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第三十七話『願望』

 



 ――彼の家を出てから数歩、正面に向かって歩き、足取り軽く振り返った。

 日はもう沈みかけ、やがて女性が一人で出歩くには感心しない時間帯へと移り変わる。

 だが、ゆっくりと重い足取りを正すには、気力が持ちそうもない。




「――はぁ……」


 赤い日差しに照らされて、セイラは短くため息をついて俯く。



「……お世辞にも首尾が良いとは言えないわね……」



 口から零れ出る言葉は、彼女の企てを象徴していた。

 実は彼女も、ゼントを想い求める女性の一人だった。


 他の者らと唯一違いがあるとすれば、求める理由だった。

 歪んではいるが、狂気じみたものではない。



 一言でセイラの行動指針を述べ表すのならば、


 ――“所有欲”……だった。





 かつての彼女は言ってしまえば、いい所のお嬢様。

 帝国領辺境貴族の、更に分家の分家という肩書ではあるが、少なからず裕福な暮らしをしていた。


 幼い頃から美貌というものを兼ね備えていて、

 可愛らしいわけでもなく、愛想が良いわけではなく。

 しかし大人びた雰囲気と、誰も寄せ付けない高貴さがあったのだ。



 両親からも周りからも、もてはやされて幼少期を過ごす。

 十代後半には美貌もさらに確固足るものとなり、男性からの人気が高くなった。

 我儘を言っても許される境遇が出来上がる。

 ほしい物を口に出せば買ってきてくれて、命令すれば男共は当たり前のように従う。

 皆ご機嫌取りに必死だった。


 何に対しても声を上げていたというわけではないが、昔の経験が彼女の性格を少々我儘なものへと変質させる。

 玉に瑕とは、まさにこのこと。



 でも、ある時気が付いた。

 周りにいた子どもは、両親に何回も強請ってほしいものを手に入れている。

 言っても受け流されてしまう場合もあるようだ。

 その光景を見て、突然閃いたかのように一つの考えが頭に入ってきた。


 欲しいものが手に入るなんて、命令が思い通りだなんて――

 ――なんてつまらない事なんだろうと。


 特にワガママになった頃のセイラは、日々の生活に退屈を感じていた。

 原因が分かって、生まれて初めて覚めた目で世界を見た気がしている。



 それから少女は、我儘を止めた。与えられるだけの人生なんて、面白くないはずだ。

 しかし、あえて自ら苦労し、望みを叶える方法なんて、どうすればいいのか思い付かない。

 忽然と意志を伝えなくなった彼女は、周りから心配されていた。


 思い通りにならず、愛想がいいとは言えない彼女は次第に男から飽きられて離れて行く。

 むしろ離れて行ってくれて清々した。人生がつまらなくなっている原因が消えてくれて、



 容姿だけはいい自分の子供を、両親は何とか他の上層貴族と政略結婚させようとしていた。

 辺境貴族の分家で、地位を上げたいという気持ちは理解できる。

 だが、本人にとっては自分の意志で婚約相手を決められないなど、退屈でしかなかった。


 思えば、自分の身の回りにあるものは、実質的に自分の力で手に入れたものではない。

 衣食住も全て両親に与えられている、仮初の自分の物。

 はたしてそれは、所有物と言えるのか?




 思い通りにしかならない自らの境遇と、両親との結婚関係で揉めたことが重なり、彼女は家を飛び出した。

 どうせこの先結婚したとしても、自分の生活が変わることは永遠に無いのだろう。

 いい機会だから自分一人で生きていこうと決意した。



 当たり前だが、現実はそう甘くない。

 彼女はすぐに途方に暮れることになる。


 家の中だけで生活の全てが完結していた。そんな世間知らずなお嬢様が一人。

 人間のひしめき合う街で、魔獣が蔓延る外で、生きていくことなど簡単ではない。


 家から出るときにこっそり持ってきたお金もすぐに底を突く。

 自分の力だけで生きていくことは、こんなにも大変なのかと落胆した。



 戻って大人しく、退屈な生活を受け入れるのか。

 悩んで熟考した挙句、今の生活で頑張ってみることにした。


 自分の所有物が一つもないなんて、こんなに悲しいことがあってたまるかと考え至る。

 でも現実は非情で、彼女が家から持ってきたという金すらも彼女の物ではない。


 夜は建物の軒下で座りながら過ごし耐え忍ぶ。

 金が底を突き、喰うものに困って、店頭にある果物を何回か盗んだこともあった。

 初めて自分の力で手に入れる初めての物。

 無論、強く罪悪感は残ったが、それ以上に退屈な日々から追い求めていた高揚感を覚える。



 悪運強く、捕まることは無かったものの、盗みを続けることは無理だと感じていた。

 そんな時、運よく町から出る商人の荷台があった。

 何も考えずに楽観して隠れると、見事なまでに何もなく隣町までついてしまう。



 そしてこっそり荷台から抜け出せた彼女は、到着した町で運よく仕事募集の張り紙に出会う。今の仕事だ。

 採用条件は厳しかった。だが家に居た頃の経験から、文字の読み書きも書類作業も問題無くこなせるだろうと踏んでいた。


 話はとんとん拍子に進んで、受付嬢となったのが五年ほど前。

 これがセイラの生い立ち。




 幼い頃が影響して、セイラは人よりも物に対して執着があった。

 金銭面でも守銭奴ほどではないが、質素倹約を重ねている。


 長年仕事をして、お金を貯めて自分で手に入れる物が増えた。

 安定した生活を手に入れて、欲しい物があった時は、より集中して仕事に取り組む。


 充実した日々だった。

 だが何かが足りない。そんな気がしていた。

 欲しい物を手に入れた時の高揚感が薄れていってしまっていたのだ。



 やがてある時、物以外にも欲しいものが増えてしまう。



 それが――“彼”だった。



 仕事を始めた時は、彼も小さいながらも何度か助けてくれたことがある。

 最近の様子を見た限りだと、全く覚えていなさそうだったが。


 初めは何とも思ってなかった。

 でもそのうち、彼が近年腕を上げている優秀な冒険者と知って、

 心の内に秘めていた思いが零れ出した。



 あれほどすごい彼を自分の物にできたのなら、所有することができるのなら、

 己の欲望を満たすことができるのではないかと。


 でもある時から、彼とは一切話せなくなった。

 話しかけようと思ったこともあるが、いつもあの女に阻まれる。


 他人の所有物を奪ってまで手に入れることは趣味ではない。

 女が死んでからも彼は亡き恋人を思っているようで、どうしたらいいのか分からず手を付けられずにいたのだ。


 諦めて、仕事に没入することにしたが、今日彼の居る家を訪れて分かった。

 このままでは、彼は本当にだめになってしまう。


 荒れて何もない部屋、唯一あったものは見覚えのある氷のような大剣。

 それ以外、彼は全ての持ち物を捨てたらしい。

 今の私とは正反対の彼、だがそれすらも何故か惹かれる要素となる。


 周りにいる人間は誰も彼に手を指し述べようとしない。

 本当に彼の事を想っているのなら、無理にでも環境を変えるべきなのに、



 他人に対して、ここまでする人間はまず居ない。

 そうだ。認めてしまおう。

 私は彼に恋をしている。


 所有だとか何とか云っていたが、結局はきっかけに過ぎない。

 こんなに手に入れるのが難しいものは初めてだった。

 世の中のほとんどの物は手中に収められると思っていたのに、


 昔は自身の大人びた美貌を使って、人に融通を聞かせたことがあったが、

 それだけではうまくいかないことなど分かり切っている。


 自己の全てを使って、苦労して、欲しい物を手に入れる。

 なんて人生は面白く、素晴らしいことだろう。


 手に入れて満足していてはダメなのだ。

 手元で磨いて、使って、初めて価値を持てる。存在があると思える。

 背徳感などと言った興奮も、全てが濃縮していた。



 落ち込んでいる彼を見て、私が元気付けられればと何度考えた事か。

 でも、自分の臆病な行動力のせいで、できなかった。




 ――だからそうだ。今こそ実行しよう。


 まずは、彼を家に招いて、

 そして私が所有して、管理して、愛を注げば再び返り咲くことができるだろう。

 安易かも知れないが元に戻るとそう確信している。




 ――根底が間違っているとは夢にも思えず、セイラは想いながら協会の帰路へと就く。

 夕方以降、同じ日にセイラの姿を見た者はどこに居なかった。


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