第三十五話『目見』
――目が覚めると、空はもう橙色に染まり、夜の訪れを言明している。
ゼントは寝床の上で、時間の経過を後悔した。
ここのところは、昼夜が逆転した生活を送っている。
食事も、もう四日ほど摂っていない。
水だけで命を繋いでいた。
このような堕落にも程がある生活をしていようと、別に誰かが咎めるわけではない。
そう。誰も咎めてはくれない。
横になりながら正面の地べたに目を遣ると、ちょうど夕日で出来た影が人の頭の形に見えた。
影の居所を探り視線を回すと、照らされた銀色の髪が見えた。
彼女はこちらの意識の覚醒を認めると話しかけてくる。
「……控えめに見ても、良い状態とは言えないわね」
そう言って一呼吸つくが、機嫌の悪さが滲み出ている。
誰なのかはすぐに分かった。
外見の特徴と、凛とした固い性格の喋り、
少し前までは遠くから、よく聞いていた声だ。
気になるのは、いつもの紺の制服ではなく、普段着のような私腹を着ていること。
丸眼鏡と上唇毛が似合いそうな狐顔と、スカートと上の服が一体化した白く清楚な装い。
髪色との相乗効果で、気高くしなやかなセイラという人物像を現していた。
私服ではあるが、彼女の目的はおおよそ分かっている。
仕事で忙しそうな彼女がここに来るというのは、そういう事だ。
何故こうも自分の元には訪問者が多いのかも、痛いほどわかっている。
実力があり優秀な冒険者であると、誰しもが認識しているからだ。
強き者と繋がりを持ちたい人は山ほど居る。実際過去にも何回とあった。
抗いようのない虚偽であり、苦悶の原因だ。
ゼントの心の内を知らず、淡々と告げる。
「ねえ。前のあなたに戻ってきてくれない?もう見てられなくて……」
その言葉と雰囲気は、セイラらしくなかった。
「用件はなんなんだ」
重い体を起こし、体を相対させる。
思えば今までセイラとは、会話という会話をした事が無かった。
話したことが全くないと言えば嘘になるが、あまり彼女の事を知らない。
依頼の受注やその他手続は、全てあの人がやってくれていた。
今考えれば、できる限り女を遠ざけていたのだろう。
故に距離感がうまく掴めない。
だが、彼女の性格はなんとなく分かる。
事務仕事は的確、かつ正確で誰に対しても気の緩みを排している
気さくに話しかけていいものか、それとも向こう側の性格的にこちらも整然と対応すべきか。
悩んだ末に、冒険者としていつも通りに接することにした。
ぶっきらぼうに言うと、セイラはむすっと口を尖らせて、ここに来た目的を事務的に告げる。
「……分かりました。魔獣が最近増えているようで、討伐依頼が急増しています。竜がでた件もまだ片付いていません。この町は冒険者が少なく、対応に深刻な遅れが発生しています。つきましては、仕事に戻ってきてはもらえませんか?」
ひとつ前の発言からは、きりっとしたものに戻った。
彼女の発言に嘘はなく、表情からは厳しい状況が窺える。
だがゼントに対応ができないのは言うまでもない。
心苦しく思いながらも、断りの言葉を返した。
「悪いが俺には荷が重すぎる。あのライラを頼ってくれ。彼女なら……」
責任を他人に転嫁するように告げた。そうする他に選択権が無かった。
あの少女の実力があれば、ほぼ全ての依頼が楽勝だろうと確信している。
「姿を見てない」
単純に、彼女はそれだけを返した。
予想だにしない返事に、ゼントは頓狂に顔を顰める。
「へっ?」
「最後に私と支部長が会ってから約三日間、一回も姿を現してないの。他の冒険者の間で噂になってるけど、誰も見たことが無いみたい。だから今頼れるのはあなただけなの!」
切実に真摯な対応に、彼は困ってしまった。
頼られているという事実、そしてそれに応えられない不甲斐なさ。
過去に評価を偽りで塗り固めたことが、贖えとでも言うように苦痛を伴ってゼントを苦しめる。
ライラに関しては、想像できないわけではなかった。
あの少女は本当に読めない。自分に少なからず好意を持っていたようだが、考えも行動基準も全てが謎。
故に期待するのはお門違いというものだ。
「分かった、明日協会に行こう」
力なくだが、確かにそう答える。
精神的に弱り空腹の中でも、まだ合理的な決断を下せるだけの思考能力が残っていた。
彼は明日協会に行ったら、自身の包み隠していたことを全て話そうと思っている。
自分は何もできない人間なのだと、だからもうほっといてくれと、
「ありがとう」
思惑を知ってか知らずか、感謝の言葉を吐かれる。
だが協会としてではなく、個人としての恣意的なものが含まれていた。
「それと、あなた顔がげっそりとしてるわよ。ちゃんと食べてる?」
ここからは個人的な用事だとばかりに、硬い喋りを止めて親し気に話しかけてきた。
「いらんお世話だ。あんたに心配されるようじゃ、俺はもうだめだな……」
「はい、作りすぎちゃったから持ってきたの。あげるわ。報酬も結局受け取りに来てないし、どうせまともに食べられてないんでしょ?」
自らを悲観していると、セイラが目の前に突然何かを置く。
それはユーラが持ってきてくれていたような料理だった。
セイラの今の言葉には、一つ間違いがあった。
真面に食べられてないのではなく、一切食事を口に入れてないのだ。
食材を主食で挟んだだけのような簡単なものだったが、空腹の彼にはごちそうにでも見えたのだろう。
右手が伸びていく様子を、不純な笑いで見ている者がひとり。
ゼントの住処である家の壁が、床が、天井が、軋んでいた。
異変には気付かず、二人の密接な会合が夜へと続く。




