第四十三話『胡乱』
――何度目かも分からない夜明け、
深い眠りによる浮き立つ目覚め、
早朝の冷涼で爽やかな空気、
周囲の自然から放たれる心地よいさざめき、
そのどれもが――今朝には無かった。
目を開けてまず初めに見えた景色は、薄灰色な石ではなく。
明るい色の木材で出来た、ありふれた天井。
起き上がり周囲を確認してみる。
そこは尋常とは思えない空間だった。
壁も床も、天井と同じ木材が使われている。
部屋は人一人が生活しても、のびのび暮らせるほどの大きさがあった。
音というものが、何も聞こえない。静謐すぎる不気味さ。
窓もたくさんあり、採光は十分。
だが、外の景色は見えず空だけを映している。
見渡せる不思議な光景が、得も言われぬ恐怖を感じさせた。
脚の脇に置いた手が違和感を察知する。
どうやら、白く柔らかなベッドの上で朝を迎えたようだ。
木を枠組みにした値が張りそうな代物で、今まで自分が使っていた簡素な寝床とは大違い。
そして、初めに感じた普通とは思えない要素、
部屋には一切の生活感が無いのだ。
家具は一つもなく、己が寝ていた高級そうなベッドが、壁を背にして部屋の真ん中に置かれているだけ。
扉も一つしかなく、殺風景としか言えない光景が目の前に広がっていた。
起き上がる時に感じた違和感が三つ。
一つ目は着ている服が変わっていたこと、
自身の象徴でもある黒の装いから、彩度の低いゆったりした寝巻へと変化している。
いつ着替えたのだろうか、元々来ていた服はどこへ行ったのだろうか。
疑問は次から次へと湧いてきた。
二つ目は、左手首に布で出来たブレスレットが付けられていること。
上部に五つの金属で出来た鈴が取り付けられている。
手を振ると、じゃらじゃらと鈍いが部屋の中に空しく響いた。
そして問題なのが三つ目。
両手首が……麻縄で縛られていることだ。
それぞれの手が独自に繋がれて、しかしかなり可動範囲は広い。
服の上から縛られているので、ささくれが痛むことは無いが……
縄の先は、床板の隙間から下へと消えていて簡単には外せそうもない。
完全に拘束する気はないみたいだが、であれば縛る理由が分からない。
謎しかない現状だが、今得られる情報はこれくらい。
何故こんなことになっているのかは分からない。
最後の記憶を掘り起こす限り、ユーラの仕業だろうか?
疲れが取れ切っていない中で、足りない頭へと意識を注ぐ。
その時だった。
「――おはよう!よく眠れた?今日もいい朝だね!」
たった今想像していた人物が、横から天真爛漫な声を上げた。
いつの間に部屋に入ってきたのだろうか。
部屋唯一の扉がある方向に目を遣ると、
傍らに、無垢な笑顔を浮かべたユーラが居る。
前と同じ緑を基調とした機能性な服を纏っていた。
声色、立ち振る舞い、そして表情、
彼女のその姿には優しみしかなかった。
見る人が見れば、女神と崇めるかもしれない。
不思議と、瞳からは毒々しさが抜け落ちていた。
一切の邪気は感じられず、強かな眼差しが突き刺さる。
だからと言って、いつもの彼女のものでもない。
輝き過ぎているのだ。
力強く、目を細めてしまうほどの眩耀がユーラの瞳にはあった。
だというのに、くすんでいる。
歪に、支えも無く揺蕩うように白濁していた。
最後の記憶とは真逆の姿、
だが平常を通り越して、やはり異常へと突出してしまっている。
「ユーラ………どうして?」
重ならない面影に、自身の不可解な境遇に、
ゼントはその名前を、疑問を潜ませて呼ぶことしかできなかった。
「あ、そうだ!忘れてた。一緒に朝ご飯たべなきゃだね…!」
ゼントの声には反応を返さず、独り言のように言葉を紡いでいる。
「ユーラ………!」
「急いで持ってくるから、何かあれば鈴を鳴らしてね!」
もう一度声を掛けるも彼女には無視される。
彼女は一方的に言い放ち、軽やかな足取りで扉の奥へと消えていった。
木の床を駆け、軋む音が壁伝いに聞こえる。
追いかけたいのはやまやまだが、縛られている状態では不可能。
ゼントは左手首に取り付けられた鈴に目を向ける。
何かあれば鈴を……
先程、試しに鈴を鳴らしていた。ひいてはユーラが顔を見せた原因はそれだろうか。
それと声を掛けたにも拘らず、言葉を返してはくれなかった。
聞こえてないというわけでもあるまいに。
ともかく、今は彼女からの説明を待つことしかできない。
このような状況ではあったが、慌てふためいた昨日とは対照的に、ゼントは不思議と落ち着いていた。
探していたユーラの安否を確認できたこと。
彼女がこの状況に関わっていること。
何か危害が加えられそうにないこと。
何より、失うものが全く無いこと。
考える時間は与えられず、扉から出て行った者はすぐに戻ってきた。
扉を開けて見えるのは、小さい椅子と料理のトレイを器用に合わせ持つユーラ。
そそくさとベッドに近づき、すぐ横に椅子を置いて座った。
料理の入った皿を手に持ちながら爛々とした目で見つめている。
「いただきます!じゃあゼントには私が食べさせてあげるね」
まるで行為がいつも通りであるかのように、
スプーンを手に取り、料理を掬って口元に近づけた。
「待て、待って。まずはこの状況を説明するべきだろ!?なんで俺はここに居るんだ?」
「…?何を言ってるの?ここがゼントと私の家でしょ?」
――そこには、崩れない笑顔を保ったまま、唖然とする少女の姿があった。
壊れた機械のように、固定した思考を携えて……




