第三十四話『日常』
――朝早く、ゼントは一人で目が覚めた。
薄ら眼で伸びをし、部屋の周囲を見渡しては孤独を実感する。
全身黒の服を正し、弱々しく立ち上がった。
岩に叩きつけられて服に出来た擦り傷は、もう彼一人では直せない。
小枝で作ったブラシで一人歯を磨き、近くの井戸から汲んだ水で一人顔を洗う。
気分がすぐれている時は、森の中にある池で着ている服を洗い、水を浴びる。
それ以外の時間、彼は薄暗い部屋で静かに過ごす。
何をするでもなく、ただ少しでも時が長く感じられるように、
日によって、以前と同じように剣を振るうこともあった。
だが、残っていた唯一の剣が砕かれた以上、鍛錬もできない。
協会に毎日行く必要も、もうないはず。
昨日から何も食べていなかった。
いつも通りの行動を取れなかったので、ユーラの料理も受け取れてない。
結局あの様子では、近づいていいものかも分かりかねるが……
食料を手に入れるには、森で動物を狩るか、協会で報酬を受け取って、食べ物を買うか。
どちらにせよ重労働には違いない。
一日二日程度なら、食べなくても問題はないだろう。
そう思い、生きることにますます消極的になっていく。
これでも周りに宥められ、いくらかましになった方なのだ。
以前は、人であったかも怪しい生活をしていた。
矛盾と葛藤に苛まれて、半狂乱に暴れ回り家の中を散らかしたこともある。
自分が自分でなくなっていく。
自己の存在が確立できない。認められない。
孤独の恐怖が、彼の心身を蝕んでいった。
夜、彼は変わらず部屋で静かに過ごす。
空腹や喉の渇きなど、彼にとってはささやかな問題だ。
これが彼の素晴らしい日常、
薄汚くなり、精神は摩耗し、心が荒み、だが彼にとって、これが今の作り上げられる最高の環境といえる。
誰にも邪魔されず、常に彼女を想える時間さえあればいい。
ああ、彼女だ。彼女だけなのだ。心に残っている生きる僅かな希望は……
弱い自分の存在が許せない。
四諦が至言だと――生きていること自体が罪に感じる。
でも死んだら、彼女の事を思い出せなくなる。
想いの強さだけが、彼の命をこの世に引き留めていた。
それと一つ、約束があったから、
彼女は完璧なんだ。自分の理想なのだ。
もうこの世にいないからこそ、見えなくて、聞こえなくて、触れられなくて、感じられないからこそ、
――思い出と想像と想いとが、記憶の中で混ざり合い、完全な彼女を頭で作り上げ増長させる。
今も、この先も、ずっと変わらない。変わることがない、はずだった。
◇◆◇◆
――その二日後、
「――うーん……うーん?…」
場所は変わって、ここは冒険者協会の建物の内部。
支部長のカイロスは頭を抱え、何度も唸っていた。
「うるさいです。何をそんなに考え込んでいるのですか?」
傍に居たセイラは他人行儀に声を掛ける。
なんとなく理由は分かっていたが、あえて聞いた。
「いや、あいつのことだよ。ついにここにも顔を出さなくなりやがった」
やや不機嫌な横目で、言葉を続ける。
「悲しみは時間で癒えるんじゃ無いのか?かかる時間が長いどころか悪くなってる」
「きっとそれだけ、あの亡くなった女性への想いが強いってことなんでしょう。……煩わしい事に」
最後を小声で付け足した。
「ん?最後が聞き取れなかったが、なんか言ったか?」
「お気になさらず。でも二度と会えない人間にずっと囚われているなんて、非常に愚かなことだと思いませんか?」
カイロスはその言葉を聞いて腕を組んで考える。
確かに彼女にも一理ある。
だが、想うことは悪い事ではない。
薄情なよりはましだと思う。
故に彼女を諫めた。
「そう言うな。まあ、あいつは気持ちが少々強すぎるのかもしれん。実習教育で元に戻ることを期待したんだが、いきなりに押し付け過ぎたか?」
「それよりも、あの新人の名前が原因ではないでしょうか。彼らをわざと組み合わせたと言った方が、まだ納得できますよ?」
カイロスに発言が突き刺さった。
同時に、もう一つの心配事を思い出してしまった。
「うっ……!それを言わんでくれ……そう言えば、黒い女の子も姿を見ねえな」
「噂になっていたから、表に姿を現しにくいのかもしれませんね。まあ、説明が無いのと名前と実力のせいで、余計噂に尾ひれがついてしまっていますが」
あれから一切姿も見せないし、仕事をしている形跡もない。
実力はたしかなのだから、依頼を受けてもらわなければ、回らなくなる。
「どっちも黒くて、実力も合っていて、パーティーとしてお似合いだと思ったんだが……」
「だから、そういう配慮の無い事言うのがいけないんですよ」
カイロスの軽率な発言に、セイラは隠さず不快な表情を見せた。
想像以上の剣幕に気圧され、思わず謝罪する。
「え……その、すまん……」
「謝る前に、仕事してください。人手不足でまだまだ仕事は山ほどあるんですから」
呆れたように、セイラは言った。
「それはそうなんだが、あいつが心配だから、様子を見に行ってきてもいいか?協会は基本的に冒険者の私事に不介入なのは分かるが、半年たっても進展が全くないし今回はもう特別深刻だからな……でも他に頼める人もいなくてよ」
そのカイロスの発言に、目の前でほくそ笑む者が居た。
表には出さないように、細心の注意を払って、
「もう面倒なので、私が行ってきますよ。あなたは、さっさとこの仕事を片付けておいてください」
「ほんとか!?だったら、ありがたい。居るところを教えるから、可能なら元気づけてやってくれないか?」
「場所は知っているので大丈夫です。それでは今すぐに行ってきます」
彼女は立ち上がり書類を軽くまとめると、意識を集中してないと追えなくなるほどの速度で眩ました。
仕事を中断して、気分転換ができるからだろうか。
彼女の口元には、溢れかえった笑みが零れていた。
「……あ、今やってる仕事終わらせてからでも……いいんだが……」
細々と声に出すが、セイラの姿はもう見えない。
――目の前に積まれた書類を見て、大男は途方に暮れた。




