第二十七話『譫言』
「――おい!ユーラ!?ユーラだよな!?本当にどうしたんだ!!?」
ユーラの肩を持ち、軽く揺する。
彼女の事は一定の信頼があった。
しかし、本能が叫んでいる。危険だと。
彼女の拘束を振りほどくことは容易い。
だが理性で押さえつける。
今この手を振りほどいたら、二度と元に戻れなくなる気がした。
「……あれ…?……おかしいな?あれ?……あれ?おかしい……間違ってる……あれ?」
ユーラは、技師の失った傀儡のように狂い、同じ言葉を繰り返している。
まさか、本当に壊れてしまったとでもいうのだろうか?
眼球は絶え間なく揺れ動き、焦点が定まっていない。
呼吸が乱れ、鼓動が早くなる。
密着しているゼントにも、それは伝わった。
「ユーラ!?しっかりしろ!どこか悪いなら、医者に見せよう!な?」
異常を察し、興奮させないように宥める。
彼女は返答することを無視し、
しかし、ゼントへは一方的に言葉を求めた。
「ゼント……?私があげた料理……食べたよね?」
やはり口から紡がれる言葉は、脈絡もなく理解もできない。
せめて明るく振舞って、心配させまいと努めた。
「そんなこと、今は関係ないだろ?」
「――いいから答えてよ!!!」
割って入るように言葉を重ね、発言を妨害した。
耳元でつんざくような金切声を上げ、ぎりぎり意味として伝わる音を発する。
気をしっかり保っていないと、錯乱してしまうだろう。
ライラはどうしてか微動だにせず、ただ静かに事の経緯を見守っている。
「なあユーラ…いたずらなら本当にやめてくれ。俺たちは今、急いでいるんだ…!」
彼は最善を知らない。奇をてらう性格ではないことなど分かっていたはずだ。
この場では、彼女に従った方が平和にやり過ごせるというのに……
やってはいけないことの一つを仕出かした。
「……なんで?なんで答えてくれないの……?」
「分かった!分かったよ……!答えればいいんだろ!!」
彼女の声色はどんどん重く苦しい物へと変異していく。
このままいっても状況は変えられないと悟った。
埒が明かない。素直に従った方が良いと、ようやくゼントも理解したようだ。
だが災難は続くようで、ゼントは選択を迫られた。
昨朝が頭を過る。楽しみにしていた料理をライラに食べられたことを思い出す。
密かに楽しみにしていた料理を………そんなことはどうでもいい。
問題なのは、ゼントがユーラに貰った料理を食べていない事である。
そして、聞いてきた。『あなたが食べた?』と――
これ以上機嫌を損ねないようにするにはどう答えればいいのか。
恐ろしい魔の手が傍まで迫っていた。選択を誤れば、その未来が現実のものになる。
――虚言を吐くべきか、正直に答えるべきか。
ユーラが何を望んでいるのか分からない。
食べていることを望んでいるのだろうか。
考えるまでもない。
あげたのだから、今までもそうだったのだから、
食べている前提で話を進めているに違いない。
なら、嘘をつけば彼女は落ちついてくれるのか。
悪魔の囁きだ。バレてしまったら余計に悪い方向へ進むだろう。
正直に答えて、謝るべきか。
だが、今の彼女は明らかに普通じゃない。
暴走して、どんな行動を起こされるかも分からない。
だから、選んでしまった。
刹那的だとしても、甘く優しい誘惑に……
少しでも早く場を収めようと、彼なりに最大限考えた末の結果なのだろう。
「――ユーラの料理なら食べたよ……!
いつも通り美味かった……!」
出来る限り動揺を見せないように、目を直接に見て言った。
この時、ほとんど無意識下の発言だったかもしれない。
だが彼は大きな過ちを犯した。
ライラの前でこのような嘘をついたことだ。
後の悲劇の一端になることなど、知る由もない。
「それは本当……?だったらどうして……?」
ゼントは体の拘束を解かれ、自由の身になる。
目の前のユーラは俯き考え込むように、ぶつぶつと独り言を吐き捨てている。
だが瞳の色は戻らなかった。
何とか凌げたと胸に手を当て、安堵の念を抱くゼント。
同時に深く息をしながら感じた。ここから離れねばと、
「そういうわけで、ユーラ!俺たちは急いでいるから!じゃあまた後でな!!」
傍らに居たライラの手を強引に引き、家の前を後にする。
前回に引き続き、様子は気になるが今対話を試みるのは無謀だ。
時間を置けば、もしかしたら落ち着いてくれるかもしれない。
一旦距離をとるべきだと思った。
「――あっ!お願い待って!!」
後ろから聞こえる懇願を拒絶して、無理やりに突っ走る。
追ってくる様子もなく、安心して協会に向かえると思った。
少女の右手は追い縋るように、前に突き出している。
◇◆◇◆
「――ああそんな……どうしてうまくいかないの……」
ゼントが見えなくなった後、ユーラは緊張の糸が切れた様に、ひとり膝から崩れ落ちた。
今にも消えてしまいそうなほど、か細く哀愁を嘆き、ただただ想いを患う。
縋るものが遠ざかり、顔に両手を当て瞳には雫が滴っている。
そもそも、薬を使って惚れさせ、強引にこちらを向かせる、というやり方が悪かったのかもしれない。
彼女自身でも、人道に反する方法だとは分かっていた。
だが、心の高鳴りはどうやっても収まらず、行動を起こさないと心配で心配で、体が常に震えてしまうのだ。
冷たく寂しい暗闇から、この身をを救い出してくれるのは、彼だけだと信じて已まない。
彼を手に入れて、永劫とも思える時間が過ぎたとしても、初めて目にした時の気持ちを忘れはしない自信があった。
そう。一度手を染めたのなら、もう後戻りはできないのである。
――何故?何が悪かったの?
冴えた頭を最大限に活用し、失敗した原因を探る。
書かれてあった通りに、食べさせてから二日経っている。
使用方法は間違えていないはずだ。
まさか、店主に偽物を掴まされた?
であれば問い詰めて、相応の報いを受けてもらう。
だが、別の要因の可能性も十分に考えられる。
――ゼントに嘘をつかれたとは、夢にも思うまい。
ユーラは歯ぎしりをしながら立ち上がり、気力の無くなった体を動かした。
その足元はふらふらと覚束ない、だが着実に前に歩みを進めていく。




