

 その様子を見て、ゼントは作戦が失敗したことを悟った。



「もしかして私が冒険者として弱いから、使えないから、そんな態度を取るの?……分かってる…私とゼントとだと、実力差があるって……、でも私頑張ってあなたに追いつくから、辛くても付いて行くから、ね?」


 独り言のように、自分に言い聞かせるように、静かにそう言う。

 まだ涙が灯った声で、見覚えのある卑屈な態度だった。




「ねえ?いつもの言葉を私にちょうだい?それで私は安心することができるから」


 続けて、ユーラは一人しゃべり続ける。


 一方ゼントは放心状態だった。

 彼女とはもう真面な対話ができる状態ではないと感じ、諦めかけていた。

 言葉はまだかろうじて読み取れるが、距離を置いた方が良いと思わざるを得ない。


 ――いつもの言葉?何のことだろうか。

 彼女に、いつものように発しているものなんかない。

 あるとすれば受け取った料理への感謝の言葉?



 そして、次の言葉はゼントの予想をはるかに超えたものだった。

 ユーラは膝の上に置いていた料理をベッドの淵に置くと、身を乗り出して食い入るように相手の目を見続けた。



「――愛してるって、私に言って?」



 言葉を強調させて、無慈悲なほどの冷たさがある。

 その瞬間、ゼントの瞳孔は開ききり、頭の中は空っぽになった。



 心は軋み、表面にひびが入る。

 信念を折り曲げられたと感じてしまったから。

 だが、軋んだのは心だけではない。


 彼らの建物全体が、小さく音を立てて軋んだ。

 比喩などという生易しいものではない。

 二人とも気が付かなかったが、明らかで確実なものだった。


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