第三十二話『振切』
――ゼントは協会から逃げるように立ち去った後、住処にしている崩れた家に居る。
壁にもたれた体は全身が震え、泣き目で頭を抱えて蹲っていた。
家の前にユーラがまだいるかもしれないと思ったが、考える余裕は無い。
周囲には片付けもされない瓦礫が散乱していたが、自分にはお似合いと思う。
「――何で思い出しちまったんだ……考えないようにしてたのに……」
俯いたまま、ただただ自分を責めた。
彼の状況は自業自得と言えたが、同情はできる。だが――
――考えないようにしていた?思い出してしまった?
事実だが本心ではない。
忘れられるわけがなかった。いい意味でも悪い意味でも、
そう、思い出してしまったのだ。
最近、無意識だが感じていた既視感の全てを、
ここ数日は特別様子がおかしかったのだ。
知り合ってまだ間もない人間に、世話を焼いたのも、
前まで、死んだ目をして過ごしていた彼が、普通の人と同じように饒舌に振舞えた理由もそこに起因する。
似ているのだ。あの黒髪の少女が、
名前だけではない。
容姿や声は似ても似つかないが、
話し方や落ち着いた雰囲気は、かつての彼女の面影を感じずにはいられない。
それも、知り合ってまだ間もない頃の……
極め付きは、紛れもない強さ。
見たわけではないからどれほどのものではないが、竜を一人だけで倒したという事も共通している。
協会での一連のやり取りも、覚えがあった。
全く同じことが、過去にも
全てが頭の中で重なったせいで、思い出してしまった。
名前を初めて聞いた時も、実は心の中ではひどく動揺していたのだ。
黒髪の少女と一緒に居るときは、考えないようのにしていたはずなのに。
今考えれば、カイロスも最大限過去に関して、ゼントには配慮したのだろう。
自身で墓穴を掘ったわけだが……
――ああ、今も昔も一切変わらない。変われない。
あの少女が成したことを傍で聞いているだけで、弱くて惨め自分を再認識させられる。
助けられてばかりで、自ら貢献できるものは何もない。
ゼントが実習教育で、装備を整えたりと、人より慎重になっていたのは、この為。
自らが脆弱で、いざとなった時、新人を守り切れる自信がなかったから。
思えば、実習教育の過程で装備すらも整えてやれてない。
採集の依頼でも、できたことは何もなく、ただ探し回っていただけ。
か弱く無知と思っていた少女は、実際には竜を倒せるほど強かった。
戦闘の知識もしっかりあって、余裕綽々だったが、先輩である俺の指示に大人しく従っていたというところか。
そうなると彼女の出自が気にはなるが、それだけ実力があれば何も困ることは無い。
これからは順風満帆な人生を送るのだろう。
そんな彼女を見ていると対比してしまい思うところはあるが、全部自分の責任だ。
自分が弱いのが、才能が無いのが、元凶。
「ゼント――」
名前を呼ぶ声が聞こえる。
幻聴かとも思ったが、どうやら現実から耳に届けられているらしい。
誰だかは分かってる。ここ数日に何度も聞いていた声だ。
いつ入ってきたのかは分からなかった。
気配が察せられない時点で、一般人以下ではないか。
彼女と一緒にいると、自分を卑下せずにはいられない。
「――なんでここにいるんだ?お前がここに居る理由はもうないだろ?」
顔を上げて、正面を見上げると、
黒髪を地面にすれすれまで垂らし、寂しそうな表情でこちらを見下ろすライラが佇んでいた。
「理由ならある。私が傍に居て、あなたの役に立ちたいだけ……」
彼女は率直な想いを微笑みながら語りかけた。
だが、その本心と表面上に溢れ出る笑み、二つがゼントの心に深い傷をつける。
心の底から出た言動が、他者をの心を弄ぶとは、皮肉にもほどがあった。
どこまでも自嘲するように言葉を返す。
「意味が分からない。もう少し真面な理由を言え」
座ったままあごで指し、視線は動かさず、
やりきれない思いに駆られてか、いつもより威勢が無い。
「なんて言ったらいいか分からない……」
「俺の事はほっといてくれ。お前は俺に構うような人間じゃないだろ?」
回答に呆れ返って、逆に問いかける。
しかしさらに質問を返されて、会話が進まなくなりかける。
「それこそ意味が分からない。どうして、突然立ち去ったの?」
「お前には関係ない」
質問に氷のように冷たく酷薄に返す。
気に触ったのか、ライラは少し語気を強めた。
「ずっとお前お前って、私にはライラって名前があるのに。なんで私の名前を呼んでくれないの?」
「うるさい!もうどっか行けよ!俺は一人になりたいんだ!!」
自分の思い通りにならないことに、とうとう声を上げて、子どものように駄々を捏ねる。
「――ああああ!!」
直後、順を追うように、溜まっていた疲労と共に怒りが爆発した。
無論、本心ではない。本当はこんなこと言いたくはない。
でも、抑えていた蓋にひびが入り一気に、
気絶して目覚めた後から、心の奥に潜ませていた感情が決壊し、外へなだれ込む。
「ああくそ!!何だってんだよ!!なぜ力があるのに!どうでもいい奴を!わざわざ気に掛けるんだ!!?俺のことを馬鹿にしてんのか!?あざ笑ってんのか!?」
今までは何とか我慢していたのだ。
目の前の少女には、一度命を救われている。
たが、執拗にこちらに関わろうとしてくる態度に、怒りと屈辱の感情が抑えきれなくなった。
繰り返しになるが、彼女と一緒にいると、自己を無理やり見つめなければならない。
彼にとってはそれが耐え難く、死すら厭わない苦痛となる。
無論、悪いのは自分だ。才能を持たず、この世に生を受けたことがそもそもの原罪。
「違うゼント、私は……」
前触れもなく、感情があふれ出る様子に、ライラは一歩身を引いて言葉を尽くす。
だが彼は余地を与えず、怒りは収まらないどころか、さらに激しさを増す。
「あの時もそうだ!竜に吹っ飛ばされて気絶する無様な俺を見て、蔑むように見てたんだろ!?実力が伴ってないのに、口だけは達者な愚者だと笑ってたんだろ!!?」
もはや感情が、彼自身でも止めることができなくなってしまっていた。
目の前のか弱さそうな少女ですら竜を倒せるというのに、対して自分は少しの役に立つことができない。
例えもう一度竜と対峙できたとて、確実に同じ結末にしかならない。
自分で言っていて更に悲惨に思えて、目にはどんどん涙があふれてしまっている。
「違う!そんなことするはずない!ただ私はあの時……」
ライラは必死に弁解しようとしていた。
しかし、彼は最後まで言葉を聞くことは無く、涙と共に語る。
立ち上がり、目を見開き、威圧するように茶化した。
「ああそうだよ!お前は俺よりも強い!俺の言った事にいちいち従わなくてもいい!
だが、今は一人にして……いいからもうほっといてくれ……」
後半にかけて、発言に勢いがなくなってしまう。
童子のように泣きじゃくる高い声は、静かな部屋には残酷なほどよく響いた。
ライラは、真剣な表情で聞いてくる。
「誰とも一緒に居たくないの?」
「そうだ!誰とも会いたくない!」
投げやりに答える。
「どのくらいの期間?」
「ああもう!しばらくはずっとだ!!」
涙ぐむ彼に容赦なく質問してきて、さらに苛立ちの原因になる。
執拗かったがそこまで聞いて納得したのか、ようやく大人しくなった。
「分かった。落ち着くまで、何日でも待ってる」
どこまでも無機質な瞳と共に落ち着き払っている彼女は、踵を返し出て行こうとする。
その後ろ姿を見て何を思ったのか、最後に言葉を掛けた。
「おい。お前は強いんだろ?なら、冒険者としての責務を果たせ!」
ライラは小さくうなずいたように見えたが、何も言わずそのまま部屋を去って行った。
――ようやく静かになったかと思うと、いくらか心が安らぐ。
言いたいことを全てを言ったはずなのに、胸の中の突っ張りがどうしても取り除けない。
むしろ、悩みの種が増えた気さえした。
再び座り込み、部屋の隅で蹲ると、舞った埃が彼を包んだ。
壊れた家具や壁の残骸、周り全てが彼の惨めな境遇を装飾する。
静かに、ただ静かな空間がそこにはある。
くつろげるかどうかは、難しいと言わざるを得ない。
だが、ゼントの居場所はここにしかなかった。
一人取り残された部屋で、物悲しそうにつぶやく。
「……これでよかったんだ……あいつには俺と違って明るい未来が待っているんだから……俺のせいで壊すわけには……」
――破滅への道は、自分一人でいいと硬く誓った。
相変わらず目には涙を浮かべていたが、心の中には棘がさらに深く食い込んでいた。




